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A 細胞の発見と細胞説
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細胞の研究史
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物理学者ロバート=フック(Robert Hooke 1635〜1703イギリス)は,ばねの弾性率に関するフックの法則で知られているが,顕微鏡を用いて,コルクの小片を観察して,それが空の小さな部屋からなることを見い出し,細胞と名づけた(1665年)。彼はその著「ミクログラフィア」(顕微鏡図説)の中で,コルクの細胞は死んでいるので,穴があいているが,生きているときは,液がつまっていると述べている。しかし,細胞の名をつけたが,生物体の構成単位と考えたわけではなかった。植物学者のロバート=ブラウン (Robert Brown 1773〜1858イギリス)は,植物細胞中に黒ずんだ小さなものがあることを発見し,核と命名した。それは,ほとんどすべての植物細胞に存在する。ブラウンは,水に浮かんだ花粉の観察からブラウン運動を発見した人である。
◆細胞説
植物学者マチアス=シュライデン(Matthias Schleiden1804〜1881ドイツ)は,高等植物の胚のう形成の過程を観察していて,核が細胞に成長するという誤った説を提出した(1838年)。シュライデンの細胞説の発表を聞いて,医学者テオドール=シュワン(TheodorSchwann 1810〜1882ドイツ)は,ただちに動物細胞を調べてみた。動物の細胞は,植物のそれと違って細胞壁がなく細胞の輪郭がはっきりしなかった。シュワンは,カエルのおたまじゃくしの脊索から細胞をとり出して,植物細胞と同じ構造をしていることを示し,さまざまな動物細胞を調べ,血液中では赤血球など細胞が遊離していること,卵も卵黄を含んだ巨大な細胞であることなどを明らかにした。神経鞘の細胞は,発見者の名をとってシュワン細胞とよばれている。こうして,シュライデン,シュワンの研究によって,生物体を構成する単位としての細胞説が確立した。
解剖学者ルドルフ=ケリカー(Rudol fvon Kolliker1817〜1905スイス)は,細胞説からみた組織学と発生学の基礎を築いた。ケリカーに影響を受けて発展させたのはルドルフ=フィルヒョー(Rudolph Virchow1821〜1902)である。彼は,これまでの細胞についての知見をまとめて,「すべての細胞は細胞から(Omnis cellula ecellula)」というキャッチフレーズを発表した(1858年)。植物学者フーゴ=モール(Hugo von Mohl 1805〜1872ドイツ)は,細胞の内容物に原形質(Protoplasm)という名を与え(1846年),現在でも原形質流動の用語に残っている。
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1665年 フック
細胞の発見
1825年 ラスパイル
凍結切片法の発明
1831年 ブラウン
核の発見
1838年 シュライデン
新しい細胞説の発表
1839年 シュワン
細胞説の確立
1846年 モール
原形質の発見
1858年 ゲルラッハ
細胞染色法の導入
1855年 フィルヒョー
「すべての細胞は細胞から」
を提唱
1862年 ワルダイヤー
染色体の命名
1869年 クレブス
パラフィン切片法の発明
1870年 ベネーデン
中心体の発見
1897年 ベンダ
ミトコンドリアを発見
1898年 ゴルジ
ゴルジ体の発見
1912年 カレル
組織培養法を完成
1933年 ルスカ
電子顕微鏡を発明
1955年 デュープ
リソソームの発見
1957年 ロバートソン
細胞膜の単位膜説を提唱
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