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3節 熱とエネルギー

 

温度

温度は,もともと物体を触ったときの「温かい」とか「冷たい」という感覚をもとに考えられているものであるが,ここでは,物質の分子の状態に考えを深めて,「分子の熱運動の激しさを表す目安」という説明をしている。この段階では,厳密なことをいう必要はなく,これからの学習の中でそのことが明らかになる,といった紹介程度でよい。

絶対温度は,1848年にその概念を導入したケルビン卿(Lord Kelvin本名William Thomson18241907,イギリス)の名に由来して,その単位をケルビン(記号K)という。いろいろな温度計を用いて温度の目盛りを定める場合には,その目盛りは温度計に用いられる物質の性質によるから,理論的には標準点以外では一致しない。たとえば,水銀温度計は0℃,アルコール温度計は100℃でそれぞれ正しい値を示すが,水銀温度計が50℃を示すとき,アルコール温度計は50.7℃を示す。このような物質の特殊性に関係しない温度目盛り(熱力学的温度目盛り)を理論的に定義し,思考して得られる最低の温度を0度として測るような温度を絶対温度という。すなわち,2つの熱源の間にある物質に可逆的な循環過程(カルノーの循環過程)を行わせると,その熱効率は,物質の性質には無関係に両熱源の温度のみで定まる。よって,高いほうの温度T1を標準にとれば,他の温度T2は,この循環過程の熱効率によって定められる。すなわち,温度T1の熱源から得た熱量がQ1,他の熱源に与えた熱量がQ2ならば,後者の温度T2は,

 

 

 

実際には,1気圧での水の氷点と沸点の間を,上の定義によって100等分したものを1Kとする。この目盛りによる最低温度としては,理想気体が,一定圧力の下で温度を低くしたとき,その体積を減少させて0に近づく極限の温度をとっている。実在の気体は,十分低い圧力の下では理想気体のようにふるまい,その膨張率は

 

と実測されているから,上の意味での最低温度を0Kとすれば,氷点は273.15Kとなる(熱力学温度の定義定点である水の三重点は273.16K)

人間の感覚で比較できる温度範囲は非常に狭いにもかかわらず,実際の温度目盛りは,水の三重点(273.16K),酸素の三重点(54.3584K),金の凝固点(1337.33K)などの種々の物質の状態変化に着目して厳密に決められている。

絶対零度は到達不可能な温度であるが,現在冷却技術が発達し,液体ヘリウムを用いて,断熱消磁法とよばれる方法で2×105K という極低温が得られている。

 

セルシウス温度

1742年,セルシウス(17011744,スウェーデン)により提案された。彼は,気圧の高さが変化しないとき,水の沸騰点が同一であることを観察し,次のような方法で,温度計をつくった。温度計の球部を,まず,融解している雪の中に入れ,次に,気圧計が平均値を示しているとき(1気圧のとき),沸騰水に球部をつけて,それぞれの水銀柱の先端に印をつけ,その2点間の距離を100等分して,その1目盛りを1℃と定めた。100℃以上,0℃以下にも同じ間隔で目盛りをつけた。

 

 熱の考え方の歴史と,ジュールの実験

熱と温度≫ 昔は,温度は,味とかにおいのように感覚を離れては存在し得ない性質と考えられていた。そのため,熱に関する科学的研究が本格的に開始されるようになったのは,やっと18世紀の半ばころからであった。

温度計は,ガリレイによって17世紀の初めに考案され,目盛りとしては1724年にファーレンハイト(D.G..Fahrenheit16861736)が華氏の目盛り,1742年にセルシウス(A.Celsius17011744)が摂氏の目盛りを考案した。ここで初めて,温寒の度合いを客観的に示す尺度が得られ,熱と温度の概念の区別が確立し,熱の科学が成立するようになったのである。

比熱と潜熱≫ グラスゴー大学とエディンバラ大学で教えた化学者・医学者のジョーゼフ・ブラック(J.Black17281799)は,温度計を使って熱学の基礎となる研究を行った。彼は,等量の水で高温のものと低温のものを混合すると,ちょうどその中間の温度になるのに,等量で温度の異なる水銀の場合はそうはならないという実験から,水と水銀では熱に対して異なる「容量」をもつということを見いだした。これが,物質にはそれぞれ固有の「比熱」があるという事実の発見の端緒となったのである。1761年ころ,彼はさらに融解熱や蒸発熱という「潜熱」を実験的に発見した。

