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第2節 顕生代

 

 

古生代の区分

旧古生代の生物

新古生代の生物

古生代の海陸分布と気候

中生代の区分

中生代の生物

中生代の造山運動

新生代の区分

新生代の生物

第四紀

新生代の自然環境

人類の出現と進化

大量絶滅

 

 

古生代の区分

 古生代は6つの紀に区分されるが,その名称の由来などを概略すると次のようになる。

@)カンブリア紀(Cambrian Period54300万年前〜5億年前);ウェールス地方のケルト人の古称,Cambriaをもとにシジュイック(Sedgwick)が1836年に命名。

A)オルドビス紀(Ordovician Period.5億年前〜44000万年前);ウェールス地方のケルト族の別称Ordvicesに基づいてラプワース(Lapworth)が1878年に命名。

B)シルル紀(Silurian Period44000万年前〜41000万年前);ウェールス地方に,ケルト族以前に住んでいたシルル族(Silures)にちなんで,マーチソン(Murchison)が1831年に命名。初めはシルル紀の中にカンブリア紀・オルドビス紀も含まれていたが,後に,それぞれ別の紀として独立されるようになった。シルル紀の代わりに,ゴトランド紀Gotlandian Period(バルト海のゴトランド島による)が使われていたこともあるが,1961年の国際地質学会議でシルル紀を正式に使うことになった。

C)デボン紀(Devonian Period41000万年前〜36000万年前);イギリスのデボン州(Devonshire)によく分布するので,1839年にシジュイックとマーチソンが与えた名称。

D)石炭紀(Carboniferous Period36000万年前〜29500万年前);carboniferousは石炭を多く含むという意味。1822年にコニベア(Conybeare)とフィリップス(Phillips)により,イングランド・ウェールスの夾炭層とその下位に続く地層に対して,石炭系の名が与えられた。

E)ペルム紀(二畳紀Permian Period29500万年前〜25100万年前):ドイツでは,石炭を含む地層の上にロートリーゲンデス(Rotliegendes)累層とツェヒスタイン(Zechstein)累層の2つの地層群がのっているのでこれをDyasとよんでいた。このDyasという語が明治の頃日本にもたらされ,二畳紀とよばれるようになった。しかし,マーチソンはウラル山脈の西側にあるフズリナなどの化石を豊富に含む地層に基づいて,ペルム紀(この地方の地名Permによる)の名を1841年に与え,現在はPermianが国際地質学連合で公認されている。したがって日本ではPermianに対してペルム紀と二畳紀の2つの語があてられている(弊社の教科書でも,現場の要望に沿ってペルム紀(二畳紀)と併記している)が,これは本来はペルム紀に統一されるべきものと思われる。

 

旧古生代の生物

 カンブリア紀からシルル紀までを旧古生代といい,この時代は主に水中生物の栄えた時代である。カンブリア紀には原生動物・海綿動物・腔腸動物・節足動物・軟体動物・腕足類・棘皮動物・原索動物など脊椎動物以外のすべての動物の部門や,海藻など水中生活をする生物のほとんどが出現している。

 カンブリア紀の動物化石を多く含む地層としては,カナダのロッキー山脈地域に分布するバージェス頁岩(Burgess shale)が有名である。この地層は約5億年前の閉じた潟のようなところに堆積した地層で,その中にはサンヨウチュウ(三葉虫)・甲殻類・海綿など,70130種の動物化石が知られている。その動物群のなかの1つ,アノマロカリス(Anomalocaris)は,最初の肉食動物である。サンヨウチュウなどを捕食していたものと考えられている。

 

 サンヨウチュウはカンブリア紀の初めに出現した水中生活の節足動物で,現在のクモ類に近いが,かたい殻をもっていたので化石としてよく残されている。大きさは数mmのものから大きなものでは50cmくらいに達するものもある。カンブリア紀・オルドビス紀には種類も特に多く,時代を細かく分けるときの示準化石となっている。サンヨウチュウは新古生代には衰え,ペルム紀にはほぼ絶滅している。

 フデイシ(筆石)はカンブリア紀に出現し,オルドビス・シルル紀に栄えた動物で,小さな羽根をゴムにさして逆さにしたような形をしている。この羽根状のものが泥岩の中にちらばって化石となっている。オルドビス紀・シルル紀の地層を細分するよい示準化石である。脊索動物の先祖に近いものとされている。

 クサリサンゴ(Halysites)はシルル紀のサンゴで,くさり状をしている。

 カンブリア紀から出現し,オルドビス紀に多くの種類が現れたものに,オウムガイのなかまがある。これは頭足類で,貝の中に入ったイカやタコのようなものである。貝の内部はセプタとよばれる隔壁によっていくつもの部屋に分かれているが,貝の形はまっすぐのものから,しだいにカーブして巻貝のような形をとってくる。セプタと外の貝殻との接合部を縫合線という。現在の海にすむオウムガイ(ノーチラス)は,この子孫である。

