トップ地学II>第2部 プレートでおおわれた地球>第2章 私たちの日本列島>第1節 島弧としての日本列島

1節 島弧としての日本列島

 

日本付近のプレートとその動き

 教図1に日本付近のプレート分布と島弧・海溝を示した。少なくとも北海道の東半分は

北アメリカプレートに,伊豆半島から伊豆・小笠原の島々はフィリピン海プレートにあるが,

その他の日本列島は大部分ユーラシアプレートに属している。

 日本付近の海溝はすべてプレートの沈み込み境界(の一部)であり,アリューシャン海溝

から日本海溝を経てマリアナ海溝にいたる海溝列は,太平洋プレートの北西縁の沈み込

み場所を表している。中部日本−西日本の南側にある南海トラフ−南西諸島海溝は,フ

ィリピン海プレート北縁の沈み込み帯である。

 日本付近での北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界は不確かであるため,教図

1では2つの境界位置を破線で示してある。1つは北海道のほぼ中央部を通るもので,他

1つは北海道の西方沖から日本海東縁に沿ってフォッサマグナにいたるものである。新

生代の第三紀には前者に沿ってプレート境界があったことは確かであるが,次に述べるよ

うに,第四紀になって後者(日本海東縁)に移動したという考えがある。

[東北日本は北アメリカプレートか]  1983年に秋田・青森沖の日本海の海底を震

源とする日本海中部地震(M7.7)が起こった。その少し前に,日本海の東縁(東北地方と北

海道西部の西方沖合い海底)にもプレートの沈み込み帯があるかも知れないという考え

が,小林洋二・中村一明らによって発表された。もしそうであるならば,東北日本はその沈

み込み帯のところでユーラシアプレートから切り離され,別のプレートの上にあることにな

る。そのプレートは主に東北日本からなる小さなプレートかも知れないが,もしかすると北

海道東部と同じように北アメリカプレートの一部かも知れないと考えられた。従来,北アメリ

カプレートとユーラシアプレートの境は北海道中部(日高山脈)付近にあると考えられてい

たが,新しい考えによると,そこでは両者が衝突・結合して,プレートの境界ではなくなって

いる。そのかわりに,両プレートの境界はさらに西方の,上述の日本海東緑の海底に移っ

てしまったことになる。ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界は,日本海東縁にあ

るにせよ,北海道中央部にあるにせよ,北方ではシベリア−北極を経て大西洋中央海嶺

に続く。

[日本付近でのプレートの運動]  2つのプレートの相対移動速度は,場所によって異

なっている(各プレートの運動の角速度はプレートごとに一定)。ユーラシアプレートに対す

る太平洋プレート・フィリピン海プレート・北アメリカプレートの日本付近でのそれぞれの相

対運動を表Tに示す。ユーラシアプレートに対する太平洋プレートの運動は,房総半島東

方にある三重点(3つのプレートが相接しているところ)では西北西に約11cm/年である。一

方,その付近でのフィリピン海プレートの運動は,北西へ約5cm/年とされている。ユーラ

シアプレート自体の動きは,ホットスポットなどから推定してきわめて小さい。したがって,上

述の2つのプレートの相対運動はほぼ実際の運動であるとみなしてさしつかえない。

 

◆島弧−海溝系としての日本列島

[東日本島弧系] 日本付近での太平洋プレートは千島海溝,日本海溝,伊豆・小笠原

海溝付近から斜めに沈み込み,深さおよそ600km付近(ウラジオストック付近の真下)まで

達していると考えられている。このような太平洋プレートの沈み込みによって生じたと考えら

れる太平洋北西縁の千島列島,東北日本,伊豆・マリアナの列島をまとめて東日本島弧

系とよぶ(教科書裏見返し「日本列島付近の地学現象」も参照)

