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第2節 生物の変異と進化

 

A 進化学説の誕生 

◆進化論

1800年代の初めに科学者たちは,化石を調べ,相同および痕跡器官に気がついた。多くの科学者はなんらかの進化が生物に起こったことを予想したが,進化のしくみを理論にまとめることはしなかった。進化のしくみの研究はふたりの科学者,ラマルクとダーウィンによって先鞭をつけられた。高校における進化論のとりあつかいについては「遺伝」20047月号「進化をどのように考えるか」が参考になる。

【ラマルクの進化論とダーウィンの進化論】

フランスのジャン・バチスト・ド・ラマルク(17741829)の進化論は「用不用説」および「獲得形質の遺伝」として知られている。自然選択説と対比されるキリンの首の例をみよう。

“キリンはアフリカの奥地に生息し,生息域は土地が常に乾燥し,草も生えず,それがために,この動物は木の葉を食し,そして絶えず木の葉に届くように努力しなければならなかった。この習性はその種類のすべての個体を通じてはるか以前から持続された結果として,前脚は後脚よりも長くなり,その首は後脚で立って伸び上がらなくても,頭を上げれば,6mの高さに達する程に伸びることになった。”

(岩波文庫復刊『動物哲学』216217)

記述が簡単すぎるが,他の箇所を参考にまとめると以下のようになろう。

1)短い首の動物は木の葉に届くために首を伸ばした。その結果,首が少し長くなった(用不用の法則)2)子孫には親の首の長さが遺伝した(獲得形質の遺伝)。さらに,木の葉に届くために首を伸ばした。3)数世代を経て,キリンの長い首が進化した(前進的発達)

ラマルクは実験的証拠や観察を示さなかったので,生物学者の受け入れるところとならなかった。

キリンの首についてのダーウィンの説明は,『種の起源』(岩波文庫下280281頁,317)にある。これは,第六版で第7章として挿入された「自然選択説にむけられた種々の異論」中であり,初版にはこの説明は無い。簡略化して示す。

1)キリンの祖先にはいろいろな首の長さがあった(変異の存在)。繁殖令に達する以上の数の子供が生まれていた(過剰な繁殖力)。 2)長い首を持った個体はよりたやすく木の葉に達しただろうから,首の短い個体よりも生存と繁殖の機会が多かったろう(生存闘争,あるいは生存のための奮闘)。 3)子孫にこの長い首は遺伝し(変異の遺伝と有利な変異の保存),数世代を経てキリンの集団は首の長い個体だけになった。

 ダーウィンの自然選択説は個体ではなく,集団を通して進化を考察している点に特徴がある。

【自然選択説】

ダーウィンは多くの観察結果に基づいて自分の説を築いた。世界中を回り,生物間の変異を観察した。自分自身でもハトを飼育し,多くのハトの飼育品種がもとはカワラバトに由来すること,人間が望ましい形質の個体を選択して繁殖させ,改良してきたことを知った。『種の起源』の第1章は「飼育栽培のもとでの変異」に当てられている。なお,キンギョの品種改良の例は中国および日本で古来から行われてきた。キャベツのなかまは,利用する部分が大きくなるよう人為選択された良い例である。

 

キャベツ;茎の最も上部にできる芽  芽キャベツ;茎にできる芽

ケール;葉  カリフラワー;花  ブロッコリー;茎と花

 

自然選択による進化は次のように起こる

1)集団は成熟に達する数以上の子供を生産する。

2)集団の成員は同一ではなく,個体変異があり,多くの変異は遺伝する。

3)野外で生物は生存のための闘争をする。あるものは成熟前に死ぬ。

4)他よりも生存の機会を得た,より環境に適応した個体はその子孫を作り,形質を伝える。

ダーウィンの説明は観察に基づいたものであったが,完全ではなかった。特に変異の生ずる機構や遺伝のしくみを知らなかった。

生存闘争struggle for existenceという用語もダーウィンはさまざまな意味でこの用語を使っている。生死の戦い,種内での個体間での闘争,種間競争,捕食など。このあいまいさが誤解の原因ともなった。生存闘争を「やるかやられるかの戦い」とみなし,それを自然選択説における進化の要因とみなすことは不当である。特に現代の進化論は生存闘争と自然選択を無関係としている。