 カンブリア紀末に魚類の出現したことは特筆される。これはシルル紀からデボン紀には,カッチュウ魚のような外骨格をそなえたものに発展し,デボン紀の海に栄えるようになった。シルル紀には,海藻のなかまから,潮の干満などの関係で,しだいに陸上に生育できる植物に進化するものも出て,下等なシダ植物とみられるクックソニアも現れた。

 

新古生代の生物

 カンブリア紀末に出現した魚類はシルル紀から発展し,デボン紀に大繁栄した。そのため,シルル紀後半からデボン紀にかけてを“魚類時代”ともいう。両生類は魚類のなかから進化したもので,その最古の化石イクチオステガ(Ichthyostega)は,グリーンランドの上部デボン系から発見された。

 陸上に動物が上がったのは,その前に陸上に植物が茂り,動物が生存していくために必要な食料が豊富になってきたからである。植物は,デボン紀から石炭紀にかけて,シダ植物に多くの種類が現れている。それらは現在見られるシダのように小形のものではなく,巨大なものでは高さ30m,根元の直径1mに達するものもあった。ロボク(Calamites)・リンボク(Lepidodendron)・フウインボク(Sigillaria)などは,これらシダの大木のなかまである。このようにシダの大木が繁茂したのは,石炭紀の気候が一般に暖かかったためであるが,次のペルム紀(二畳紀)になると寒冷化してきたため,それらは絶滅していく。石炭紀のシダの森林の間を,羽を広げると1mもあるような大きなトンボなど,昆虫が飛びまわっていた。

 

[紡錘虫の進化] フズリナ(Fusulina)は有孔虫のなかまである。原生動物の有孔虫のなかには,ときどきその殻の構造が複雑になり,大きさも大形化するものが現れている。古生代の石炭紀からペルム紀にかけてのフズリナ科のもの,中生代白亜紀のオルビトイデス(Orbitoides),新生代のカヘイ石(Nummulites)やレビドシクリナ(Lepidocyclina・ミオギプシナ(Miogypsina)などはそれらであり,いずれも進化の速度が速く,それぞれの種の生存期間が短いため,地層を細分・対比するときに役だつ示準化石になっている。

 

古生代の海陸分布と気候

 古生代には,大規模な造山運動が2回あった。すなわち,古生代前期から中頃にかけてのカレドニア造山運動,および古生代の後期から末期のバリスカン造山運動である。

下図は,古生代の石炭期と中生代のトリアス紀(三畳紀)の海陸分布を示したものである。石炭紀にはヨーロッパとアジアが3つの部分に分かれていたが,トリアス紀(三畳紀)には互いに衝突・合体して,ウラル・クンルンの山脈ができ,全体としてパンゲア大陸となっている。

 古生代の気候は,貝類化石を使って測られた18O/16O値などにによって推定されている。それによると,石炭紀には一般に水温が暖かくまた比較的一定しているが,ペルム紀では水温の高低の幅が20℃にも達している。この低温の水は,古生代末期に,南半球に氷河時代のあったことを示しているようである。

 

中生代の区分

 中生代は,トリアス紀(三畳紀)・ジュラ紀・白亜紀の3つの紀に分けられる。それらの名称の由来などは次のようである。

@) トリアス紀(三畳紀Triassic Period25100万年前〜22000万年前);

1834年にアルベルティ(von Alberti)が南ドイツでBuntsandstein(非海成),Muschelkalk(海成・石灰岩),Keuper(非海成)の3累層が重なっていることからTriasと名付けたものであり,三畳紀の訳語はこれによる。ぺルム紀を二畳紀とよぶように,これも本来はトリアス紀としたほうがよいと思われる。

A)ジュラ紀(Jurassic Period21000万年前〜14500万年前);

フランス・スイス国境のジュラ山脈によく発達し,多くのアンモナイトの化石を産する。ブロニアール(A.Brogniart)が1829年に命名。

B)白亜紀(Cretaceous Period14500万年前〜6500万年前);英仏海峡両側に広く発達するチョーク(chalk,白亜。白墨のようなやわらかい石灰岩で有孔虫・ナンノプランクトンなどの石灰質の微化石を多量に含む)に基づいてダロア(d'Halloy)が1822年に命名。

 

中生代の生物

中生代は,爬虫類とアンモナイトの時代といわれる。アンモナイトは中生代を代表する海生の軟体動物頭足類で,オウムガイ類と同じく,イカやタコが貝殻の中に入っているようなものである。貝の内部がセプタによっていくつもの部屋に仕切られているが,オウムガイと違って,これらのセプタが貝の外につく部分,すなわち縫合線がきわめて複雑な曲線を描いている。アンモナイトはすでにシルル紀に現れているが,古生代のアンモナイトの巻き方は比較的シンプルであったが,中生代のものになるとしだいに複雑になり,特にジュラ紀・白亜紀になるときわめて複雑になった。また,貝の大きさも大きくなった。アンモナイトの分類と進化をみるときに縫合線の描く模様はきわめて重要であり,これによって地層を細分し対比することができる。白亜紀の末期になると,殻の巻き方に変則的なものも現れる(図T)。進化の過程で,このような変則的なものが現れるようになると,そのなかまは衰亡に近づいたことを物語っているといえる。事実アンモナイトは白亜紀の終わりに完全に絶滅してしまった。