燃素説16世紀ごろのヨーロッパでは,鉱山業やガラス工業が盛んになり,火や燃焼に関する理論が望まれるようになった。そして,17世紀の後半に,熱素説という理論がつくられ,燃焼・金属の酸化および還元・動物の呼吸などを体系的に説明した。

熱素説では,木炭や油などの燃える物質は灰に熱素とよばれる物質が結びついたものであるとし,燃える物質から熱素が解放される過程が燃焼であるとした。つまり,燃えやすいものほど熱素を多くもっていることになる。また,鉱石を木炭と一緒に強熱すると金属が得られるのは,金属は金属灰である鉱石と熱素が結びついたもので熱素を多くもった木炭から熱素をもらって鉱石は金属になると説明した。また,熱はこの熱素と密接な関係にある物質であると考えられた。

しかし,熱素説では,金属が酸化して金属灰になるときに重さが増えることをうまく説明できず「熱素は負の重さをもつ」という苦しい解釈になっていった。

熱素の概念≫ 燃焼の本質を明らかにし,「質量保存の法則」を発見して近代化学の基礎を築いたのは,ラボアジェ(A.Lavoisier17431794)であった。彼は,この新しい化学の体系を著した「化学要綱」(1789年)の中で,熱を元素の一種として「熱素」(カロリック)とよび,他の元素とともに元素の表の中に掲げている。

熱素説による熱現象の説明≫ 熱素説では,ふつうの物質と熱素との間には引力がはたらき,熱素相互間には斥力がはたらくと考えられた。このような熱素説は,熱伝導をはじめとする様々な熱現象をよく説明することができた。たとえば,加熱や冷却をすると,温度に応じて物体が膨張・収縮するのは,物体中の熱素の増減によるものと考えられた。また,気体の弾性はその中に含まれている熱素の弾性に基づくものであって,気体を圧縮すると熱くなるのは熱素の一部が外に出てくるからであるとされた。物体によって熱容量が異なること,熱が顕熱から潜熱に変わる現象などに対しても,上記と同様の説明が下された。さらに,温度が高いときは熱素の斥力が大きいために熱の放射が起こるのであると考えられた。

気体を含めて一般に物体と熱素の関係は,しばしば,海綿とその中にしみこむ水の関係に類比して説明された。そして,水に類比された熱素は,不滅であり保存される物質であった。

熱運動論の台頭≫ 熱の本質に関しては,物質を構成している粒子の運動であるとみる「熱運動論」の考えが以前から存在した。フランシス・ベーコン,ボイル,フック,ホイへンス,ニュートンらがこのような考えを表明している。そのため,17世紀にはむしろ熱運動論のほうが有力であった。ところが,18世紀に入ってから,熱に関する研究が進むにつれて,前述のように熱素説が支配的となったのである。そのような中で,実験的根拠に基づいて,新たに熱運動論を提唱する少数の科学者が現れた。ランフォード,デービーおよびヤングである。

ランフォードの熱運動論≫  ランフォードは,本名をベンジャミン・トンプソン(B.Thompson17531814)といい,1753年に北アメリカで生まれた。独立戦争でイギリス側についたため,1776年にイギリスに亡命し,その後ドイツで軍需工業を興し,軍需大臣にまで出世し,伯爵の称号を得てランフォード伯と称するようになった。

彼は,まず,すでにボイルらによって行われていた熱素の秤量実験をくり返した。それは,同量の水銀と水を入れたフラスコを天秤でつり合わせ、華氏61度の部屋から34度の部屋へ運ぶもので,比熱の大きい水は水銀に比べてはるかに多量の熱を放出するのにもかかわらず,その重さの変化は全くなかった。つまり,熱素の重さを量ることはできなかった。

彼は,1778年,偶然,弾丸をこめずに火薬を発火させたとき,弾丸をこめたときにくらべてずっと砲身が熱くならないということを発見した。彼はこの意外な結果に驚いて思いめぐらした末,発砲時に砲身が熱くなったり,発射されて固いものにぶつかった弾丸を拾いあげると熱かったりするのは,火薬による発熱のせいであるよりも,むしろ衝撃的な振動のせいであるという結論に到達した。こうして彼は,熱の本質は運動であるとの見解を確立し,これをロンドンの王立協会に報告した(1781年)。

