トップ新編生物I 改訂版序部 サクラはいつ咲く

序部 サクラはいつ咲く

 

【桜】サクラ,特にソメイヨシノは毎年開花が話題になる春の祝事にふさわしい花である。植物は通常,葉が展開した後で花が咲くことが多いのに,ソメイヨシノは葉が出ないうちに花が咲いている(ちなみに,マメザクラも同様である)。また,果実も貧弱で種子では増えない。以下,(A)(B)(C)に平凡社大百科事典の「桜」の項目を抜粋する。

(A)一般にサクラと総称しているものは,主として北半球の温帯と暖帯に分布しているバラ科サクラ属サクラ亜属の主として落葉性の樹木。日本には10種類ほどの自然種を基本として,変種や品種をあわせると約100種類が野生化している。これらの野生種から多数の園芸品種が育成され,その数も200から300といわれる。古く奈良時代から栽培化された八重咲きのサクラが知られていたが,サクラの品種がまとまって記録されるようになったのは江戸時代からである(小林義雄)。静岡県三島市の国立遺伝学研究所の構内には日本のサクラの多くが植栽されている。

(B)「サクラは日本のみの原産」とする通説がある。しかし,サクラは中国(四川省,雲南省ほか)にもたくさん自生し,インドやミャンマーの山岳地帯にも美しい花を咲かせており,日本以外にもサクラの原産地があったことを知らされる。セイヨウミザクラ P. avium およびスミノミザクラ(酸果桜桃)P. cerasus に至っては,小アジアから東ヨーロッパ,北ヨーロッパにかけて森林のなかにはいくらでも自生する。サクラ国産説は近世の国学者の誤謬である(斎藤正三)。

(C)西洋で話題になるサクラはほとんど桜桃(セイヨウミザクラ)のことで,チェーホフ《桜の園》も桜桃果樹園を舞台としている。またワシントンの逸話のサクラ樹も,農園の桜桃であった。しかし,アメリカのポトマック河畔の有名なサクラ並木は,1909年に東京市長・尾崎行雄が贈ったソメイヨシノなどをもととしている。ただし同年に贈られた2000本の苗木は虫害のためすべて焼却され,1912年に改めて3100本が贈られた(荒俣宏)。

 

【校内の桜】学校構内にはソメイヨシノだけではなく,他のサクラ(例えばエドヒガンやヤエザクラなど)も数種類植栽されていることが多い。これらを比較することで,種による形態的・生態的差異や学名,スケッチのしかた(肉眼で観察した場合,ルーペを用いて観察した場合,顕微鏡を用いて観察した場合)など,生物を調べる際の基本的事項を学習することができる。また,年度当初の授業でサクラを話題にするだけでも,身近な植物に対する興味を喚起することが可能であろう。

 

【ソメイヨシノの起源】ソメイヨシノの起源に関して基本とした資料は次の5点である。

荻沼一男, 1981. サクラ. IN 『日本の植物』(田村道夫編)培風館.

竹中要, 1962. サクラの研究(1). Bot.Mag., 75:278-287.

竹中要, 1965. サクラの研究(2). Bot.Mag., 78:319-331.

岩崎文雄, 1991. ソメイヨシノとその近縁種の野生状態とソメイヨシノの発生地. 筑波大農林研報, 3:95-110.

日本育種学会, 2007. 111回講演会「PolA1遺伝子解析によるサクラの類縁関係-ソメイヨシノの起原- 記者会見資料.

 

ソメイヨシノは江戸時代末期か明治初期に,江戸の染井(現在の豊島区巣鴨)のある植木師によって売り出され,人気が出て広がったと言われている。明治33年(1900年)に藤野寄命博士が上野公園のサクラを調査した際に,初めて「染井吉野」という名称が用いられ,翌年松村任三博士がPrunus Yedoensisという学名で記載した。伊豆大島が起源という説があり,三好学・牧野富太郎・小泉源一各博士が大島内を探したが,ソメイヨシノを発見できなかった。小泉博士はエドヤマザクラとエドヒガンの雑種ではないかと報告している(1912年)。

1912年にケーネ(独)は韓国の済州島に類似種エイシュウザクラが自生していることを発見,済州島起源説が高まった。京都大学の小泉博士は1932年に済州島で調査し,自生しているソメイヨシノを発見,エイシュウザクラやエドヒガンも混生していたと報じた。