図T アンモナイトの変則的な巻き方

 

鳥のなかまもジュラ紀に現れた。爬虫類のなかまにも翼をもつプテラノドン(Pteranodon)などがあるが,ドイツ・ババリアのゾーレンホーフェンの石版石採掘場で発見された始祖鳥((Archaepterix),ジュラ紀)は,はっきりした羽(羽毛)をもっている。 中生代には,古生代のシダ植物にかわってソテツ(キカデオイデア(Cycadeoidea),ニルソニア(Nilssonia)),シダ(クラドフレビス(Cladophlebis)),イチョウ(ギンゴイテス(Ginkgoites))などで代表される裸子植物が栄えた。植物の新しい型の出現は,常に動物の大きな変化に先行するのが注目される。

 エントモノチス((Entomonotis),トリアス紀),イノセラムス((Inoceramus),白亜紀),トリゴニア((Trigonia),三角貝,ジュラ紀・白亜紀)は,中生代の二枚貝の示準化石の代表的なものである。

 

[恐 竜] 爬虫類,特に巨大な恐竜も中生代の代表的な生物である。最近,日本でも恐竜化石の発見が相次ぐようになった。特に福井県・石川県で多い。ディノサウルス(恐竜)という名は,イギリスの解剖学者リチャード・オーエンが1841年に造語したものである。それまでみつかっていた化石を解剖学的に調べなおし,まったく異なる化石種であることをつきとめた。それらはいずれも非常に大きく,身体の下に太いあしをもつ陸上動物であった。そこでオーエンは,ギリシア語のディノスとサウロス(恐ろしいトカゲ)を合わせて恐竜と名づけた。現在,恐竜は次のように分類され,腰の骨の構造の違いからは大きく2つに分けられている。

 

 

図U 中生代の恐竜

 

子供にとって恐竜の魅力は強烈である。絵本や学校での学習や博物館見学で,恐竜は子供の心に強烈な印象を残し,舌をかみそうな恐竜の名前を暗記してしまう。子供の頃いだいた恐竜への憧れはしだいに薄れていくが,恐竜への関心がまったく消え去ってしまうことはない。恐竜の化石発掘などのニュースは人々にとって興味深いものであることは確かである。

 

中生代の造山運動

 下図は,分裂前のパンゲア大陸を示している(ジュラ紀に分裂)。テチス海をはさんで,北のローラシア大陸と南のゴンドワナ大陸に分けられ,それぞれ植物群が異なっている。南アフリカ・インド半島・オーストラリア・南米などの古生代後期〜トリアス紀前期の地層から化石として産出するグロソプテリ(Glossopteris)などで代表される植物群は,このゴンドワナ大陸に繁茂したものと考えられ,ゴンドワナ植物群とよばれている。

 この後,ジュラ紀から始まったプレートの新しい運動にともなって,大西洋が生まれ,テチス海はせばめられて,アルプス造山帯を生じる。また,北アメリカプレートの西方への移動にともなって,その前面にコルディレラ造山帯(ロッキー−アンデス)が生まれることになった。

 

新生代の区分

 新生代(新しい生物の時代)は中生代が爬虫類の時代といわれるのに対して,哺乳類の時代といえる。ほぼ6500万年前に始まる新生代は,古第三紀,新第三紀・第四紀に大分され,さらに下図のように細分されている。1819世紀初めにかけて第一紀・第二紀に続く名として使われていたものであり,いまでは第一紀は先カンブリア時代と古生代,第二紀は中生代となり,第三紀と第四紀だけが新生代の中の紀として残されている。第三紀は古第三紀(Paleogene Period)と新第三紀(Neogene Period)にわけられるが,一括して第三紀とよぶ場合もある。その場合にはこの2つを亜紀としている。第四紀は第三紀に続き,平野などのできた時代として提案され,人類の時代ともいわれている。

 

新生代の生物

[古第三紀] 古第三紀には恐竜など中生代型の生物がいなくなり,現在の哺乳類の大部分の種類の先祖型が出現している。白亜紀末に寒冷化していた気候が温暖になり,シベリア・カナダ・アラスカ・グリーンランド・北欧なども温帯であったことが植物化石によって確かめられている。北海道・サハリンもその例で,これらの地方の石炭は,この頃繁茂していた温帯〜亜熱帯型の植物がもととなっている。カへイ石(Nummulites)は,直径数ミリから数センチの円盤形の有孔虫で,この時代を特徴づけ,特に始新世に多い。エジプトのピラミッドをつくっている石灰岩にたくさん入っているので古くから知られている。フランスではいまでも古第三紀のことをヌンムライト紀とよんでいる。