Iは,日本海溝−東北日本−日本海北部−沿海州にいたる北西−南東の断面につ

いて,(a)フリーエア異常,(b)地下構造,(c)ブーゲー異常を示したものである。図I(a)のフリ

ーエア異常では,海溝付近での著しい負の異常と,東北地方の東海岸付近を中心とする

正の異常とが目だつ。前者は,1つには海溝のところで軽いもの(海水)が多いためであ

る。後者は,その場所の地下に比較的密度の大きな岩石があることを示している。このよう

に,ジオイドから下の物質が不足しているところ(フリーエア異常が負のところ)が浮き上がり

もせずに地質学的に長い間海溝であることは,そこに長い間下向きの力が作用しているこ

とを示している。反対に,フリーエア異常が正である東北日本の北上山地などが沈下しな

いで長い間隆起を続けていることは,そこを隆起させる力が作用していることを意味してい

る。いずれにしても,このような正負の大きな重力異常が島弧に沿って近接して分布して

いる現象は活動的な島弧では一般的に見られる現象であり,そこに地殻を引き下げる力

や押し上げる力が作用していることを示唆している。図I(c)のブーゲー異常では,海溝の

大洋側(東方)で著しい正の異常が見られる。これは,海洋底には比較的軽い大陸性の地

殻がないこと,ブーゲー異常では海水のかわりにその部分に海水面まで標準密度(2.6g/

3ほど)の岩石があるとして計算することなどによる。図I(b)P波の伝わる速度によって

区分された日本列島の地下構造を示したもので,島弧の下では地殻(図のア+イ)が厚い

こと(30km),そして太平洋側でも日本海側でも,海域では地殻が急に薄くなる(モホ不

連続面が浅くなる)ことなどが明瞭である。島弧では図のア層がいわゆる花こう岩(地殻上

)であり,図のイ層がいわゆる玄武岩層に相当する。島弧地殻の上半に起こる震源の浅

い地震のほとんどすべては,図I()P波速度が6.6km/s未満の花こう岩層の中で起こっ

ている。

 

 東北日本の火山と浅い地震の詳細な分布を図IIに示す。この図で,火山の分布する海

溝寄りの限界(破線VF)が火山前線である。これに平行するように,海側に浅い地震(

)の分布限界が明瞭に認められる(破線AF)。この分布限界をアサイスミック・フロントとい

うことがある。なお,ここでいう浅い地震とは深さ4060kmの(マントルの上部で起こる)

震のことである。内陸のいわゆる直下型地震の深さは1020kmである。

 

[西日本島弧系] 本州−四国は太平洋に弓なりにはり出した1つの島弧(弧状列島)のよ

うに見える。にもかかわらず,フォッサマグナ付近を境にしてその西と東では互いに異なる

島弧系に属しているということは,陸地の形を見ているかぎりなかなか納得しがたい。しか

し,海溝の続きぐあい,深発地震の形状,火山帯のつながり,重力異常の分布を見なおし

てみると,東北日本の諸性質は本州中部で本州を離れて南方へ,伊豆・小笠原弧へ続い

ていると考えざるを得ない。つまり,西日本は東日本の島弧系の続きではなくて,南西諸

島へ続く別の島弧系(西日本島弧系)とみなすことができる。この考えは1960年代の初期

に現れたが,それは近年の,東日本と西日本の沖合いのプレートの種類や動きが異なる

というプレートテクトニクスの考えと調和している。

 西日本の火山列も,他の弧状列島の場合と同様,海溝−トラフに平行してその北側に

続いている。特に薩南諸島(硫黄島など)から九州中部(阿蘇・別府付近)まで,大規模な火

山が並んでいる。その東方延長は中国地方にも続き,三瓶山・大山・神鍋山などの火山

がある(III)

 

 地震の分布を見てみると,西南日本の陸域直下の地殻上部で起こる浅い地震(プレート

内地震,深さ1020km)のほかに,南海トラフ−南西諸島海溝から沈み込むプレートに

沿う比較的深い地震がある。南海トラフで起こった昭和46年の南海地震は,そのようなフ

ィリピン海プレートと,陸側のプレートの境界で起こった地震であった。そのような地震はま

れにしか起こらないが,小さな地震はしばしば起こっている。

 図IVは,九州南部を横断する断面で見た地震の分布である。日向灘付近から西北方

へ深くなる地震の分布は,沈み込んだフィリピン海プレートを表している。沈み込んだフィ

リピン海プレートの深さの分布は,図Vの地震の等深線に示されている。このように,西日

本島弧系にも深発地震面が認められるが,深さ200kmをこえる深発地震はほとんどない。

これは,東日本の,日本海溝などから沈み込んだ太平洋プレートに関連して起こる地震の

深さが600kmに達していることにくらべると,はるかに小規模である。

 