【ダーウィンの経歴】

青年時代

チャールズ・ダーウィン(18091882)16歳になったとき,エジンバラ大学医学部に入学したが,博物学に興味を持った。ダーウィンが医師になる意欲がないのを見て,父親は牧師の勉強を薦めた。ダーウィンはその考えを受け入れて,1827年,ケンブリッジ大学神学部に入学した。しかし,後にダーウィンは「完全な時間の浪費だった」と言っている。ダーウィンは植物学のジョン・S・へンズロー教授のもとで多くを学んだ。教授からダーウィンは自然界の知識を教わり,博物学を薦められた。1831年に教授はビーグル号に乗り込む博物学者として,ダーウィンを推薦した。

ビーグル号の航海

ビーグル号の航海は1831から1836年にかけての5年間にわたった。彼は多くの動植物の標本を集め,観察をし,観察したものを注意深く考察した。ダーウィン(22)は正式な博物学者ではなく,フィッツ・ロイ艦長(26)の個人的な話し相手として乗船したのである。当時イギリス海軍の艦長は乗員と個人的な接触を持つことが禁じられていた。食事も一人。艦長は孤独だったのである。公式な乗員でなかったダーウィンは費用を自分で負担しなければならなかったが,彼にとってはこの待遇は幸運だった。ロイの客人として好きなときに上陸できたのである。また,標本の収集は正式な任務ではなかったので,好きなようにできた。収集した標本の処分も自由であった。ビーグル号の正式な任務は南アメリカと太平洋の島々の測量と海図の作製,クロノメーターによる経度の測定,最初の航海でイギリスに連れ帰った南米のフェゴ人の故郷への送還であった。(この項目は松永俊男『ダーウィンをめぐる人々』(朝日選書)を参考)

地質学者ダーウィン

ヘンズロー教授がくれたライエルの地質学の教科書『地質学原理』の大陸形成がダーウィンの興味を引いた。アンデスでは,海生の貝化石が海抜4300mもの高度の岩から発見された。ライエルのいう通り,地震や地理的な経過が大陸を変化させたことが判った。大陸が変化すれば新しい生息地ができ,動物がその変化に適応しただろう。ダーウィンの手紙を地質学関係の抜粋を中心にヘンズロー教授は学術協会で報告し,印刷して配布した。航海の終わり頃,ダーウィンは地質学者として立つことを決意していた。

183610月にイギリスに戻ったダーウィンは,航海中に集めた動植物の標本を専門家に送った。ダーウィンの『ビーグル号航海記』は,出版されるとベストセラーになった。

進化論の発展

ダーウィンに進化論の示唆を与えたものとしてガラパゴス諸島のフィンチ類が有名だが,ダーウィンは航海中にはフィンチ類の変異の進化的意味を正しく認識できたわけではなかった。帰国後,1837年から鳥の標本をグールドが整理し,フィンチを正しく分類すると,ダーウィンはその重要性に気がついた。ゾウガメの変異についても同様であった。現地の副総督のローソンから「ゾウガメは島ごとにちがう」と聞かされたにもかかわらず,ダーウィンはこのことにあまり注意を払っていなかった。インド洋のアルダブラ諸島に生息するゾウガメと同種だとする一般的な見解に従っていた。しかし,これらの事実はダーウィンを落としめるものではない。航海中,ダーウィンも先入観から逃れられなかったのだ。しかし,彼は同僚との共同の研究から新しい視野を開くことができたのである。18377月からダーウィンは“種の転成”に関する最初のノートを書き始めた。(この項目はグールド『フラミンゴの微笑』(早川書房)を参考にした)

1838年にダーウィンはマルサスの『人口の原理』を読んだ。マルサスは,人口は幾何級数的に増加するが,食物や水や空気は同率では増加しない。したがって,人間どうしは限りある食物をめぐって競争すると説いた。これがダーウィンにヒントを与えた。ダーウィンは20年間,自然選択による進化の証拠を集めつづけ,1842年から1844年の間に230頁の原稿を書いていた。1850年代には進化に関する大冊に取り組み初めていた。もしウォレスの手紙がなかったら,ダーウィンはこの本を完成させることはなかっただろう。