カへイ石は,九州の天草の始新統や,小笠原,沖縄東方のフィリピン海の海底などから発見されている。カヘイ石の横断面は中央の初房からだんだん施回状に成長していく構造を示している。これを縦に切ると図Tのような断面となる。

複雑な構造をもつ有孔虫は大形のものが多く,大形有孔虫とか高等有孔虫とよばれている。古生代のフズリナや中生代のオルビトリナ,新第三紀のレピドシクリナ・ミオギプシナなどはいずれも大形有孔虫で,大部分は温かい水温の浅海にすんでいたといわれている。古第三紀にはカヘイ石のほかにもいろいろな大形有孔虫が多く,進化の速度が早いので,よい示準化石として使われている。

 

図T カヘイ石の縦断図

 

[新第三紀] 新第三紀は中新世と鮮新世に分けられているが,鮮新世はきわめて短く,中新世を前・中・後の3期に分けたものの1つに対応するとみたほうがよい。新第三紀は浮遊性有孔虫の出現・消滅とその組み合わせによって,ほぼ18の化石帯に分けられている。1つの化石帯の時間的な長さはほぼ100万〜200万年である。貝の化石も多く出るが,場所による違いが大きいので遠距離にわたる対比には使いにくい。しかしそれらは,示相化石としてはきわめて重要である。哺乳類は進化の速度が速く,またその化石も各地に産出するが,完全なものが得られにくく,また地域的な違いも大きいため,世界的にみるときには,およその変化の傾向を知るだけで,細かい対比には役だたないことが多い。

 

[ゾウの進化]  ゾウの祖先は古第三紀のフィオミア(Phiomia)とパレオマストドン(Paleomastodon)の2属とされている。新第三紀に栄えたゾウはマストドン(Mastodon)のなかまである。長顎マストドンは,あご・鼻・上くちびるなどが長くのび,牙は上あごのものは長くのびて下に向い,下あごの牙は短い。日本でこのなかまに属するものとしてはゴンフォテリウム(Gomphotherium)がある。短顎マストドンは首や下あごが短くなり,下あごには牙がなく,上あごの牙は太く大きく,上に曲がって前に突き出し,鼻と上くちびるはたれ下がっていて,現在のゾウに似ている。アジアに多いステゴドン(Stegodon)といわれるゾウもこのなかまに近い。日本のステゴドンとしてはアカシゾウ(Stegodon akashiensis,約100万〜200万年前),トウヨウゾウ(Stegodon orientalis20万〜50万年前)などがある。第四紀には現在のゾウ,エレファス(Elephas)のなかまが栄える。マンモス(Mammuthus)や,日本の更新世後期の地層から多く産するナウマンゾウ(ElephasPalaeoloxodon) naumanni)もこのなかまである。しかし,更新世の終わりに大部分が滅びてしまい,完新世にはインドゾウ(Elephas maximus)とアフリカゾウ(Loxodonta africana)の2種だけになった。

 

[プランクトン化石による地層の対比] 図Uに,プランクトン化石の例を示す。これは浮遊性有孔虫群の光学顕微鏡写真で,中新世中期のものである。グロビゲリノイデス・オルブリナなどが示されている。浮遊性有孔虫のグロビゲリナ科のものは,一般に石灰質の小さな球状の殻をもっており,成長するときは,外側により大きな球がついていく(図V)。この殻のくっつく部分を縫合線というが,その部分に口孔があって,原形質が出入りして生活する。口孔は1つのもの(グロビゲリナ)や2つ以上のもの(グロビゲリノイデス)があるが,有孔虫の生活には必要なものである。

 グロビゲリノイデスの出現したときは,ほぼ新第三紀の初め(2400万年前)で,オルブリナの出現の時期は中新世中期(約1500万年前)である。このように,ある生物の出現の時期は時代を決めるのにきわめて有効である。

図U

 

図V グロビゲリナの口孔

 

第四紀

 第四紀は現在を含み,また現在の人間の生活する環境のできた時代であり,“人類紀”(Anthropogene),あるいは“叡智の時代”(Psychozoic)ともいわれている。このことは第四紀における気候の寒暖の交代,氷河の消長とも関係が深く,わず160万年という短い地質時代であるが,地表の地形・土壌・人類の進化−文化史などとともに,他の地質時代とくらべて特にくわしく研究が進められてきている。これらを総合する分野として“第四紀学”ということが多い。第四紀は人類の時代であるが,人類以外の生物は新第三紀のものと大差なく,地層も第四系最新統の下半は鮮新統からひき続いている場合が多く,第四紀の始まりをどこにおくか問題が多い。第四紀が“大氷河時代”(Great Ice Age)であることから,気温(または水温)の低下するところに境をおくとする方法があるが,これも鮮新世後半(300万年前以後)の状態は更新世初期とほとんど同じであるのではっきりしない。

