トップ物理II 改訂版3部 原子・分子の世界>第2章 原子と電子>1節 電子の電荷と質量

1節 電子の電荷と質量

 

真空放電

 陰極線の発見から電子の確立まで

ミリカンの電気素量測定の実験

電子の比電荷

ブラウン管オシロスコープ

リサジュー図形

 

 

真空放電

1気圧(1013hPa)の空気は非常に絶縁性が高く,放電させるためには数万Vの電圧が必要である。しかし,ガラス管内に電極をとり付け,真空ポンプで管内の空気を抜いていくと,数千Vの電圧で放電するようになる。これを真空放電という。このとき,管内の圧力の程度によって,放電の様子は次のように変わっていく。

(a) 圧力が0.1気圧程度になると放電が始まり,0.01気圧程度になると,赤紫色のひも状のものが管内を揺れ動くようになる。

(b) さらに圧力を減じていくと,ひも状の光った部分はしだいに太くなり,圧力が0.001気圧程度になると,陰極前部に暗部(ファラデー暗部)が現れ,この暗部から陽極までは陽光柱とよばれる発光部分となり,気体に特有な光を出す。この程度 (0.0010.01気圧)の気体放電をガイスラー管という。

(c) 0.00070.0013気圧程度になると,ファラデー暗部が陽極のほうへ伸びて,陽光柱は短くなり,縞模様が現れたり,うろこ状になったりする。

(d) さらに圧力を減じると,陽光柱の長さがしだいに短くなって,陰極グローが管内に伸びてくる。0.00001気圧ぐらいになると,管内の光は消えて暗くなる。

(e) 0.0000010.00001気圧程度の圧力になると,ガラス管壁,とくに陽極付近から緑色の蛍光が発生するようになる。この程度の放電管をクルックス管という。

 

 陰極線の発見から電子の確立まで

低圧(105107気圧)で気体を閉じ込め,電極間に高電圧をかけると,電子やイオンが気体中を高速で飛び交うようになる。そして,正イオンが陰極に衝突するなどにより,陰極から大量の電子が飛び出してくるようになる。これが電極間の電圧で加速されると,気体を電離して電子や正イオンの数がなだれ状に増大し,高速電子の束が陽極に向かって流れるようになる。これが陰極線である。

真空放電はファラデーなどが調べていたが,本格的な研究は,1855年にガイスラー(H.Geiβler1814-1879)が性能のよい水銀真空ポンプを発明したことから始まる。それを用いたプリュッカー(J.Plucker1801-1868)は,1858年,低圧で陰極に近いガラス管壁が緑色の蛍光を発し,その場所が磁石によって動くことを発見した。

プリュッカーの弟子であったヒットルフ(J.W.Hittorf1824-1914)は,陰極と蛍光を発するガラス管壁との間に物体を置き,その影ができることを観察し,陰極から直進する一種の放射線が出ていると考えた(1869)。この実験をゴルトシュタイン(E.Goldstein1850-1930)がより詳しく行い,この放射線を「陰極線」と命名した。彼は,陰極線の性質は陰極物質の性質によらないこと,陰極線は化学反応を起こすことができること,などを発見した。

1879年に真空ポンプを改良したクルックス(W.Crookes1832-1919)は,陰極線を金属はくに当てるとその部分が白熱状態まで熱せられることを発見し,「羽根車のあるクルックス管の実験」を行い,残留気体の負イオンの流れが陰極線の正体であると考えた。この「気体イオン説」では,1895年に陰極線を受けた金属箱が負に帯電することをペリン(Perrin)が示し,1897年までにシュスター(Schuster)などが磁界による陰極線の屈曲実験から陰極線粒子の比電荷をほぼ正しく測定していた。

一方,ヘルツ(H.R.Hertz1857-1894)は,陰極線が運ぶ負電荷の検出実験や静電界による陰極線の屈曲を調べる実験を行ったが,いずれも否定的な結果に終わり,エーテルの振動(すなわち電磁波)が陰極線の正体であるとした。そして,1891年には,陰極線が金属はくを透過できることも発見した。ヘルツの弟子のレナード(P.E.A.Lenard1862-1947)は,陰極線を薄いアルミはくの窓を通して放電管の外に取り出すことにも成功した(1894)。これらの結果は「気体イオン説」では説明できなかった。

