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5節 原子モデル

 

ラザフォードモデル以前

原子核の確立

原子と原子核の大きさ

気体の線スペクトルと吸収スペクトル

古典物理学とラザフォードの原子モデルとの矛盾

ボーアの理論の成功と過渡的性格

フランク・ヘルツの実験

 

ラザフォードモデル以前

陰極線の研究の結果,トムソンは原子がさらに小さい陰極線粒子から構成されていると考え,その周期的な配置で元素の周期律を説明することが可能だろうと推測した(1897)。そして,ケルビンは,原子が電子とその負電荷を打ち消す正電荷で構成され,電子は正電荷の中を動くことができるというモデルで,安定なつり合いになる電子の分布を論じた(1901)。一方,1903年にレナードは,高速電子が物質中をかなりの距離にわたって速度を変えずに動けることに着目し,原子がすかすかで小さな構成要素の集まりからなると考えた。ただし,彼の構成要素は11つが等量の正負の電荷がくっついたもので,全体としては中性なものである。

トムソンは.原子内部の変化を示唆する放射能現象が発見された後,1904年に再び原子モデルを論じた。それは,質量の無視できる一様な正の帯電球の中で,同心の何重もの円周上に等間隔に並んだ多数の電子が,一定角速度で回転するという「干しぶどうプリン」モデルである(干しぶどうが点在するプリンに似ているのでこう呼ばれる)。

このモデルでは,水素原子でさえ1000個以上の電子からなることになり,現実の元素についての電子配置は計算できなかったが,少数の電子について安定な配置を計算すると,電子数が増えるにしたがって内部のリングに周期的な配置のパターンが現れることがわかり,元素の周期律を説明する可能性を示すことができた。トムソンのモデルは,「元素の化学的性質を原子内の電子の配列の仕方で説明すること」を意図する初めての試みであったが,定性的な考察にとどまった仮説であった。

長岡半太郎(1865-1950)は,1904年,ケルビンやトムソンのモデルが「電子は正電気の中を自由に動ける」としているのに反対し,電子が正電荷の外にある「土星型」モデルを考え,正電荷の球の外側の1個の円周上に多数の電子が並び,それらがある一定の角速度で回転するとき,系が安定であることを示した。彼のモデルでは,電子の軌道上での微小振動を考えることによって,線スペクトルと帯スペクトルを定性的に説明することができた。ただ,電磁放射によるエネルギーの減衰は無視できるほど小さいものとされ,正電荷の球がきわめて小さい「核である」ことは想定されていなかった。長岡のモデルも,やはり定性的な仮説の域を出なかった。

 

原子核の確立

1906年,ラザフォード(E.Rutherford1871-1937)は,α線の比電荷の測定実験を行う過程で,空気中でのα線の散乱現象を発見した。ラザフォードの下で研究をしていたガイガー(H.Geiger1882-1945)は,アルミニウム箔と金箔でα線がどの程度散乱されるかを,蛍光スクリーン上の発光点を数えるシンチレーション法を用いて詳しく調べ,箔が厚いほど,またアルミニウムよりも金の方がより散乱されることを見いだした。そして,1909年にマースデン(E.Marsden1889-1970)とともに,アルミニウムよりも重い数種類の金属箔で実験を行い,大部分のα粒子は箔を素通りするが,900以上散乱されるα粒子がごくわずかあり(たとえば0.0004mmの金箔の場合,1/20000程度),中にはほとんど反対方向にはね返されるほど大きく曲げられるものもあることを発見した(1)。

1910年,トムソンは,高速の荷電粒子が物質の薄膜を通過するときに受ける散乱の角度分布の理論を発表した。彼の理論では,荷電粒子は,トムソン・モデルの原子内電子と正電荷の球によるクーロン散乱を何回も行い,進行方向が曲がるとされた。しかし,トムソン・モデルでは,原子内部でα粒子が受けるクーロン力は原子の中心にいくほど小さくなる(α粒子の位置よりも外側の原子内電荷からは力を受けないため)し,原子内電子の質量や正電荷の球の密度は小さいので,原子を貫通するα粒子の1回の散乱での運動量変化は小さい。したがって,α粒子が結果として900以上散乱されるためには,多数の原子によって何回も散乱されなければならないが.そのようなトータルで大きな散乱が起こる確率は,計算をしてみるとほとんどなかった。つまり,トムソン・モデルでは,ガイガーとマースデンによる実験を説明できなかった。

ラザフォードは,1911年,原子が中心にあるごく小さな電荷neとその周りの空間に一様に分布した反対符号の電荷とからできているとし,そのような原子による1回の散乱を考えることによって,この実験結果を説明することができた(2)。