 

参考グロマー・チャレンジャー号による深海底の調査

プランクトンなど微化石が重視されだしたのは石油の探査のためであり,1957年以来カリブ海沿岸地域で,細かい対比に成功し,世界各地で利用されるようになった。深海底の堆積物のボーリングによる調査にも使われるようになり,深海基盤の玄武岩までボーリングをし,コアについて浮遊性有孔虫・放散虫・ケイソウ・ナンノプランクトンなどの微化石や,地磁気異常を調べるために,グロマー・チャレンジャー号がつくられ,1968年以来大西洋を手はじめに全大洋の海底の調査が進められた。

1968年のアフリカとブラジルの間を横切る調査により,海嶺付近の玄武岩の直上の堆積物は第四紀のものであり,東西に離れるにつれて鮮新世・中新世・古第三紀・白亜紀と古くなっていることが立証され,それが1970年に世界海洋会議(東京)で発表されたときは大きなセンセーションを巻き起こした。地磁気異常の縞模様のデータの集積にともなって海洋底移動の速度も推定できるようになりプレートテクトニクス説による新しい地球観の立証にまで進んだわけである。この研究は国際協力による深海底調査計画となり,いまでは新しい調査船ジョイデスレゾリューション号によって調査がひきつがれている。

 

新生代の自然環境

[新生代の地殻変動]  現在の大洋底には16000万年より古いものはほとんど見られない。プレートの動きとプレートの衝突によって生ずる地殻変動は,中生代後半から新生代にかけてのものである(アルプス造山帯によって代表される)。南北アメリカのプレートの西進と太平洋プレート・ナスカプレートの衝突によってアメリカ西部の山脈が生まれ,成長し,アフリカプレートとインド・オーストラリアプレートの北進,およびユーラシアプレートとの衝突によってアルプス−ヒマラヤの山脈が生まれ,太平洋プレートの西進とユーラシアプレートとの衝突によって日本を含む弧状列島が生まれた。これらのプレートの運動は現在も続いていて,地震の発生・火山の噴火なども見られる。こうしたプレートの動きは,海洋底の調査によって最近かなりよくわかってきた。すなわち,新生代には大西洋は拡大し,太平洋の東側の海底は南北アメリカ大陸の下に,西側の海底は日本海溝などの海溝列のところで沈み込み,古い海底はマントル内に消滅し,海嶺で新しい海底が生まれている。

 

[氷期と間氷期]  19世紀の中頃,アガシー(L.Agassiz)は,アルプスの氷河とその周囲の低地を研究し,ヨーロッパが,かつて広く氷河におおわれていたことを結論づけた。中部ヨーロッパ・イギリスなどで広い地域が砂礫層におおわれ,その中に巨大な岩塊が遠方から運ばれてきているものが各地で発見されていて,これらは迷い子石とよばれ,アガシーの研究以前にはノアの大洪水によるものと信じられていた。日本でよく使われる洪積層(洪積世)の原語はDiluviumで,“大洪水でできた層”という意味のものである。現在,Diluviumは欧米ではほとんど使われていない。かわってライエルの命名したプライストシーン(Pleistocene)が使われ,日本でも英語ではこれを使っている。その訳語は,最新世(または更新世)である。このような氷河の運搬した泥や礫の堆積物を氷礫土という。氷礫土の間に温暖な時期を示す土壌・泥炭・湖沼堆積物などがはさまっていることが多く,これらの研究によって,氷河の発達した寒冷期と温暖な間氷期の交互していることがわかってきた。ペンク(A.Penck)とブルックナー(E.Bruckner)とは,1909年,アルプス北麓のババリアの地域でこれらを研究し,アルプス付近にギュンツ・ミンデル・リス・ウルムの4回の氷期と,その間にある間氷期とを認めた。これらはミュンへン西方のドナウ川の支流の川や湖の名を用いたものであり,G→M−R−Wとアルファベットの順に新しい。その後,ギュンツより古い寒冷期(あるいは氷期)が発見され,それはドナウ寒(冷)期とよばれている。その後,ドイツ以北の北ヨーロッパ(イギリスを含む)・北米などでも同じような氷期・間氷期の交互していることがわかってきた(表)。

 

表 アルプス・北ヨーロッパ・北アメリカの氷期の対比

 

 

