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1節 電気と私たちの生活

 

古代の通信

腕木式通信網の発達

クックとホイートストンの電信機

モールス信号

海底ケーブルの敷設

ベルの電話機

クリスタルイヤホンで簡単電話

ヘルツの実験と電磁波の存在

コヒーラ検波器と無線通信の実用化

二極管,三極管の発明

ラジオ放送の開始

モーターの発明

発電機の発明

アーク灯

白熱電球

電力事業の開始

コンピュータの歴史

産業各分野へのコンピュータの導入

自動車とコンピュータ制御


 

古代の通信

社会が複雑化するにつれ,政治的,経済的,また,軍事的な目的から,遠く離れた2地点間で情報をやりとりすることが必要になってきた。古代において,主な通信の手段はのろし(狼煙,烽火)であった。古代ギリシャには,のろしと水時計を組み合わせ,のろしを上げる時間の長短で,文字信号を送るシステムがあった。また,古代ローマ帝国は「ローマに通ずる」といわれた道路網を整備したことで有名だが,同時に道路網に伴って通信施設も張り巡らせている。

 

 

腕木式通信網の発達

 17世紀に入って,望遠鏡が発明されると,通信網の中継距離を長くとれるようになり,またより複雑な通信を実用化する可能性が生まれた。フランスのシャップは,フランス革命の最中に新しい通信機を考案した。これは腕木を上下させ,遠く離れたところから望遠鏡でこれを見ることで文字情報を通信するものであった。国民議会はパリ−リール間に腕木式の通信網を設置することを決め,1794年に完成した。シャップの通信機は戦争の結果をいち早く伝え,フランス軍の危機を何度も救い,通信の重要性が改めて示された。

 腕木式の通信網はその後もヨーロッパ各国に広まり,1844年のフランスでは533の通信基地と約5000kmの通信網を誇った。

 

 

クックとホイートストンの電信機

 1820年にエルステッドが電流の磁気作用を発見して以来,ヨーロッパ各国でこの現象を通信に利用する研究が進められた。

 当時,イギリスでは蒸気鉄道が急速に発達し,また列車の速度も向上してきた。こうしたシステムを安全に運行するためには,駅間での正確で迅速な通信が欠かせない。ところが,シャップの腕木式通信機では複雑な通信が難しく,維持費も膨大であったために,新しい通信手段が望まれていた。

 そこで,電気を利用した各種の通信方法が考案された。電信機を発明したのは1831年シリングによってであったが,始めに実用化されたのが,クックとホイートストンが1837年に考案した5針式の電信機であった。これは,5つの磁針のうち2つを電磁石で振らせ,それらの磁針が示す方向の交点に書かれた文字を読むことで,文字情報を通信するものであった。例えば,図の状態は文字「V」を示している。また,数字を送るときには磁針を1つだけ右または左に振らせる。このようにして,20種類の文字と10種類の数字を送信することが可能であった。

 この電信機は翌年にイギリスの鉄道で使用が開始され,次第に鉄道網に普及していき,やがては公衆電報サービスにも発展した。

 

 

モールス信号

 クックとホイートストンの通信システムの弱点は,電線の敷設費用であった。これを少しでも軽減するため,電線の数は減らされ,やがては1本の磁針の振れで信号をやりとりするようになった。

 同じ頃,アメリカではモールスが電信機の開発に取り組んでいた。彼のシステムは一対の電線を利用して,表のような長短の符号を組み合わせた信号を送るものであった。彼は受信側のコイルにペンを付け,信号が紙に記録されるようにした。まもなく,受信機が作動する音を聞くだけでも信号を読みとれることがわかり,音響受信機が使われるようになった。

A  ・−

N  −・

B  −・・・

O  −−−

C  −・−・

P  ・−−・

D  −・・

Q  −−・−

E  ・

R  ・−・

F  ・・−・

S  ・・・

G  −−・

T  −

H  ・・・・

U  ・・−

I  ・・

V  ・・・−

J  ・−−−

W  ・−−

K  −・−

X  −・・−

L  ・−・・

Y  −・−−

M  −−

Z  −−・・

 