ウォレスの意義

マレー半島で調査をしていたAR・ウォレス(18231913)1858年にダーウィンに送った論文(「変異型が原型から無限に離れていく傾向について」)には,ダーウィンの考えに近い進化学説が書かれていた。『ビーグル号航海記』を読んで探検家になったウォレスにとって,ダーウィンは師とあおぐ人物であった。ダーウィンは驚き,悩んで友人に相談した。相談を受けた友人(地質学者ライエルと植物学者フーカー)は,ウォレスの論文との同時発表を薦めた。185871日のロンドンのリンネ学会にウォレスの論文とダーウィンのエッセーの抜粋を提出し,講演したが,発表当時はほとんど注意を引かなかった。進化論が衆知されたのは『種の起源』以後である。正式な題名は『自然選択による種の起源について,すなわち生存競争における好ましい品種の保存 On The Origin of Species by Means of Natural Selectionor The Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life』。その第11250部は1日で売り切れた。

種の起源以後

『種の起源』以後もダーウィンは自然選択説に関連する著作を出版した。『ランの受精』(1862),『飼育動物と栽培植物の変異』(1868),『人間の由来,ならびに性選択』(1871),『人間および動物の表情』(1872),『食虫植物』(1875),『他花受精と自花受精』(1876),『同種の植物における花の異型』(1877),『植物の運動力』(1877),『ミミズの作用による栽培土壌の形成およびその習性の観察』(1881)などである。これらは興味深い内容であるが,訳本が絶版のものもある。

 

◆メンデルの再発見以後の進化論

遺伝の本質が理解されない間は,子供は両親の中間的な形質を示すという混合遺伝の考えが一般的だった。混合遺伝が正しいとすれば,個体群はすみやかに均一化され,新しく生じた変異も均一化によって失われ,自然選択は効果を失う。1883年にワイズマンは生殖質が完全に体細胞から切り離されており,体細胞の影響に左右されないと主張して,環境の遺伝に対する影響を否定した。

1900年の再発見によるメンデルの法則は混合遺伝を明快に否定した。本来ならば自然選択説は即座に受け入れられて当然だった。ところが逆にメンデル遺伝学は自然選択説を葬り去るものと思われた。ド・フリースやベーツソンは突然変異の役割を強調し,新しい種は数回の突然変異で生ずると信じ,種内の個体変異は取るに足らないものと考えた。もし種が不連続な突然変異だけで生ずるのなら,自然選択は無用である。したがって自然選択と種の漸進的な進化というダーウィンの基本的な考えは放棄されたのだった。

しかし,獲得形質の遺伝が否定され,連続的な変異もメンデル遺伝に基礎を持つことを遺伝学者が明らかにして,自然選択説を遺伝学からの事実に折り合わせていった。分類学の進展によって,種が一定の形態を持つ型ではなく,他の個体群から生殖的に隔離された変化に富んだ個体群だという理解が広がった。

1908年,ハーディとワインベルグによって独立に証明された「ハーディ・ワインベルグの法則」を端緒とする集団遺伝学の理論は,1926年ロシアのチェトヴェリコフにより輪郭が示された。イギリスのフィッシャーは『自然選択の遺伝的理論』(1930),ホールデンは『進化の要因』(1932)において,自然選択下の遺伝子頻度の変化に関する数学的理論を発展させ,わずかな選択差でさえ進化的変化を引き起こすことを明らかにした。アメリカのライトは選択だけでなく,近親交配や遺伝的浮動などを合わせた包括的な遺伝学の理論を発展させた。ドブジャンスキーの『遺伝学と種の起源』(1937)などによって自然選択説と遺伝学は統合され,ハックスリーの『進化:現代の総合説』(1942)以降,新たな自然選択説は「総合説」とよばれるようになった。

 