この対比表でミンデル氷期(第2氷期)以来の対比はほぼ意見が一致しているが,それ以前のものについてはまだ問題が多い。特に北米のネブラスカン氷期についてはもっと古いという説も強い。なお,各氷期は2〜3回の亜氷期に分けられ,その間に亜間氷期が認められている。したがって4回の氷期といっても,実際の寒・暖の交代は10回くらいになるわけである。海洋底のコア中の微化石(特に浮遊性有孔虫)の殻のCaCO3中の酸素の180/16Oの比に基づいて古水温が測走されていて,そのデータは増加してきている(図T)。図Tを見ると鮮新世後期から100万年前頃までの水温の高低の幅は狭いが,ハラミヨ・イベントのあたりから高低の幅が大きくなり,陸地に大規模な氷河が発達したことを示している。最新世の中〜後期(100万年前から)を大氷河時代とするのはこのような理由からである。

 図Uは,カナダ・グリーンランドの現在の氷河氷の中で見られるウルム氷期とリス−ウルム間氷期で,これらの氷河の氷の下のほうは12万年も前のものであることを示している。約1万年前にヨーロッパ・北アメリカなどの大規模な氷床が消滅していくとき以後を後氷期といい,地質時代としては完新世(Holocene)または現世(Recent)を用いている(日本では沖積世ということも多い)。しかし,これが間氷期であって再び氷期がくるという説が,最近では有力になってきている。

 

 

 

[氷期・間氷期と海面の変化] 氷期には水が氷河の氷となって固定されるため海水の量が減り,海面が下降し,間氷期には逆に海面が上昇する。大氷河時代における海面の上昇・下降の幅は200m以上に達しており,氷期には現在の大陸棚の大部分は陸化していた。図Vは25000年前のウルム氷期中の亜間氷期から最後の亜氷期(2万年前)の海面下降期を経て現在の海面まで上昇してきた様子を示している。

 

 

 

図Vでは明瞭でないが,図Wの日本での後氷期(完新世)の海面変化曲線を見ると,50006000年前には現在より3〜5m海面が高くなり,下降して現在にいたっていることがわかる。これは日本では縄文海進といわれている。関東など各地で陸の奥のほうまで縄文時代の貝塚の分布が見られるのはこのためである(大阪湾は生駒山の麓まで達していた)。また各地の海岸で,現海面より2〜5m高く海食の跡が見られることが多い。もっとも,地震の多い日本では地殻そのものの上昇によるものもあるから,すべてをこの海面変化によるものとすることはできない。瀬戸内海が現在の景観をとるようになったのも,北欧のフィヨルドも後氷期の海進によるものである。現在河口付近にある日本の平野は,縄文海進で海が侵入してできた湾が土砂に埋められてできたところが多く,このようなところでは地盤沈下が起こりやすい。もし,地球が暖かくなり,南極・グリーンランドにある大氷床がとけてしまうことがあれば,海面は5060mも上昇し,海面に近い高度にある平野(多くの都会がある)は海に没するという大惨事が起こるだろう。氷期・間氷期の海面の変化は,海面を侵食の基準面とする河岸段丘・海岸段丘・おぼれ谷・埋積谷など陸地の地形にも大きな影響を及ぼすので,氷河の発達地域だけでなく全地球の陸地の地形に関係してくることに注意したい。

 

人類の出現と進化

 人類の出現時期については,新しい化石の発見があるごとに大きく書き換えられてきた。特に近年は研究が目覚ましく,常に気をつけておかなければならない。

[霊長目の出現] 霊長目の原始的な原猿亜目(ニセザル)のいくつかが6500万年前(白亜紀の終わりか暁新世の初め)北米に出現している。これは現在東南アジアにすむツパイ(キネズミ)に似たもので,樹上生活をするリスに似た生物であった。このニセザルのなかまは,当時まだ北方でつながっていたグリーンランド(始新世の頃は熱帯〜亜熱帯であった)を経て,ユーラシア・アフリカに渡り,アフリカ・アジアなどでいろいろなサルのなかまに進化する。暁新世の末,約5500万年前にはツパイ科のニセザルがすでにヨーロッパ・アジアにすんでいた。サルや類人猿・人類を含む真猿亜目は,始新世後期に出現した。エジプトのカイロ南方100kmのファイユム付近の始新世末期〜漸新世前期(3700万年前)の地層からパラピテクス,プロプリオピテクスなどが発見されている。これらは類人猿・人間の共通の先祖であるらしい。なお,この地層はゾウの先祖メリテリウムやフィオミアなどの化石の出た地層でもある。新第三紀に入ると中新世前期(2400万年〜1500万年前)のケニヤの地層からプロコンスルが発見されている。これもヒト上科(類人猿と人を含む)のものらしいが中新世前期の化石資料はこれだけしかない。

中新世中期(1500万年〜1000万年前)になるとドリオピテクス(インド・ヨーロッパ・中国・アフリカなど)とラマピテクス(インド・ギリシア・中国など)が出現し,中新世後期まで生存している。ドリオピテクスは類人猿の先祖といわれている。ラマピテクスは初めドリオピテクスの中に入れられていたが,一時,これをヒトの最古のものと考えたときもあった。しかし1982年に,中国でラマピテクスはオランウータンの先祖だとする意見が現れ,それがしだいに有力となり,現在ではオランウータンの先祖とされている。