そして,計算によって,中心電荷の大きさを3×1014m以下であると推定した。また,この中心電荷の電気量が原子量にほぼ比例することも示した。ガイガーとマースデンは1913年に再び実験を行い,nが原子量のほぼ半分であることを明らかにした。このnの値が「その元素の原子番号Zである」という仮説は,同じく1913年にヴァン・デン・ブルークによって提出された。この仮説が正しいことはモーズリー(H.G.J.Moseley1887-1915)による固有X線の研究からも支持され,最終的には1920年にチャドウィック(J.Chadwick1891-1974)α線散乱の実験を精密に行って確立された。

なお,1911年のラザフォードの論文では,中心電荷が正であることやそこに原子質量が集中していることは明確にされておらず,原子の有核モデルが完全な形で述べられたのは1913年のボーアの原子構造の論文であった。

 

原子と原子核の大きさ

一般に,原子核の大きさは,高エネルギーの電子線や中性子線の散乱の実験からわかる。電子線の物質波の波長は150MeVの電子線で約6×1015mとなり,核の大きさとあまり違わないので,この電子線が核に近づくと電気力により散乱される。この散乱では,核の電荷分布(すなわち陽子の分布)が測定されることになる。一方,高速中性子の核力による散乱では,核子の分布が測られることになる。これらの実験から核の大きさが推定できる。その結果によると,原子核の半径γは,質量数Aの立方根に比例し,次の式が書ける。

rr0Al/3

ここでr0は定数で1.3(±0.2)×1015m(値の範囲は実験誤差ではなく,各実験の特性による)である。この式から金の原子核の直径を計算すると,約1.5×1014mとなる。核の半径が核子数Aの立方根に比例するので,核の密度はすべての原子核でほぼ一定値1017kg/m3である。つまり,陽子と中性子はどの核でも隙間なく結びついているのである。

さて,次は入射するα粒子の経路を考えねばならない。226Raは約1600年の半減期で崩壊するが,その生成物は次々にα粒子を放出する。これらのα線の運動エネルギーは56MeVである。大ざっぱな平均として,5.5MeV(8.8×1013J)とすれば,α粒子の速度は約1.6×107m/sで,相対論的に考えなくてもよい。金の原子核に真正面から接近したα粒子の最接近距離βは,上記の運動エネルギーが,この2個の粒子の静電反発力の位置エネルギーに等しくなる距離βとして求められる。その結果は,教科書p.210の例題1の解のとおり,およそ4.1×1014mである。

1個のα粒子について,その散乱角(下図参照)βとすると,cot(θ/2)2 b/Dの関係があるので,散乱角が45°になるα粒子は b5×1014m となる。つまり,これだけ的をはずれたα粒子は45°の方向に進むことになる。

 

なお,金原子の直径は約3Å=3×1010mであるが,これを右図と同じスケールで描くと直径約30mとなる。つまり、隣接する原子核は,30m遠方にあることになる。ラザフォードが実験に用いた金箔は,その厚さの中に約3000程度の金の原子層があったらしいが,それにしても大多数のα粒子が何の力も受けずに直進したのは,このように原子の中がすかすかで,微小な核の近くにきたα粒子しか大きくは曲げられないためである。

 

気体の線スペクトルと吸収スペクトル

様々な気体の線スペクトルや,吸収スペクトルの観察実験は,水素原子のスペクトルの規則性を学習する導入として行ってもよいし,ボーアの原子モデルを学習した後にまとめとして扱ってもよい。導入として扱うときは,「原子はなぜ決まった振動数の光だけを放出したり,吸収するのだろうか」という疑問を提示するとよい。また,まとめとして扱うときには,原子の定常状態の存在というミクロな量子性が簡易な実験で確認できる現象が線スペクトルであることを強調するとよい。

吸収スペクトルは,背景となる強い連続スペクトルの光が,(その光を透過するくらい)希薄でより低温のガスを通るときに観測される。これは,ガス中の基底状態の原子が(線スペクトルとして)自分の出す振動数の光を吸収して,励起されることによって生じるもので,音さが自分の出す音(固有振動数の音)と同じ高さの音(同じ振動数の音)をよく吸収する現象,すなわち共鳴と似ている。

なお,励起された原子は,線スペクトルの発光の機構と同様にまたすぐに元のエネルギー準位に戻り,吸収した光と同じ振動数の光を放出する。同じ光を出すのに,吸収スペクトルが暗線として観測される理由は,もともと観測者に向かっていた光がガス中の原子にある確率で吸収されて,あらゆる方向に再放出されるためである。このとき,元の観測者に向かう方向に放出される確率は限りなく0に近く,再放出された光は観測者にほとんど達しないため,その線スペクトルの強度が弱くなる。ただし,ガスの温度が高く,その熱エネルギーによって励起されたガス中の原子が出す線スペクトルが十分強くなれば,観測されるのはもはや吸収スペクトルではなく,連続スペクトルの中の輝線スペクトルになる。