B 進化のしくみ

純系と変異

ヨハンセン(Johannsen, 1903)は,市販のインゲンマメPhaseolus vulgarisの種子を重さごとに分け,変異曲線のグラフを作った。はじめは種子の重さは広い範囲に正規分布した。ついで,重さの異なる種子を選び一定の範囲の重さごとの集団内で自家受精を行うと,それぞれの場合の変異曲線は選択前の集団でみられたものと異なり,重さに従って変化することを観察した。重い種子の集団からは重い種子が得られる傾向があり,軽い種子の集団からは逆の結果が得られた。重さによる選択を行う前の集団では,種子の重さについての遺伝的な性質にばらつきがあるが,選択によってそれがいくつかの性質に収束するためである。さらに選択と自家受精を繰り返した結果,それぞれの重さの集団から得られる変異曲線が一定になり,選択の効果がみられなくなった。この段階で,遺伝的な純系が得られたことになる。純系の種子でも重さは一定範囲の正規分布をするが,その場合の変異は遺伝的なものではなく,環境変異ととらえることができる。環境変異は遺伝しないので,選択の効果も現れない。

純系は,すべての遺伝子についてホモの遺伝子型をもつ個体からなる系統の総称で,ホモ接合をすべての遺伝子について持つ個体の自家受精や,近親交配や人為的な選択を繰り返すことで得られる。実際には,すべての遺伝子についてホモである個体は得ることが難しいので,特定の遺伝子型についてホモであり,他の遺伝子型についても大きな変異が見られなければ,それを純系として扱う。

遺伝することのない環境変異に対して,遺伝する変異を遺伝的変異と呼ぶ。オランダのド・フリースは8年間オオマツヨイグサ属Oenotheraの自家受精を続け,54343本の株を育て,そのうち834(1.53)の突然変異体を得た。これらの変異が遺伝することから,突然変異を進化の原因とする説を発表した(1901)。この功績は生物学史上でも不朽であるが,後に明らかにされたように彼の発見した突然変異体の多くは,異数体や倍数体など染色体突然変異に起因するものであって,真の遺伝子突然変異は数種に限られていたことが分かっている。

 

なんらかの形で表現型に現れる突然変異率は細胞10万個当たり配偶子当たりで,大腸菌ストレプトマイシン耐性遺伝子が0.00004,サルモネラ菌トリプトファン非依存性遺伝子が0.005,キイロショウジョウバエ褐色眼遺伝子が3,トウモロコシの甘い種子遺伝子が0.24,ヒトの軟骨発育不全遺伝子が4.214.3等の結果が得られている。突然変異で生じた形質は有害なものが観察されるため,突然変異は進化の要因とは考えられないという意見がある。このような意見の背後には,ウイルズ(1993)が指摘した進化に関する誤解がある。その誤解とは次の4つである。(1)生物は自分の進化を方向づけている。(2)進化はゴールに向かって進む。(3)種は通常スムーズに直接新種へ進化する。(4)化石記録は進化の完全な図式を与える。このうち(1)(2)(3)が突然変異の役割を低く評価する考えのもとになっている。遺伝子が有害か,中立か,有益かはしばしば環境条件に依存している。有害と思われる突然変異でも別の環境では有利になることが可能である。ヒトの鎌状赤血球貧血症の例もそのよい例である。

 

染色体突然変異と遺伝子突然変異

突然変異は初めはド・フリースらによって「遺伝する(表現型の)変異」と理解され,さらにその原因が追求されるようになった。遺伝子のしくみが明らかになるにつれ,染色体突然変異(染色体異常)chromosomal mutationと遺伝子突然変異gene mutationという二つの現象が区別された。

染色体突然変異は,染色体の数や構造の変化によってもたらされる。数の変化には倍数性(半数性も含む)と異数性があり,構造変化には同一染色体上でおこる欠失,重複,逆位,転座,断片化と,異なる染色体間でおこる,転座,挿入がある。

ブレークスリーBlakesleeは,チョウセンアサガオDaturaの異数性について研究した。チョウセンアサガオはもともと2n=24であるが,2n+1のような異数体が12種類見つかり,それぞれが果実の大きさや形,トゲなどの特徴によって外見的にも区別できた。倍数体は植物で特によく知られており,たとえば普通のコムギ(2n=42)は,n=7の一粒系コムギから倍数化によって形成された6倍体である。動物ではウマのカイチュウに2n=22n=4のものがいることが知られている程度である。

