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2節 電波による観測

 

電波望遠鏡

 1960年代には,天文学上の重要な発見が電波観測を通してなされた。それらは可視光

線による観測から導き出された従来の宇宙の見方に大きく修正をせまるものであった。電

波は,波長が10 -2cm程度よりも長い電磁波である。宇宙からの最初の電波を観測したの

は,アメリカのジャンスキー(K.Jansky)1931年のことであった。ジャンスキーはわれわれ

の銀河中心の方向からくる波長が14.6mの電波を測定した。

 電波の観測には電波アンテナを使う。電波アンテナの形状はさまざまであるが,最近で

はパラボラアンテナが使われることが多い。アンテナの精度は受信する電波の波長との関

連で定まるが,長い波長の場合には,かなりあらい精度の電波アンテナでも問題が起こら

ない。しかし,最近ではミリメートルかそれ以下の波長での観測が重要になってきているの

で,パラボラアンテナの鏡面精度が十分でなくてはならない。大型の電波望遠鏡は,世界

各地に存在するが,日本では国立天文台野辺山宇宙電波観測所に直径45mの高精度

の望遠鏡があり,ミリメートル程度やそれ以下の波長の電波を観測できる。また,世界的に

最も大きいのは,プエルトリコのアレシボにパラボラ状の地形をそのまま利用して望遠鏡に

した直径300mのアンテナがある。電波の波長が長いため,こうしたパラボラアンテナの分

解能はよくない。そこで,いくつかのアンテナからの信号を人工的に干渉させて干渉計とし

て使用することで,分解能を上げたデータを得ている。

 