 このように,西日本島弧系は弧状列島の通性をほぼもっているが,それに関連する各性

質は,東日本島弧系にくらべて顕著ではない。それはフィリピン海プレートが太平洋プレ

ートにくらべて,南海トラフなどから沈み込みを始めた時期が比較的最近である(100万〜

200万年前頃,あるいはそれより新しい)こと,その沈み込み速度が小さい(35cm/)

こと,沈み込むプレートの年齢が若くて(3000万〜1700万年)そのため厚さが薄いこと,な

どのためであろう。

 

◆日本列島の地質構造

[地質図からわかる日本列島の特徴]  地質図(教科書巻末の折り込み)からわかる

日本の地質の特徴を調べてみよう(教図3も参照)

(1) 西南日本の太平洋側に,古第三紀とそれより古い岩石がみごとに帯状をなして分布し

ている(関東平野付近まで)

(2) 東北日本は,西南日本にくらべて新第三紀の地層や第四紀の火山岩(地質図で黄色

と茶色)が広く分布している。このような東北日本の特徴は,ほぼ糸魚川(新潟県)と静岡を

結ぶ断層で急に終わっている。

(3) 花こう岩(地質図で赤色)は西南日本の内帯(中央構造線以北)に広く分布している。東

北日本にも花こう岩はあるが,それは太平洋側に多く露出している。

(4) 北海道では,第四紀の火山岩の分布方向(ほぼ東西,千島海溝に平行)は,第三紀

以前の地層・岩石の地質構造(ほぼ南北)と大きく斜交している。

[日本列島の主な構造線]  現在,日本で知られている主な地質構造線,あるいは地

質の大きな境界地帯をあげると,およそ図Vのようになる。

 

[中央構造線]  中央構造線は西南日本を地質構造上内帯と外帯とに分ける断層線

で,長野県諏訪湖の南の杖突峠付近から南へ,三峰川・小渋川の渓谷に沿い,和田を経

て秋葉街道に沿い,天竜川を横切り,豊川の谷から伊勢湾を横切り,伊勢市・高見峠・和

歌山市・四国の吉野川から松山市南方を経て九州に達する。この構造線は中生代に生ま

れ,その後,何回も動いている。場所により,また時代により,北側あるいは南側が隆起し

た。横ずれ(左ずれ)に大きく動いた時期もあったと考えられているが,第四紀の後期には

右ずれの動きが卓越している。

 歴史時代には大地震の発生の確かな記録はないが,この構造線の四国から紀伊半島

にかけての区間は,日本で最も活動的な活断層とみなされている。

 [黒瀬川構造帯]  西南日本の帯状構造の中で,黒瀬川構造帯は秩父帯の南部に細

長くはさまっていて,その内部に種々の岩石を混然と含む特異な構造帯である。黒瀬川

構造帯では,付近の外帯には見られない古い時代の深成岩やシルル紀・デボン紀の堆

積岩の大きな岩塊が蛇紋岩などに囲まれて産する。クサリサンゴやサンヨウチュウなどを

含む石灰岩(四国佐川町の横倉山など)もこの地帯の中にある。このような構造帯について

は,海のプレートがかつてそこで沈み込んでいた地帯,あるいは大規模な横ずれ断層で

破壊された各種の岩石が混じり合った地帯など,いろいろの考えがあった。最近では,図

VIに見るように,西南日本の内帯側にあった岩石が大規模な低角の衝上断層で南へ移

動してきた根なし岩体(クリッペ)という考えが有力になってきた。図VIでは秩父帯そのもの

も内帯側から移動してきたものとされている。

 