遺伝子突然変異では,DNAの塩基レベルで欠失,重複,逆位,転座,置換が起こる。しかし,遺伝子突然変異が起こっても,表現型の変異が起こらない場合も多いと考えられている。たとえば,プロリンのコドンCCUUCに置換されても,CCCは同じプロリンを指定する同義的な変異であるために,作られるタンパク質の性質は変わらない。

現在では,突然変異は広い意味での遺伝子の変化として定義され,さらにそれをDNAレベルの変化として認識することができる(表)。染色体突然変異は,表における大変化に相当する。

 

表:DNAの変化に基づく突然変異の分類(岩波生物学辞典第3版p.927を改編)

DNAの変化

名称

変化の例

微小変化

塩基対置換

塩基転移(トランジション)

プリン→別のプリン

ピリミジン→別のピリミジン

塩基転換(トランスバージョン)

プリン→ピリミジン

ピリミジン→プリン

フレームシフト突然変異

塩基の追加又は消失によるコドンのずれ

大 変 化

欠失

ある長さのDNAがなくなる

重複

ある長さのDNAが重複

逆位

ある長さのDNAが前後逆転

挿入

ある長さのDNAが挿入される

転座

染色体の一部が他の部分へ位置変え

 

◆ハーディ・ワインベルグの法則

進化の考察に当たっては集団遺伝学が重要である。その基本となるハーディ・ワインベルグの法則が成立する条件は(1)集団が十分大きいこと。(2)個体間に繁殖力の差がないこと。(3)任意交配していること。(4)移動(移住や移入)や選択がないこと。(5)突然変異がおこらないことである。これらすべてが満たされる集団は実際には存在しないように思える。しかし,モデルの有効性はそれらの条件が満たされないときに,進化がおこることを示している。また,ハーディ・ワインベルグの法則の特徴は親集団を個体の集団ではなく,配偶子の集団とみなす観点にある。

教科書ではカタツムリのような動物が描いてある。カタツムリは雌雄同体で,個体間に繁殖力の差があるかどうかがはっきりしないので例示した。これがニワトリだったら,個体間には明らかに順位制などに基づく繁殖力の違いや性選択が働いていると思われるので,例示としては不都合であろう。

平衡を乱す要因としては集団の大きさも重要である。集団が小さいほど,偶然の要素が大きくなる。ある個体が次世代を残すことができるかどうかが確率的に決まるとすると,特定の遺伝子が集団から消失してしまったりする。このような偶然による遺伝子頻度の変動は遺伝的浮動genetic driftと言われ,現実の集団は有限であるから,遺伝的浮動の影響は大きい。

遺伝的浮動は乱数発生機能を持つコンピュータの簡単なプログラムでシミュレーションすることができる。集団の個体数が多くなればなるほど,浮動の幅は小さくなり,遺伝子の消失は起こりにくくなる。

突然変異率も合わせて,選択がかかったときのコンピュータによるシミュレーションのプログラムの例をあげた。同様のシミュレーションは計算ソフトでも可能。

 

◆遺伝子頻度の変動

1.遺伝子型にかかる選択

実習に用いるエクセルの遺伝子頻度の計算表では各遺伝子型の適応度の初期条件をすべて等しく設定しているが,これらの適応度を変更することによって,多様な条件の場合のシュミレーションが行える。実際に起こったいろいろな例がある。教科書では劣性遺伝子の適応度が低い場合の計算例が示されている。

 

(A)実際の集団におけるハーディ・ワインベルグの法則から期待される頻度

ハーディ・ワインベルグの法則が成立するような実例がある。米国で観察された420人のMN血液型の頻度である。観察数はMM型=137人,MN型=196人,NN型=87人であった。観察数より集団中のM遺伝子の頻度は0.560となり,各遺伝子型の期待頻度はMM型=(0.562MN型=20.56)(0.44),NN型=(0.44である。したがって,420人の集団における期待数はMM型=132人,MN型=207人,NN型=81人で,これは観察数によく合っている。MN血液型は健康とか生存力に認められるような効果が無い。

 