 

◆古典物理学とラザフォードの原子モデルとの矛盾

いわゆるラザフォードの原子モデルは,古典物理学と少なくとも次の3点で矛盾する。

(1) 原子の大きさ:ラザフォードの原子モデルを古典物理学で扱うと,理論の基礎になる方程式には,原子の構造を決める定数として,電子の電荷−eと質量mだけが含まれる。しかしこの2つをどのように組み合わせても,長さの次元をつくることができない。つまり,ラザフォードの原子モデルと古典物理学では,原子の大きさを決定できない。

(2) 原子の安定性:原子核の周りを円運動する電子は,加速度運動なので,絶えずエネルギーを電磁波の放射によって失う。そのエネルギーの放出により,電子は力学的エネルギーが減少し,しだいに原子核に引きつけられる。最も単純な水素原子について,電子が原子核に落ち込む時間を見積もると,1.6×1011s という微少な時間になり,原子が安定して存在できることを説明できない。

(3) 原子のスペクトル:ラザフォードの原子モデルでは,電子は周期運動を行っているので,その位置座標はフーリエ展開できる。したがって,電子が基本振動νの光を出すのなら,必ずその整数倍の振動数(高調波)の光も放出されることになる。しかし,観測される原子のスペクトルは,そうではない。

 

◆ボーア理論の成功と過渡的性格

水素原子についてボーア理論は成功を収めた。水素原子のスペクトルを定量的に完全に説明することができたからである。プランクの放射理論では,エネルギーは不連続であった。しかし,放射の現象がエネルギー量子の統計的な平均としての効果を取り扱ったので,理論の結果はプランクの放射公式という連続関数の形で表れた。それに対して,水素原子の問題では,エネルギーの不連続性が,そのまま線スペクトルの系列として表れている。いわば,量子の仮定を生のままで見せたのである。

しかし,同時にボーアの成功は,ここまでが限界であった。ボーアの理論ではまず光の強度については何も説明できない。そのほか,たとえば光の偏りについても全く無力である。さらに,水素原子を超えてヘリウム原子に適用すると,理論は実験と一致しない。それは,ボーアの理論が完全なものではないことを示している。水素原子を完全な孤立系として扱ったために,古典論と非古典論との矛盾が奇妙に結びついて,表だった破綻を見せなかったというベきだろう。

ボーアの前期量子論は理論自体の中に矛盾を内包する理論であり,また,プランクに表れた難点を何一つ解決しなかった。整数の導入の仕方は天下り的で何の説明もなかった。放射の機構については古典電磁気学を否定しながら,その新しい本質については何もいわないで,理論の外においた。つまりは,全く過渡期の理論というべきものであった。

にもかかわらず,ボーアの前期量子論が量子力学上で重要な位置を占めるには理由がある。1つには,たとえ一部分でも古典論の撞着を救うことに成功したこと。2つには,たとえばボーアの対応原理という手法を育て,人々はやがてその確率的な偶然性が,実は必然性と全く同様に,自然にとって本質的なものであることをはっきりと認識するようになる道標の役割となったことなどである。

 

◆フランク・ヘルツの実験

フランクとヘルツは,1914年の実験結果をまとめた論文(1916)の段階では,自分たちの実験結果がボーア理論の実験的確認になっていないことに気づかなかった。彼らは4.9Vというエネルギーを水銀原子の(励起エネルギーではなく)電離エネルギーであると考えていた。つまり,陰極を飛び出した電子は,水銀原子を励起するのではなく,原子をイオン化すると考えたのである。彼らの結論とボーア理論の関連を指摘したのはボーア自身で,その後,フランクとヘルツは放電管内で原子のイオン化は生じていないことを確認し,実験結果のボーア理論による解釈を1919年に報告した。なお,教科書p.250参考の図に示した実験装置とグラフは,生徒の理解のしやすさを考慮した概念図であり,実際のものとは多少異なる。たとえば,フランクとヘルツが用いた放電管は,中心に白金線の陰極を置き,少し離れてそれを取り巻くように円筒形の網状格子(グリッド)があり,さらにそのすぐ外側に円筒形の陽極を配置してある。陰極は中心部が細くなっており,高抵抗のために発熱して熱電子が放出されるようになっている。また,原論文のグラフの最初のピークは,いくつかの原因により4.9Vから少しずれている。すなわち最初のピークの電圧は水銀原子の励起エネルギーを表さず,ピーク間の間隔が励起エネルギーを表していることになる。

このあたりの事情は,広重徹「物理学史II(培風館),右近修治「フランク・ヘルツの実験について」(物理教育通信 第67)に詳しい。

 

 

 

 

 








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