[糸魚川−静岡構造線]  新潟県糸魚川市から姫川に沿って南下し,松本盆地から諏

訪湖を過ぎ,韮崎の西方から富士川の西方に沿って静岡にいたる大断層線を糸魚川一

静岡構造線という。この断層はフォッサマグナの西縁を限る断層とみなされている。

しかし,この断層は静岡北方,赤石山脈の東側では西傾斜の逆断層(多少左ずれ成分

をともなう)であるが,中央部の諏訪湖−富士見間(教図7)や松本−大町北方間では,第

四紀に左ずれで東側隆起を示している。このように,この断層は,巨視的にはフォッサマ

グナの西縁を限る大断層といえるが,実際にはそれほど単純ではない。

[棚倉構造線]  棚倉構造線は,関東平野の北東端から北北西へのびて阿武隈山地の

西縁近くを走っている顕著な断層である(教図6,棚倉破砕帯ともいう)。その北北西の延

長は,山形県・秋田県の県境付近の日本海沿岸にまで達していると推定されている。この

断層に沿って両側の地層が新第三紀以前に,数百kmもの左ずれの変位をしたと考えて

いる学者もある。

 この断層よりも北東側では西南日本の帯状構造が不明瞭になるので,この断層を西南

日本と東北日本の境界とみることができる。この断層以西では,関東山地のほかに関東平

野の地下にも中央構造線の続きや三波川変成岩があることがわかっているので,西南日

本の帯状構造は実質的にこの棚倉構造線のところまでのびてきているといえる。

[フォッサマグナ] フォッサマグナ(教図5)は,「大きな割れ目」という意味である。1875

(明治8)21才の若さで来日したドイツの地質学者エドムンド・ナウマンが1886年頃

に命名した。彼は日本列島をヒマラヤ,ウラル,アルプスのような1つの弧状山脈とみなし

て,その弧状山脈の中央部に伊豆七島弧がぶつかり,そのためそこに日本列島を横断す

る裂け目あるいは地溝ができたと考えた。このような考えはいまから100年以上も前(1885

)に発表されたものであるが,大すじはいまでも通用するりっぱなものである。ナウマンが

このとき指摘している点も含めて,この地域の特徴を整理してみよう。

(1) 横断する火山帯;東北日本で本州に平行していた火山帯(中新世〜現在)が,この地

域で本州を横切っている。

(2) 地質分布・地形の不連続;西南日本の古期岩類とそれらがつくる山地地形が,この地

域の西縁付近で急に失せて,若い地層に被覆され地形も低下している。

(3) 地質構造の屈曲;周辺の古期岩類の走向がハの字状に北に凸に配置している。

(4) 強い圧縮変形;この地域,特に南部フォッサマグナでは第四紀層までが強い東西圧

縮を受けている。

(5) 海成の厚い新第三紀層が南北から本州の内部に深くくい込んで分布している。

 上の(1)の特徴(火山帯の横断)については,東日本島弧系の火山帯(沈み込み帯に平

行して200300km大陸側にできる)が,たまたま既存の本州弧を横切ったと考えて説明

できる。東日本島弧系の成立は第三紀の中頃であり,それに横断されている本州中部の

帯状構造をつくる古期岩類は,それと無関係でより古い。

(2)の,この地域西縁での地形・地質の不連続,すなわち西南日本の帯状構造をつくる

岩石が絶たれていること,地形の不連続が明瞭であることは,この特徴が最近の地質時代

(主に第四紀)にできたことを示唆している。ほぼ糸魚川−静岡構造線に沿って相対的に

フォッサマグナ側が低下したことは確かだが,前述のように,糸魚川−静岡構造線は単純

な東側低下の正断層ではなく,むしろ左ずれ,ないしは逆断層の性質をもっている。この

地域は,フォッサマグナの内部も,近畿・中国地方や関東平野地方にくらべると,新第三

紀末〜第四紀には顕著な隆起をしている。

 (3)(4)の特徴は,伊豆・マリアナ弧の北上にともなう現象(伊豆地塊の衝突はその1つの

)と考えれば大略説明できる。本州の屈曲構造ができた時代は,日本列島が大陸から

離れて移動した新第三紀の中頃であると考える人が多い。(4)の特徴である強い圧縮変形

は,主に第四紀になってからのことであり,その頃に南から衝突してきた伊豆地塊(すなわ

ち,フィリピン海プレート)が押しているためであろう。

 

 [参考] エドムンド・ナウマン(Edmund Naumann18541927)