1897年,トムソン(J.J.Thomson1856-1940)は,陰極線の磁界による屈曲が残留気体の種類によらないことを見いだし,陰極線の正体は原子よりも小さな粒子であると考えた。そして,陰極線の当たった固体の温度上昇を調べる実験と磁界による屈曲実験を組み合わせることにより,陰極線粒子の比電荷(正確には比電荷の逆数)を測定した。そして,静電界による陰極線の屈曲実験がヘルツによって失敗したのは,偏向板間の残留気体のイオンが原因であると解釈し,静電界による陰極線の屈曲実験を,より真空度の高い放電管で行った。これに成功したトムソンは,磁界による屈曲実験と組み合わせて,陰極線粒子の比電荷(の逆数)を測定し,残留気体の種類を変え,陰極の金属をアルミニウムと白金の2通りで行い,得られる値が一定で変化しないことを確かめた(1897)

ところで,同じころ,別の角度から原子内に荷電粒子が存在することが示されつつあった。1896年,ゼーマン(P.Zeeman1865-1943)は磁界中のナトリウムのスペクトルのD線が広がる現象(ゼーマン効果)を発見した。彼は,物質分子中には単振動する荷電粒子が存在するという「ローレンツ(H.A.Lorentz1853-1928)の電子論」をもとにして,その荷電粒子の比電荷を求めた。そして,スペクトル線の広がりが,ローレンツの理論通りにスペクトル線の分離であることを確認し,ナトリウム以外の物質でも実験を行った。1897年,ラーモア(J.Larmor1857-1942)は,ゼーマン効果が「原子が正負の荷電粒子でできている」ことの証拠と考え,測定された比電荷の値がトムソンの実験結果とほぼ同じであることも指摘した。

電子の確立には,電気素量の測定が大きな役割を果たした。トムソンの弟子のタウンゼント(J.S.E.Townsend1868-1957)は,1897年に,電気分解によって生じた気体イオンを用いて帯電した霧粒子をつくり,気体イオンの電荷を求めた。トムソンは,同様な実験を1898年に行い,続いて光電効果によって放出される電子そのものの電荷を測定し,それが水素イオンの電荷と同じオーダーであることを確認した。これより,電子の質量は原子と比べてかなり小さいことになり,電子がすべての原子の構成要素である微小な粒子であることが明らかになった。

 

ミリカンの電気素量測定の実験

ミリカン(R.A.Mi11ikan1868-1953)は,19061916年に電気素量の測定実験を行った。

すでに1874年に,ファラデー定数Fと,アボガドロ数Nとから,電荷はF/Nの整数倍であることをストーニー(G.J.Stoney1826-1911,電子の命名者)は推定している。イオンのもつ電荷を直接測る方法は,1897年にタウンゼントにより考案された。彼は素電荷として,1.7×1019Cという値を得ている。1898年にJ.J.トムソンが,水蒸気によって飽和した空気をX線でイオン化し,それを断熱膨張させて霧を作り,正イオンや負イオンを核としてできた霧滴の電荷を測定した。1903年にウイルソン(C.T.R.Wilson1869-1959)は,平行板コンデンサーの間に霧を入れ,電界を加えたときと加えないときとでの,霧滴の落下速度を測定した。また,ストークスの法則から電界を加えないときの落下速度を測定して半径を求め,それによって霧滴の質量を知り,霧滴の電荷を求めた。しかし,彼の実験では,電界を加えたときと加えないときの落下速度を,違った霧滴で測定した。この後述べるミリカンの実験は,これらを改良したものであり,それ以前の実験より,はるかに精度の高いものであった。

ミリカンは,細心の注意を払って,上記の人々の実験の欠点を除き,不揮発性のアピエゾン油の油滴を用いて,素量測定の実験を行った。

油滴の半径をa,密度をσとし,空気の粘度をη,密度をρとすると,油滴は十分小さいから,空気の抵抗は粘性抵抗と考えてよく,ストークスの法則より,6πaηvと表せる。よって,電界が存在しない場合の等速落下の終端速度をvgとすると,力のつり合いの式は,

 

である。そして,この式から,

 

が得られる。次に,電界を加えて油滴が上向きに動く場合を考え,電界の強さをE,その電荷をqとし,上昇の終端速度をvEとすると,力のつり合いの式は,

 

@,Bより,  

 

である。CにAを代入すると,

 

ここで,X線照射などにより,油滴の電荷がq'に変わり,上昇の終端速度もvE'に変わったとすると,

 

D−Eで,   

 