 

海底ケーブルの敷設

 電信網が普及すると,やがて,海底ケーブルを敷設して国際的な電信網を形成しようという動きが生まれた。まず1850年,ドーバー海峡を介してイギリスとフランスの間の電信が可能になり,イギリス−アイルランド,ドイツ,オランダ間,イタリア−サルジア,コルシカ間など,ヨーロッパ内で次々と海底ケーブルが敷設された。さらに,大西洋の大陸間海底ケーブルは,数度の失敗を乗り越えて1866年に敷設され,ヨーロッパとアメリカの間での電信が可能になった。

 これらの工事には莫大な費用を要したが,当時の社会においても,通信事業にはそれに見合うだけの意義と需要があったのである。

 

ベルの電話機

 アメリカのベルは,電磁石でおんさを振動させる実験をヒントに,音声を電気通信する方法を研究した。彼はリード線の振動が電磁石に電流の強弱を起こし,それを受信機側のコイルに送ると,そのそばのリード線が振動することを実験で確かめ,この原理を用いて,1876年に電話機を完成させた。

 当時は電信の全盛期であったが,ベルが電話の事業化を始めると,その実用性が認識され,1879年には148社もの電話会社が乱立する状況となった。

 1878年にはフューズがマイクロホンを発明し,これが電話の送信機として利用されるようになった。また,電話の相手を選ぶためのシステムも,自動交換機が実用化し,急速な発展を遂げた。

 こうした電話システムの発展には,すでに確立していた電信の設備や技術が基盤になったことはいうまでもない。

 

◆クリスタルイヤホンで簡単電話

 クリスタルイヤホンを2つ,図のように接続する。一方のイヤホンに大声で話しかけると,他方のイヤホンから,その声が聞こえる。

 送信側のイヤホンがマイクの役割を果たし,電磁誘導の原理により,声の振動が誘導電流を作り出してリード線に流れ,それが受信側のイヤホンで音声に変換されて聞こえるのである。

 

ヘルツの実験と電磁波の存在

 電磁気学の理論を確立したマクスウェルは,その理論から電磁波の存在を予言した。これをはじめて検証したのはヘルツである。ヘルツは1887年,2つの金属球を誘導コイルに接続し,球と球の間で電気火花を起こし,その近くに小さな隙間のある針金の輪を置くと,この隙間にも火花が飛ぶことを実験で示した。これは,電磁波が存在し,空間を伝わることを示すものであった。

 

コヒーラ検波器と無線通信の実用化

 電波を通信に利用するためには,電波がやってきたことを確認(検波)する方法がなくてはならない。はじめて検波器を作ったのはロッジである。ニッケルの粉末は通常は通電性を示さないが,電波を受けると粉末同士が密着(コヒーラ)し,通電性を示す。また,いったんコヒーラした粉末を叩いて衝撃を与えると,密着が解消して,再び通電性を示さなくなる。ロッジはこれに着目し,ガラス管にニッケル粉を詰めた検波器を作った。

 ポポフはこれに改良を加え,1895年に最初の無線局を作って,軍艦の座礁を知らせるなどの効果を上げた。

 マルコーニは無線通信の事業化に目を向け,イギリスで無線通信会社を設立した。当初は灯台や船舶との通信に利用されたが,1899年にドーバー海峡,1901年に大西洋を越えて無線通信が成功するなど,通信距離が伸びるにつれてその有用性が認識された。マルコーニの事業は,イギリス海軍の保護を受けて順調に拡大していった。また,このころ起きた巨船タイタニック号の沈没事故に際しては,あらためて無線の重要性が認識され,船舶の無線設備が義務づけられた。

 

二極管,三極管の発明

 1883年,エジソンは後述する白熱電球の開発中に,点灯中の電球の一部が黒く変色する現象を発見した(エジソン効果)。エジソン自身はこの現象に興味を示さなかったが,のちにマルコーニの会社の技術顧問であったフレミングがこれに注目し,1904年に二極管を発明した。エジソン効果は,フィラメントから放出される熱電子によって起きるものである。そこで,図のようにもう一つの電極Aを電球内に封入し,フィラメントとの間に電圧をかけると,Aが負の時には電流がないが,Aが正の時には電流が流れる。つまり整流作用が生じることがわかった。フレミングは二極管を用いて,検知した電波から生じる高周波の交流を整流し,検波に成功した。