日本の地質学の基礎を築き,また日本列島の地質構造の概要を初めて明らかにした点で,ナウマ

ンは日本の地質学史上不朽の名をとどめている。ドイツの地質学者で,1875年東京大学に招かれて

地質学教授として,わが国で初めて地質学の講義をもった。1878年に,当時の内務省地理局に地質

課を新設したが,これが現在の通産省工業技術院地質調査所の始まりである。

 ナウマンは翌1879年東京大学を辞して地質課に入り,日本各地の地質を調査し,日本各地の地質

図をつくった。北海道のアンモナイト,伊豆大島火山,四国におけるトリアス紀の石灰岩中の化石,ナウ

マンゾウの名が残るゾウ化石の研究,日本列島の地質構造など偉大な業績を残した。特に日本の地質

構造に関しては,現在もなおその大要について彼の研究結果は生きており,フォッサマグナ・中央構

造線などを指摘したことは,当時の乏しい資料,不便な交通など悪条件の中にあったことを考え合わ

せると,彼がいかにすぐれた地質学者であったかがわかる。有名な著書「Ueber den Bau und die 

Entstehung der Japanischen Inseln(日本列島の構造と生成について,1885)は彼の日本における11

年間にわたる研究の集大成である。1885年に帰国した。


 

[伊豆半島の衝突] 伊豆・小笠原弧は,太平洋プレートの沈み込みによってフィリピン

海プレートの上にできた火山性の島弧である。その北端にある伊豆半島は主に新生代の

火山岩だけからなり,本州のような中生代や古生代の古い岩石はみつかっていない。フィ

リピン海プレートは年間4cm程度の速さで北西へ移動し,南海トラフなどから本州の下に

沈み込んでいる。しかし伊豆・小笠原弧はフィリピン海プレートの移動方向とやや異なって

北北西あるいは北に年間4cm程度で移動している。このため,伊豆半島の地塊はかつて

は南方洋上にあったが,しだいに本州に近づき第四紀の中頃に合体してしまった。火山

島は典型的な海洋底地殻よりも軽いので沈み込めなかったためである。 

伊豆半島の北には丹沢山地や御坂山地などもあるが,それらも伊豆半島と同様,かつ

ての火山島であり,伊豆半島の衝突以前に次々に衝突して本州に結合したものであると

する考えもある。図VIIはそのような考えによって南部フォッサマグナの地質構造を示した

ものである。                       

 南部フォッサマグナ地域には摺曲や断層が著しく発達しているが,それはこのような伊

豆・小笠原弧の衝突によってひどく圧縮されているためである。

 [東北日本の基盤の構造]  東北日本の先新第三系の構造(棚倉構造線以北)も基本

的には西南日本と似たような帯状構造をしていたと推定されているが,しかし,東北地方

の主な構造線やそれらにはさまれた特徴ある岩帯は概して北北西にのび,北北東の本州

の方向や沖合いの日本海溝の方向とは斜交している。この点で西南日本の先新第三系

の帯状構造とは異なる。これは,中新世に日本列島が大陸から離れたとき,東北日本が

西南日本とは異なった向きに回転したことで説明されている。このことは,古地磁気測定

の結果から示されている。

 阿武隈山地には棚倉構造線のほかに,双葉構造線(あるいは畑川構造線,両者は近接

して平行している)がある。前者に沿っては日立−竹貫帯や御斎所帯とよばれる変成帯

(中圧型)があり,後者に沿っては松が平の変成帯(低温高圧型)がある。 

北上山地南西部の母体の変成岩(低温高圧型)は,松が平の変成帯(低温高圧型)の北

方延長であるらしい。北上山地にはそれを中部で斜めに横切る早池峰構造帯などがある

(V参照)。これらの構造線やそれに沿う特徴的な岩帯の帯状構造は,いずれも東北地

方の日本海側にまでのびていると推定されているが,新第三紀層や第四紀火山におおわ

れているところが多く,くわしいことはわかっていない。

 このような東北日本の構造は,北海道西部まで確実に続いている。さらに北海道中部の

神居古潭帯(高圧低温型変成帯)は,三波川変成帯の続きとみられる。神居古潭帯より東

側にある日高帯は,四万十帯に相当する付加体である(日高変成岩は,後にその東方に

あった島弧の衝突を受けて露出した)。このような考えによれば,西南日本の帯状構造を

つくった中生代の沈み込み帯は,東北日本の沖合いを通って,少なくとも北海道中部ま

で,そしてさらに北方の樺太(サハリン)方面まで続いていた。

 

 

 








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