 

[最古の人類 サヘラントロプス] 1996年ミシェル・ブルネたちのフランスの研究チームがチャド(中央アフリカ)に分布する約700万年前の地層から人類化石(トゥーマイ)を見つけた。この化石は人類がチンパンジーの祖先から進化した直後の最古の人類化石と考えられている。

 

 DNAによる研究では人類とチンパンジーが別れたのは500万年前前後とされていたが,トゥーマイはさらに100万年もさかのぼることになった。これまではほとんどが東アフリカのビクトリア湖周辺に限られていた最古の人類化石発見場所は,トゥーマイの発見で中央アフリカにも可能性が広がった。

 

 

[猿人アウストラロピテクス] この人類化石は初め,南アフリカから発見され,1959年に,東アフリカのオルドワイ(Olduvai)峡谷から180万年前のものが発見された。その地層はカリウム−アルゴン法で綿密に年代測定されており,また地磁気のオルドワイ・イベントのもととなった層でもある。その後,アウストラロピテクスは,ケニヤやエチオピアなど各地から発見され,エチオピアのオモのものは約300万年前のものと測定されている。1967年にはツルカーナ湖の西南のロタガムで約450万年前の猿人化石が発見された。一方,オルドワイの猿人発見の同一層およびそのすぐ上の地層からもっと進化した原人化石が発見され,ホモ・ハビリス(Homo habilis)と名づけられた。この層から発見される礫石器は,この原人のものか猿人のものか不明である。さらに,原人らしいものがツルカーナ湖東岸のコービフォラで発見され,260万年前と測定されたが,この化石が原人であるかどうかはまだ問題である。猿人は鮮新世初期(500万年前)頃から100万年前頃まで,東アフリカ・南アフリカ・ジャワなどにいたもので,礫石器や骨石器のような道具を使っていたらしい。

図U 東アフリカの化石地図

 

 近年,人類の進化について2つの重要な発展がみられた。1つは生化学的研究で,人と各種の類人猿のDNAの塩基配列の比較研究(分子人類学とよばれる)により,人と類人猿の分かれたのは400万〜600万年前(500万年前後)という結果がでてきたことである。もう1つは,エチオピアのアファール地方,続いてタンザニアのラエトリで新しい猿人化石や足跡が発見されたことで,これは,Australopithecus afarensis(アファール猿人)と名づけられた。カリウム−アルゴン法の年代決定では300万〜400万年前である。このアファール猿人が最初の人類で,これからアフリカヌス猿人・ボイセイ猿人(オルドワイ)の猿人系統(100万年前に絶滅)とハビリス原人−エレクトス原人の系統が現れ,後者が人につながってくるという見解が有力になってきた。最初の人類は鮮新期の初期に,原人(Homo)は第四紀に入る直前に出現したということになる。

 

[原人ホモ・エレクトス] 2004年にインドネシアでフローレス原人が発見された。この原人は約1万年前まで生きていたと考えられ,私たちホモ・サピエンスとつい最近まで共存していたと思われる。原人ホモ・エレクトス(Homo erectus)は19世紀末にジャワから発見され,ピテカントロプス(Pithecanthropus erectus),ジャワの直立猿人とよばれ,現在はジャワ原人とよばれているものである(ジャワの地質博物館にある)。その後,北京付近の周口店からみごとな化石が発見され,この原人は石器や火を使っていたことも明らかになっている。ヨーロッパのハイデルベルク人や,最近南フランスで発見されたタウタべル人などにより,原人がヨーロッパにもすんでいたことが確実になった。タウタべル原人は45万年前のミンデル氷期のもので,アブビリアン型の前期旧石器を多産する。原人の石器はヨーロッパでは,アブビリアン文化・アシューリアン文化とよばれている。

 

 

[旧人ネアンデルタール人] 旧人はネアンデルタール人とよばれ,学名はHomo sapiens neanderthalensisである。

1856年に西ドイツ,ジュッセルドルフの近くのネアンデルタールで発見されたもので,最初に発見された化石人骨である。現在はヨーロッパ・アジアの各地で発見され,現代人と同じ種に入れられている。その石器はムステリアン文化とよばれている。イスラエルで東大の研究班が発見したアムッド人は旧人の最も進化した型だとされている。浜名湖の近くの牛川で発見された化石は旧人だとされていて,化石が戦災で焼失して問題のある“明石原人”を除いては日本で最古の人類化石である。

 