F式より,同一油滴の電荷の大きさの変化ΔqvE'vEに比例し,D式より,同一油滴の電荷qは,vgvEに比例することになる。

ミリカンは,平行平板間に,2本の毛をはって標線とし,その標線間を油滴が上昇または落下する時間を測定した。標線間距離は104cm,時間はクロノグラフで102秒,電圧はウェストンの標準電池によって1/3000までの精度でそれぞれ測定している。また平行平板間の距離も104cm,その面の正しい平面の度合いはナトリウムのD線の2波長分以内の精度で測定している。照射光は,水の層と塩化銅溶液の層を通し熱線部分を除いてから,平行平板間に入射させて,対流が生じるのを防いでいる。装置全体も一定温度の油槽に浸してある。ミリカンは1個の油滴を上げ下げしては,その1個につき数十分から数時間にわたって観測した。

D式を用いて素量の絶対値を決定するには,本質的な補正が必要である。それは油滴の半径の減少とともに素量の値が急激に増大する結果を与えるからである。その理由は,ストークスの法則は運動する物体が球形で,運動が連続的な媒質中で行われる場合について導き出されたものであり,気体中を運動する小満の大きさが,気体分子の平均自由行路と同程度になると成立しなくなるからである。そこで,油滴の周囲の空気の平均自由行路をlとするとき,ストークスの法則を補正して,油滴にはたらく抵抗力Rを,次の式のように表す。すなわち,

   (Aは定数)

 

補正なしで計算された素量をeとすると,補正後の値はとなる。

 

ミリカンは,この補正によって,電気素量の値を約1.6×1019Cと決定した。

その後,ミリカンが用いた空気の粘度ηの値は正しい値よりも約1/200ほど小さいことが判明した。

測定例 油滴の速さは,水平に張られた2本の標線を通過する時間tgtEによって測られる。2本の標線の間隔をsとすると,教科書p.222の式(4において,となる。

 

次に,ミリカンの測定値を基にした実験結果を示す。

 

 

 

 

18.05

6.04

24.10

7.01

17.09

18.09

3.02

21.11

 

この表で,は油滴のもつ電気量の変化高に,は油滴の電気量自身に,それぞれ比例する。これら2つの値を比べてみると,その最小値は0.00534となり,他のものは,ほぼその整数倍になっていることがわかる。

 

電子の比電荷

現在では,種々の方法で電子の比電荷が測定されている。たとえば,

1)ゼーマン効果による波長λのスペクトル線の分離Δλe/mに比例する性質を利用する。

2)電子に与える電圧と,その速度との関係から求める。

3)磁界中での電子の軌道半径から求める。

4)サイクロトロン共鳴から求める。

5)水素,重水素およびヘリウムのリュードベリ定数の組み合わせから求める。

その他にも,電気素量とプランク定数の比e/hを精密に測定し(たとえば連続X線の最短波長や,光電効果の限界振動数などから),他の方法で求めたmhと組み合わせて求める方法もある。

これらいずれの方法によっても,ほぼ等しい値が得られることは,電子の実在性を示すものである。

参考文献:菊池正士「原子物理学本論(上)」(岩波書店)

 

ブラウン管オシロスコープ

ブラウン管を用いて,時間的に変化する信号の波形を観測する装置である。

ブラウン管内のカソードを熱して電子を飛び出たせて,蛍光面側に正の電場をかけて電子ビームをつくる。ブラウン管の中には水平偏向板と垂直偏向板があり,水平偏向板は電子ビームを左右に動かし,垂直偏向板は上下に動かす。ビームを左右に動かすことを掃引(sweep)するという。水平偏向板に,のこぎり状の電圧を加えると電子ビームは左から右に掃引される。通常この変化は速いので蛍光体の残像性により蛍光面上に一本の線が画かれる。測定したい信号の電圧を垂直偏向板にかけると蛍光面上に信号波形が得られる。

入力信号がトリガーとなって掃引を始めるものを,シンクロスコープという。繰り返しの周期が一定でないような信号の観測に便利である。遅延回路を用いることで,信号の立ち上がり部分も観測が可能である。

 

リサジュー図形

ブラウン管オシロスコープの垂直偏向板と水平偏向板にともに正弦波交流電圧を加えると,その周波数比や位相の違いによって,特徴的な図形(これをリサジュー図形という)がブラウン管面上に得られる。逆に,リサジュー図形をつくることによって,未知の2つの電気信号の周波数比と位相差がわかる。

次に,周波数比や位相が異なるいくつかの場合の,リサジュー図形を示す。

 

 

 

 








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