以後,彼は様々の実験を行って,この熱運動論の立証を試みた。中でも最もよく知られているのは,ミュンヘンでの砲身中ぐりの実験である。これは,彼がミュンヘンの兵器工場で大砲の砲身の中ぐり作業の監督をしていたときに,短時間に非常に多量の熱が発生することに驚き,実験をしたもので,砲身の孔が削られている間中,熱が発生しつづけることを示したものであった。もしも熱が物質であるならば有限な砲身材料中の熱物質(熱素)は,やがて出尽してしまうはずであるが,事実として際限なく熱が発生する以上,その本質は運動でなければならないと彼は論じたのである。この実験で,砲身の削り屑を容器の水に入れていくと,ついには「18.77ポンドの水が2時間半で火を使わないのに沸騰し,」これを見て人々は大変驚いたという。

しかし,それでもランフォードの説はなかなか受け入れられなかった。

デービーとヤングの熱運動論≫ デービー(Sir.H.Davy17781829)は,若いころ,時計仕掛けを使って2個の氷片を摩擦して溶かすという実験と,氷で取り囲んだ同様の装置で2個の金属片を摩擦してろうを溶かすという実験とを行った。その結果,熱の本質は「物質粒子の振動」であること,および,熱素とよばれる熱物質は存在しないことを結論づけた。

また,音と光の類似性に着目して光の波動説を唱えたヤング(T.Young17731829)は,この類似性が熱にも当てはまることを認めて,熱運動論を支持した。彼はランフォードとデービーの実験を正当に評価するとともに,とくにハーシェルの発見に注目した。ハーシェル(Sir.F.W.Hershel17381822)は,太陽光線をプリズムでスペクトルに分けて温度計に対するその効果を調べる研究を行った。そして,赤外部に熱作用があることを発見した。これが赤外線の発見である(1800)。光の波動説をとるヤングにとっては,これはまさしく熱運動論を裏づける新事実であった。ランフォードやデービーにとってもそれは同様で,彼らもこの事実を熱運動論の論証に援用した。

熱素説と熱運動論≫ 熱素説では早くから熱現象が定量的によく説明されたのに対して,熱運動論のほうは,マイヤー,ジュール,ヘルムホルツらによってエネルギー保存の法則が発見され,熱と機械的エネルギーとの間の当量的相互転換の関係が明らかにされてから,その真価が理解されるようになった。

ジュールの実験≫ ジュール(J.P.Joule18181889)は,モーターに関する研究の中で,電流による熱の発生という現象に注目し,いわゆる「ジュールの法則」を発見した。この事実と,発電機を使って得られた電流も同様に熱を発生するという事実(すなわち機械的仕事が電流を生じてそれが熱になるという事実)とから,彼はやがて,電池内の化学変化(とくに亜鉛の消費)とそれによって生じた電流による発熱量または仕事量(生じた電流でモーターを回した場合に得られる仕事量)との関係に注意を向け,ついに,電流を媒介としつつ,熱と機械的仕事との間に当量関係があることをつきとめ,実験的に「熱の仕事当量」を求めたのである(1843)。その後,彼は,電流を媒介とすることは不必要だったと気づき,機械的仕事を直接熱に変える実験をも行うようになった。中でも,おもりの落下によって水をかき回し,このときの水の温度上昇とおもりの落下とから,熱の仕事当量を求めた彼の実験はとくに有名である。ジュールの研究の中心は,各種の精密な実験を行って熱の仕事当量を正確に求めることにあった。しかし,彼が1847年に行った講演では,さらに一般的な形でエネルギー保存の法則が提示されている。また,熱の仕事当量を見いだして以来,彼がはっきりと熱運動論の支持を表明していることは注目に価する。

熱力学第2法則≫ 熱と機械的仕事の間の当量的転換の関係によれば,熱は一定の割合ですべて仕事に変換できるはずであった。ところが,熱機関に関するカルノーの理論が示すところによれば,仕事に転換される熱は,熱の一部分にしかすぎないことを示している。エネルギー保存の法則とカルノーの理論との間に認められるこの矛盾を,クラウジウス(R.J.E.Clausius18221888)とウィリアム・トムソン(W.Thomson18241907)が,熱力学第2法則という別の原理を置くことで解決した。熱に関係したエネルギー保存則の方は,熱力学第1法則とよばれることになったのである。

参考文献:木村陽二郎編「科学史」(有信堂)