一方,ウイルソン(米)は1916年に日本のサクラを調査研究した結果,エドヒガンとオオシマザクラの雑種であろうと推定した。竹中要(国立遺伝学研究所)は結実が少ないことや,済州島での追跡調査で1個体しかソメイヨシノ(ただし,がくに毛がない)が発見できなかったことから,雑種起源説を検証した。形態的にソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの中間的特徴をとること(がく・花柄・花柱の毛,花色,花外蜜腺の位置。ときには無毛のオオシマザクラのような例もある),交配実験の結果はソメイヨシノに似た個体が多く生じること,伊豆半島にはオオシマザクラとエドヒガンも自生しソメイヨシノに近い個体が見られることから,人工的に両者を交雑した可能性の他に,伊豆半島で自然交雑した個体を広めた可能性,つまり「伊豆半島起源説」を提唱した。

岩崎文雄(筑波大学)は伊豆半島・鎌倉・房総半島等で調査を行い,伊豆では山地(エド)と海岸付近(オオシマ)に両者が離れて分布して開花時期がずれてしまっていること,また共存したとしてもエドヒガンとオオシマザクラの開花時期には気温が低く訪花昆虫が期待できないこと,形態的にはソメイヨシノの片親はむしろ房総半島産のオオシマザクラと判断されることから,「伊豆半島起源説」は成立しないと主張した。また,1717年に隅田川辺の長命寺の記録に川堤のサクラの葉を使って桜餅が完成されたとあるが,この葉を香りがよいところからオオシマザクラと推定した。さらに,江戸・染井の植木屋の記録からすると,17201735年ごろ,当地の伊藤伊兵衛・政武が人工交配・育成したとしても矛盾はないと推定した。

さて,これまでは形態情報や生態情報から仮説が立てられて来たが,関連する種や品種の遺伝子を直接解析できれば起原が明らかになることは予想される。葉緑体DNA の解析によりソメイヨシノの母親はエドヒガンであるという結果が提出されていた(金子ら,1986)が,父親がオオシマザクラであることを示す結果は得られていなかった。

20073月に日本育種学会の年会で,中村郁郎(千葉大学)らの研究チームは,核ゲノムの遺伝子解析の結果,「ソメイヨシノは,オオシマザクラとエドヒガンの園芸品種のひとつであるコマツオトメの交配で生み出された可能性が高い」と発表した。解析に用いられたのは,核ゲノム中のPolA1遺伝子の第19イントロンの塩基配列。PolA1遺伝子はリボソームRNA(45S rRNA)を合成しているRNAポリメラーゼI複合体の最大サブユニットをコードしている。それ以前のDNA解析ではヤマザクラとオオシマザクラを区別できなかったが,この遺伝子はオオシマザクラに特異的な配列を持っていた。ソメイヨシノの対になった遺伝子の一方はオオシマザクラのものと一致し,もう片方の親から来た遺伝子は,エドヒガン野生種とは1塩基だけ異なっていた。そこで,エドヒガン系園芸品種を解析した結果,上野公園にあるコマツオトメがソメイヨシノと同じ遺伝子を持つことを発見した。

これまでの研究結果を総合すると,ソメイヨシノはエドヒガン系品種コマツオトメを母親に,オオシマザクラを父親として起源したことを示唆している。

 

【サクラ前線】開花に関する資料は百瀬成夫『四季・動植物前線』(技報堂出版)を参照した。ソメイヨシノの開花は九州や四国の太平洋側では例年325日〜30日ごろで,その後北上する。

開花予想は昔から行われており,室町時代の足利義政はニ箇所から取り寄せたサクラの枝のつぼみのふくらみ具合を見て宴の日を決めたという話が残っている。ただし,昔のお花見はヤマザクラであった。

現在の気象庁の開花予想は,気温や降水量などの気象データとつぼみの重量に,休眠打破の程度や休眠明け後の花芽の生長速度を数値化して組み込み,確度を上げている。開花とは56輪の花がついた状態である。東京の靖国神社の標本木に対する気象データによる予想式は次の通りである。

Y=−0.087R−1.2210.86244.6

Yは31日を起算日とする開花日までの日数,Rは220日〜31日の合計降水量,T1225日〜36日の平均気温,T237日〜316日の平均気温。

また,31日につぼみ10個が0.5gなら,開花日までは24日間くらいと推定される。

ただし,暖冬や初春の急な低温などいろいろな気象変化の影響を受けて,開花予想は外れる例も多い。気象庁以外のネット上の情報も増えつつある。

 

 

 









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