[新人ホモ・サピエンス] 新人は現代人を含むもので,学名はHomo sapiens sapiensである。その最古のものはフランス南西部やスペインで発見され,その後ヨーロッパ各地でも産出しているクロマニヨン人である。クロマニヨン人は,4万年前から1万年前までのウルム氷期の頃にいた人類で,ソルトレアン・マグダレニアン文化という最も進んだ石器を使っていたほか,フランスのラスコー洞穴やスペインのアルタミラ洞穴など多くのみごとな壁画を残している。壁画の中にはマンモスなどもあり,石器を使ってマンモス狩りをしていたことがわかる。モスクワの近くで発見されたクロマニヨン人は,身体にマンモスの骨や歯でつくった胸飾りや腕輪などをまとっていたことや,衣服をつけていたことも知られている。

 後氷期になると新石器時代に入り,土器をつくるようになり文化はさらに進み,石器原料となるフリント(火打ち石)を得るために地下に掘り込んだ鉱山のはじめらしきものなども残されている。そして,金属時代を経て歴史時代に入る。

 

[ヒトとサルの違い]  猿人・原人・旧人・新人の脳容積をくらべてみると,猿人はゴリラとほとんど同じであるが,原人→旧人→新人とぐんぐん大きくなっていることもわかっている。ヒトとサルの違いを要約すると次のようにまとめられる。

(1) ヒトは常時直立二足歩行をする。これはその骨格(特に腰と首)に現れてい る。

(2) 二足歩行により解放された手を活用し,道具をつくり,それを使用する。

(3) 頭骨の形態の変化と脳容積の増大→文化の発達

(4) 歯の配列と犬歯・臼歯の形,これは食物の違いによって生じたものと思われる。

 いま,人類の進化を見ると,猿人の時代は300万年,原人の時代は180万年,旧人は約15万年,そして新人(クロマニヨン人)3万年,新人(新石器時代以降)1万年となり,さらに歴史時代に入って文化の発達はテンポをぐんぐん早めてきているということに注意したい。また,原人−旧人−新人の進化は氷期・間氷期の交代というきびしい環境の中で行われ,ついに地球上のどこにでも自分の住める環境をつくり出すという他の動物にみられない現代人となったわけである。

 

参考チャールス・ライエル(Charles Lyell17971875年)

ライエルはイギリスの地質学者で,少年時代から旅行を好み,英国だけでなくヨーロッパをはじめアメリカなども旅行し,その精細な観察から,1830年に地質学原理を著わして,近代地質学に新しい体系を与えた。

 彼の考えは,ジェームス・ハットンの“Present is the key to the past”(現在は過去の鍵である)という考え方を実証的に発展させたもので,現在も遠い過去も同じ法則に支配されており,山も川も海も現在の現象を研究して見いだされた法則に従ってつくられたものだという。これを斉一観といい,これに対して,それ以前に有力であった考え方を大変革観とよぶ。大変革観では過去の事件はただ推測によってしか説明できないこととなる。

 

[第四紀と第三紀の境界]  この境界は現在人為的に地磁気のオルドワイ・イベントのところにおかれている。これはまた,人類進化で,原人の時代に入る頃にあたる。ただし気候的には大氷河時代の初めよりは古い。オルドワイ・イベント付近は,微化石では浮遊性有孔虫のグロボロタリア・トルンカチュリノイデスの出現(下図)と,ナンノプランクトンの星形をしたディスコアスター(Discoaster)の消滅などが有効な目安となっている。

 

大量絶滅

 ペルム紀末と白亜紀末に大量絶滅があったことがわかっている。

大量絶滅の時期は,年代区分の末期に一致する。古生代ペルム紀末には,大きな環境変化が起きたと考えられるが,その原因は現在のところよくわかっていない。

中生代白亜紀末には,巨大な隕石が落下・衝突したため,気候,環境が急変し,大量絶滅が起こったと考えられている。また,その他の原因として,火山活動,気候の激変,海水準の変動,大気や海水の成分の急変なども考えられ,さまざまな原因が論議されている。

大量絶滅が起きると,その後新しい型の生物が次々と出現するので,生物界は急激に変化する。過去に栄えた生物が絶滅した時期と一致し,その後全く異なる種類の生物が現出するのも,大量絶滅の特徴といえるかもしれない。こういった大量絶滅の積み重ねによって,生命が進化してきたといっても過言ではないだろう。今後,こういった大量絶滅の時期として,次の氷期が考えられている。

 

参考文献・引用文献

 ○小嶋 稔 岩波新書「地球史」岩波書店

 ○岩波講座 地球科学6「地球年代学」岩波書店

 ○浅野 清・松本達郎ら「地史学」上・下 朝倉書店

 ○湊 正雄「日本の第四系」築地書館

 ○川井直人・池辺展生ら ブルーバックス「人類の現われた日」講談社

 ○埴原和郎 中公新書(増補版)「人類進化学入門」中央公論社

 ○大森昌衛 朝日小事典「古生物学」朝日新聞社

 ○小島郁生 カラー自然ガイド「失われた生物」保育社

○堀江正治「琵琶湖底深層1400Mに秘められた変遷の歴史」同朋舎出版

 

 

 

 








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