橋本万平「科学史序説」(共立出版)

「万有百科大事典,物理数学」(小学館)

小野周訳「物理学の七つの革命」(森北出版)

 

 

熱量の保存

「熱」は「高温物体と低温物体を接触させたときの移動する熱」のことであるので,「熱量の保存」という意味は,「高温物体から出た熱が損失なくすべて低温物体に入る。」という意味である。しかし,一方,「風邪をひいて熱がある」というような熱のとらえ方では,「高温物体と低温物体を接触させても,熱の総量が変わらない。」ことと誤解する。これは,「熱」を例えば「絶対零度を基準に考えて物体のもっているエネルギー」すなわち「内部エネルギー」のように扱うものである。「エネルギー保存の法則」というような用語を知った後では,より,そのような誤解が増す。

これは「熱」という用語の曖昧さから来るもので,やむを得ないものといえる。物理的に現象を正しく押さえられているなら,あまり神経質にならなくてもよいものであろう。

 

◆「熱」に関する用語

生徒を含む一般社会では,ふだん『風邪をひいたら熱が出た』というような表現をよくしている。これは,『温度の高い物体ほど多くの熱をもっている。風邪をひいて体温が高くなったということは,人のもつ熱が増えたということで,その分,体内で熱が発生した。』という発想に基づくものであろう。このように一般社会では『温度の高い物体ほど多くの熱をもっている』という表現を使うが,この物体がもっている熱というのが,たいてい内部エネルギーを指すようである。

これに対して,高温の物体から低温の物体に移動する熱が,比熱,熱容量,熱力学第1法則に現れる熱量Qである。この両方の熱が生徒の頭の中では混然としていて,熱をより一層わかりにくいものにしている。

このような混乱の原因の大部分は,heatを熱と訳し,thermal motionを熱運動と訳したことによると思われる。教科書では,thermal motion(熱運動)のエネルギー(内部エネルギーの一部)のことを熱エネルギーといい,熱エネルギーの移動のことを熱(heat)ということにした。しかし,完全にheatthermalを使い分けるのは,慣用の重みがあり,難しい。それは,「熱を与える,奪う」,「熱の移動」,《熱量の保存則》の場合の「失った熱量,得た熱量」などという表現で,これらにおける「熱」は,上記の分類では「熱エネルギー」とすべきところであるが,そこまでは統一していない。なお,教科書p.13720の「熱エネルギー」は,heatのことではなく,thermal energyのことと考えている。

参考までに,関連する用語の英語を紹介しておく。

熱伝導……………thermal conduction

熱効率……………thermal efficiency

熱機関……………heat engine

熱源………………heat source

熱放射……………thermal radiation

熱容量……………heat capacity

熱膨張……………thermal expansion

熱エネルギー……thermal energy(日本物理教育学会編物理教育用語集1984)

        ……heat energy(文部省学術用語集物理学編1990)

 

熱伝導率

ある物質の熱伝導率は,物質内部の単位面積を単位時間あたりその面に垂直に流れる熱量と,その方向における温度勾配との比で表される。つまり,厚さ1mのその物質でできた1m2の板の表と裏で,1Kの温度差があるようにしたとき,1秒あたりに流れる熱量ということになる。単位は(J/m2s)/ (K/m)W/mKである。なお,教科書の参考の表で基準にとった0℃の水の熱伝導率は0.561W/mKである。

金属の熱伝導率がとても大きく,気体の熱伝導率が小さいことがよくわかる。

金属の熱伝導率が大きいのは,電気伝導がよいのと同じ原因で,自由電子の存在による。なお,金属の中でも銅はとくに熱伝導がよいので(銀はさらによいが高価である),湯沸かし器や風呂釜に用いられてきたし,ビールなどの冷たい飲料用のコップや鍋などにも使われる。冷たい飲料用のコップは,コップに触れただけで口や手が冷たく感じるので,飲み物の冷たさをより実感できる。また,熱伝導のよい鍋は,火の通りが速いし,炎の当たった場所だけとくに熱くなるわけでないので焦げにくい。

なお,アルミニウムの「手打ち鍋」は,熱伝導がそれほどよくないが,アルミニウムの安さと軽さを生かしたものである。

水の熱伝導率は空気よりも大きいから,布でできた鍋つかみで熱い鍋をつかむとき,鍋つかみが濡れていると,乾いているときよりも熱く感じる。

 

 

 








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