 

 さらに,1907年にド・フォレストが真空管にもう一つの電極を入れて,電子流を制御することに成功し,三極管が誕生した。三極管は増幅作用や発振作用を持ち,従来の火花式の送信装置にとってかわることとなった。

 

ラジオ放送の開始

 有線電信が有線電話に発展したように,無線電信が無線電話に発展するのは当然の道筋であった。その上でも,二極管や三極管などの発明は不可欠であった。無線電話は第一次世界大戦では軍事的に重宝されたが,大戦が終わると新たな展開を見せた。離れたところにいる不特定多数が,同時に同じ電波を受信できるという,無線の特性を活かし,電波を用いた放送が始まったのである。

 実験的な放送は,大戦以前からなされていたが,1916年,コンラッドはアマチュア無線局から,電波で音楽などを定期的に流した。これはアマチュア無線家の間で大きな反響を呼び,無線受信機が飛ぶように売れ,やがてウェスチングハウス社が放送会社を設立し,1920年に正式な放送が始まった。

 無線通信の実用化は,単に有線のものが無線になっただけにとどまらず,ラジオやテレビという20世紀を特徴づけるの文化そのものを作ったという点で,非常に意義深い。

 

モーターの発明

 19世紀前半,産業用の動力としては蒸気機関が全盛期であったが,1820年にエルステッドが電流の磁気作用を発見し,1831年にファラデーが電磁誘導の法則を発見してから,これらの現象を発電機やモーターとして実用化する動きが現れた。ダベンポートは,ヘンリーが発明した電磁石が鍛冶屋の金敷台を持ち上げるほど強力なのに驚き,電動機を着想した。1836年には電動機を組み立てて旋盤を回し,1840年には印刷機を回して新聞を発行した。またデビッドソンも1838年には電動機を組み立て,翌年には旋盤を回し,2人乗りの電車を動かしている。この他にも多くの発明家たちが様々な電動機を作り出した。しかし,当時の電源は電池であり,蒸気機関に代わって産業用動力の主役になるためには,発電機の登場を待たなければならなかった。

 

発電機の発明

 当時,工場用の照明にはガス灯が,ついでアーク灯が用いられた。しかしアーク灯を点灯させるためには電池では非実用的であった。アーク灯の安定点灯には発電機が不可欠であった。

 初期の発電機としてよく知られるものは,ピキシの発電機(1832)と呼ばれる図のような手回し発電機である。これは磁石を回転させることでコイルに電流を誘起するものであった。その後,電機子や界磁の構造が研究され,改良された発電機が次々に登場した。その中で,実用化に向けての決定打になったのは,「自励式」という技術であった。これはコイルを取り巻く磁界に電磁石を用い,発電した電流を用いてその電磁石を強める方向に励磁していくものである。自励式発電機は1867年にジーメンスらによって発明され,さらに改良を加えられて,1870年にグラムによって初めて実用的な発電機が作り出された。

 

アーク灯

 1815年,イギリスの化学者デービーは2000個のボルタ電池を用い,適当な間隔を持った炭素電極の間で放電させて,アーク灯を点灯させることに成功した。その後,炭素電極の隙間を常に一定に保つ技術の開発などが開発され,アーク灯の実用化に道を開いた。しかし,当時は十分な電源がなかったため,アーク灯が照明として実用化されたのは,安定した発電機が開発された1870年頃からであった。

 

白熱電球

 一方,白金線などの金属線に電流を流すと光を放つ現象が1820年頃から知られ,これを照明に利用する研究が進められた。金属ではすぐに溶断してしまうため,炭素線が注目され,フィラメントの寿命を上げるために,電球内を真空にすることが考案された。多くの人が試行錯誤した後,白熱電球の実用化に成功したのはエジソンであった。彼は1879年に木綿糸を炭化してフィラメントを作り,電球内の真空度を上げて,寿命約40時間の白熱電球を作ることに成功した。また,その3年後には炭化された竹をフィラメントにした白熱電球をパリ電気博覧会に出展して脚光を浴びた。