◆宇宙からのさまざまな電波の検出

 1944年にオランダのファン・デ・フルスト(van de Hulst)は,中性の水素原子から,波長にし

21cmの電波が出る可能性を指摘した。この理論的予想は1951年に,アメリカのユーエ

(Ewen)とパーセル(Percell)2人と,オランダのオールト(Oort)による独立な観測によって

確認された。この波長の電波の観測からわかった重要なことは,われわれの銀河の中の中

性水素の分布が渦巻き状をなしていることである。

 1960年から1963年にかけてクェーサーという天体が発見された。クェーサーは非常に遠

方にあって,大きさが1光年程度の領域から,銀河全体が出すエネルギー以上のエネル

ギーを放出している。クェーサーはその後たくさん(強い電波を出している電波銀河と合わ

せて4000個以上)発見されているが,クェーサーが何であるかについての最終的な結論は

得られていない。しかし最近の観測から,銀河には中心領域に大変に重いブラックホール

が存在する可能性がきわめて高い。クエーサーの場合も,そのようなブラックホールが中

心に存在し,周辺のガスとの相互作用が大変に激しい状況にあるのではないかと考えられ

るようになってきている。

1965年に,アメリカのペンジアス(Penzias)とウィルソン(Wilson)は,われわれの銀河からの

21cmの電波観測を最終目的として,電波アンテナや測定装置を改良しているときに重要

な発見をした。彼らは天体から発生していないと思われる7cmの波長で測定することで,雑

音がどの程度残っているかを調べていた。彼らの観測結果は,アンテナの方向に依存しな

い「雑音」で,3Kの黒体放射に対応する強度をもったものがあることを示していた。この温

度は,その電波が黒体放射であると仮定したときに何度の黒体に相当するかで定義され

る。

 1940年代にガモウ(Gamow)は宇宙初期に高温状態を仮定して元素合成の理論をつくっ

た。そのとき彼は高温状態は宇宙の膨張とともに低温となり,現在ではそのなごりが7K

黒体放射として残存することを予言していた。したがって,ペンジアスとウィルソンの測定し

3Kに相当する電波は,ガモウの考えた宇宙初期の高温状態の存在,いいかえると宇

宙が初期に「火の玉」状態であることを示す証拠である。しかし,このことが事実であるため

には,7cmの電波の強度だけでなく,その放射が黒体放射のスペクトルをもつことを観測

する必要がある。1989年末に打ち上げられた観測衛星によって,すべての波長にわたっ

2.7Kの黒体放射に一致することが確認された。この放射のことを3K宇宙背景放射とい

う。ちなみにその観測衛星は宇宙背景放射観測衛星(Cosmic Background Explorer

COBE)という。

 電波の観測はクェ−サーや宇宙背景放射のような宇宙規模での新しい発見のみなら

ず,恒星のレベルでの重要な発見ももたらした。1966年から1967年にかけて,イギリスの

ケンブリッジのヒューウィシュ(Hewish)とベル(J.Bell)を中心とした電波研究者のグループが,

クェーサーの系統的観測を試みている際に,1秒程度で周期的にくり返すパルス状の電

波を発見した。そのパルスの周期は非常に正確である上,同じようなパルス状の電波が空

の異なった方向にいくつもみつかった。そこでこのような天体はパルスを出す星としてパル

サーと名づけられた。現在までにパルサーは550個程度みつかっており,パルスの周期

はミリ秒から秒程度である。このパルスの周期は,質量が太陽程度であって半径が10km

の中性子星が自転している周期であると考えられている。

 この中性子星は理論的には超新星爆発の際に形成されることが予測されていた。したが

って,超新星爆発の残骸中にパルサーが見いだされると,理論を裏づけることになる。とこ

ろで,1968年には,おうし座にある「かに星雲」の中にパルサーが発見された。かに星雲

M1ともよばれ,18世紀の天文学者メシエ(Messier)が広がった天体のカタログをつくっ

たときの第1番目に登録した天体である。そのかに星雲の中に,かにパルサーとよばれる

周期33ミリ秒のパルサーがあったのである。重要なことは,このかに星雲は現在も秒速

1000km程度で膨張しており,現在の星雲の大きさが約3光年程度であることである。秒速

1000kmは光速度の300分の1であるので,3光年の距離だけ広がるためには,約900

かかっていることになる。したがって,パルサーが超新星爆発に関連して形成されたとする

と,その爆発はいまから900年程度前に起こったものである。かに星雲については,1920

年代から30年代に中国や日本の古文書が調べられ,中国では宋史に日本では藤原定家

の名月記にそれに相当する記述が見いだされていた。宋史には

「至和元年五月巳丑出天関東南可数寸歳余稍没。」

 

とあり,至和元年は西暦1054年に対応し,五月巳丑は74日,天関とは現在のおうし

座のことを意味している。したがって,おうし座の方向で急に明るく輝き出して1年ほどで暗

くなったというのである。一方,定家の名月記の中には

「後冷泉院天喜二年四月中旬以後丑時客星出嘴参度見東方孛天関星大如歳星。」

とある。これも1054年に客星(突然明るくなる星)がおうし座(天関星)の方角に現れ,木星

(歳星)と同じくらいの明るさになったという記述である。現在の恒星の理論や観測によると,

大爆発を起こして輝き始めた超新星は,1年程度の期間は見ることができ,その後暗くな

って見えなくなるとされている。したがって,かに星雲のところで1054年に起こったのは超

新星の爆発である可能性が非常に高い。パルサーが前述のように回転する中性子星であ

れば,まさに超新星爆発に際して中性子星が形成されたことになる。

1960年代には,電波観測によって,星間空間中に分子や原子団が存在することも発見

されている。分子や原子団というのは原子がいくつか結合したものである。こうした分子や

原子団は回転や振動を行っている。その振動や回転のエネルギーは量子論的なとびとび

の値のみが許されて,エネルギー準位を形成している。そこで,高いエネルギーの状態か

ら低いエネルギー状態へ遷移する際,そのエネルギー準位の差に相当するエネルギーを

もった電磁波を放出する。分子や原子団の回転では,このときの電磁波の波長がミリメート

ル程度のものが多い。実際,ミリメートル程度の電波で観測することによって,そうした分子

や原子団が発見されたのである。

 

 

 








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