 

電力事業の開始

 当時,アーク灯を点灯させるための電源として,一つのアーク灯に一つの発電機が用いられた。しかし,白熱電球はアーク灯に比べて暗く,たくさんの数の白熱電球を用いなければならなかった。一つの白熱電球のために一つの発電機を用いると,非常にたくさんの発電機を用意しなければならず,それは非現実的であった。白熱電球が実用化するためには,電力の発生から,送電,配電などのシステムが同時に確立されなければならなかった。

 エジソンは1878年に「エジソン電気照明会社」を作り,電力事業を始めた。町の中央に発電所を作り,蒸気機関を用いて発電した電気を町中に送電を始めた。操業を開始したのは1882年で3台の発電機から送電し,3000個の電球を点灯した。やがて顧客は次第に増え,1890年には95000灯を供給するようになった。

 電力事業はさらに進歩を遂げ,エジソンの電力会社はやがて交流送電を実現したウェスチングハウス社にとって代わられた。しかし,エジソンの功績は,単に発光体をアーク灯から白熱電球に変化させたというだけでなく,電力の発生から消費に至るあらゆる部門でのシステムを創出したという点で非常に意義深い。この時期から整備された電力システムが基盤となり,やがては照明のみならず,ラジオ,テレビ,洗濯機,冷蔵庫,電子レンジ,パソコンという様々な電気機器によって人々の生活が変わっていくのである。

 

参考文献:山崎俊雄・木本忠昭『新版電気の技術史』オーム社,1992

     直川一也『科学技術史 電気電子技術の発展』東京電機大学出版局,1998

     『大英科学博物館展』読売新聞社,英国立科学産業博物館,1998

 

コンピュータの歴史

 第2次世界大戦をきっかけに,計算に対する需要が爆発的に増え,これに対応するものとして,アメリカIBM社は3000個のリレーを使って世界初の汎用自動計算機 MARK I を作った。この計算機は23桁の掛け算に6.0秒を要したという。計算速度はリレーの機械的動作速度によって決まるので,真空管を使えばその速度は数百倍になることが見込まれた。そこで,戦後の1946年に18000本の真空管を使った最初の電子計算機ENIACが作られた。

 ENIACは外部プログラム方式をとっていたので,決められた計算以外は回路自体を組み直す必要があった。そこで,計算命令を記憶することができる,内部プログラム方式の計算機としてEDVACEDSACが作られた。これがいわば現在のコンピュータの原型である。

 やがて半導体に対する研究が進み,トランジスタが発明された。1949年には接合形のトランジスタが開発されて実用段階に入った。トランジスタは,真空管に比べて大きさの点でも,消費電力でも,発熱量でも,信頼性でも優れた特性を持っているので,様々な用途で真空管を駆逐していった。1958年には全トランジスタ式のコンピュータが開発された。

 この頃より,回路素子を1個1個接続することをやめ,抵抗やトランジスタ,ダイオードなどを組み合わせて,ある機能を持った回路そのものをシリコン結晶の表面に焼き付けてしまうことが考え出された。ICの登場である。ICによって必要備品数は激減し,装置自体が極めて小さくなった。また,接点が減るので信頼性も向上した。1964年にIBM社は総力を挙げてICを用いた汎用計算機IBM360シリーズを作り,独占的地位を不動のものにした。

 ICの集積度はさらに進み,LSI,マイクロプロセッサへと進展した。1971年にインテル社が開発したマイクロプロセッサは,わずか3mm大のチップで初期の真空管コンピュータENIAC全体に匹敵する性能を持っていたという。マイクロプロセッサを搭載することで,コンピュータは小型化し,個人が家庭で気軽に利用できるようにまで進歩した。

 

産業各分野へのコンピュータの導入

 生産過程にコンピュータを導入することで,作業の自動化,最適化をはかることができた。化学や鉄鋼の装置産業部門では1970年代にコンピュータによるオートメーション化の時代を迎え,電力部門でも発電所の一括集中制御が可能となった。工作機械にもコンピュータによる制御が導入され(NC工作機械),さまざまな機械が高精度で自動的に生産されるようになった。

 やがて,コンピュータが小型化,高信頼化が進むと,ロボットが活躍を始めた。当初は軍事需要や原子力産業に応えるものとして開発されたが,現実にはプラスティック成型や自動車工場での自動溶接,塗装作業などに多用され,日本の自動車産業の屋台骨を支えた。

 設計部門でもCAD/CAMシステムが導入され,部品の標準化,工程数削減,原材料の有効利用に活躍した。

 1980年代からは事務部門へのコンピュータの導入(オフィスオートメーション)も進み,産業の隅々までコンピュータ制御が浸透してきた。

 

参考文献:山崎俊雄・木本忠昭『新版電気の技術史』オーム社,1992

     直川一也『科学技術史 電気電子技術の発展』東京電機大学出版局,1998

 

自動車とコンピュータ制御

現代では,パソコンは言うに及ばず,洗濯機,掃除機,炊飯器,エアコン,扇風機,ミシン,カメラ,電子レンジ,食器洗い機など,ありとあらゆる家電製品にマイクロコンピュータが搭載され,制御の中心をなしている。私たちの生活を取り巻く機械の中でエレクトロニクスと無縁なものを探す方が難しいくらいである。その中で,自動車を例にとって,どのようなところにコンピュータ制御が用いられているのか,具体的に見てみよう。

1)エンジン制御

 自動車の心臓部分はエンジンである。エンジンに燃焼ガスを送り込むのに,かつてはキャブレターを用いていた。これは,霧吹きの原理で,吸気の流れを利用してガソリンを吸い上げ,霧状にしてエンジンに送り込むものである。しかし,これではエンジンが必要とする量の燃料ガスをタイムリーに送り込むことはできない。そこで現在では,センサーを用いてエンジンの回転数やアクセルペダルの開度,空気の流量などを検知し,瞬間瞬間のデータからガスの必要量をコンピュータで判断し,燃料を噴射する装置が用いられる。さらに,燃料ガスを直接シリンダー内に噴射する方式(直接噴射)にすることによって,燃費性能や環境性能を大きく改善させている。

 また,点火時期についても,シリンダー内の圧力センサーやクランクの回転角センサーから,最適なタイミングをコンピュータで判断し,イグニッションコイルに信号を送って点火して,燃費の向上と排気ガス対策に貢献している。

 排気ガス中のNOxを減らすため,エンジンの運転条件によっては排気ガスを吸気側に一部混入させることも行われている(EGR制御)。排気中のO2量などをセンサーで検知することによって,コンピュータで適正な混入量が判断され,EGRバルブの制御が行われている。

 

2)タイヤ制御

 自動車を安全に走行させるためには,安全なブレーキが欠かせない。急ブレーキはしばしばタイヤのロックを引き起こし,事故に直結しかねないものだが,タイヤがロックしないように,ブレーキ力を自動的に制御するものがABS(アンチロックブレーキシステム)である。4輪それぞれに設置されたホイルセンサーがタイヤのロック状態を検知し,ロックされた車輪のブレーキ力を緩めてやり,常にタイヤが路面と密着した状態を作り出すことができる。

 ABSと同じシステムを加速時にも利用することができる。アクセルを踏みすぎると,駆動輪がスリップ (ホイルスピン) することがあるが,これを避けるために駆動輪それぞれに設けられたセンサーでホイルスピンを検知し,その駆動輪の駆動力を抜いてやり,ホイルスピンを収めるのである。

 これらを組み合わせて統合的に自動車の走行を制御するシステムがスタビリティコントロールである。車輪の速度センサーや,コーナーリングを検知する横Gセンサーなどによって,自動車の姿勢や運動状況を判断し,各車輪の駆動力やブレーキ力を自動的に制御する。とくにコーナーリングで安全で効果的な運転を確保することができるシステムである。

 

 

 








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