(B)優性遺伝子の適応度が高い場合

19世紀の英国の工業化によりオオシモフリエダシャクが暗化した例で暗色型は白色型に対して優性であった。いくつかの地域では,ほぼ35年の間に暗色型遺伝子の頻度は1%から90%に変化した。この蛾は1年1世代なので,35世代の間に遺伝子頻度は0.01から0.90に変化したことを表す。最初にp0.01から始めて,この変化が35世代で起こるには,W1W2100に対してW360である。

 

(C)ヘテロ接合体の適応度が低い場合

ヘテロ接合体の適応度が低い例として,母親−胎児血液型不適合があげられる。胎児がRh不適合のために溶血性疾患を起こすとき,胎児は必ずヘテロ接合体である。このような状況ではどの集団も初めに頻度の高かった方のRh対立遺伝子についてホモ接合になる傾向がある。Rh遺伝子は東洋人でもアメリカインディアンでもオーストラリア原住民でもほとんど失われかけている。西ヨーロッパに由来する集団では0.4である。理論的には頻度の低い方の遺伝子が失われるはずなのに,RhRhが共存する事実をどのように説明したらよいだろうか。もっとも妥当な説明は,ヨーロッパ人の集団は雑種起源と考えることである。過去に東洋から西洋への移住があったことが知られている。これによってRh遺伝子が持ち込まれたのであろう。もし元のヨーロッパ居住民はRhであったなら,遺伝子共存の起源を説明することができるだろう。初期のヨーロッパ人の残存の民族にもっとも近いと考えられるバスク人は世界でRh遺伝子の頻度がいちばん高い。

 

(D)ヘテロ接合体の適応度が高い場合

鎌形赤血球症の異常ヘモグロビンSはマラリア病原虫が赤血球内で生存するのに不利な環境を与える。マラリア,特に致死的な悪性マラリアが風土病として発生する地域では正常なA型ヘモグロビンだけを持った個体は不利である。鎌形赤血球のホモ接合対も悪性貧血である。ヘテロ接合体は悪性貧血にもならないし,マラリアにもかかりにくい。

マラリアは重大な病気であるため,進化に大きな影響を与えた。鎌形赤血球症と同様の分布を示す遺伝子が他にもある。G6PD欠損を起こすX染色体上の劣性遺伝子や別種の貧血を起こすサラセミアの遺伝子などである。

U.S.A.はマラリアの流行地域ではないので,鎌形赤血球症のヘテロ接合体に適応度の有利さは無い。

 

2.遺伝的浮動 

遺伝的浮動(genetic drift)とは,標本誤差(sampling error)によって引き起こされる遺伝子頻度の変化である。これは程度の差こそあれ,すべての有限集団に働くと考えてよいが,特に小さな集団にとっては無視できないものである。シーウォール・ライトの直感的な目安では,小さい(small)集団とは個体数Nが10とか100程度の大きさであれば,対立遺伝子のどちらかは0.10.01/世代/座位の率で消失することがあるだろう。中程度(intermediate)の集団ではNが1万程度の大きさ,対立遺伝子は1世代当り10−4程度の速さで失われる。大きい(large)集団,もしNが10万かもっと大きいと対立遺伝子の消失の可能性は無視できるほどである。

エクセル表にランダム関数を用いて遺伝的浮動をシュミレーションする例を作成したので参照して欲しい。Nが小さいときには,pが変わらなくともA遺伝子が消失したり,全てを占めたりすること,Nを大きくするにつれて,浮動の幅が小さくなることが理解できるだろう。 (参照ファイルは,geneticdrift2008.xls

実際の例をあげると,1970年に57羽だったアメリカシロヅルや20羽以下だった欧米のハシジロキツツキなどでは浮動は重要な意味をもつだろう。

 

参考文献:クロー『遺伝学概説(原書第8版)』(培風館),ウィルソンとボサート『集団の生物学入門』,ハートル『集団遺伝学入門』(培風館)

 

C 変異と種分化

D 高次の進化

◆種分化のしくみ

種分化は種という集団populationの持つ遺伝子頻度の変化の結果として起こる。種分化の過程として異所的,側所的,同所的な種分化が考えられている。ダーウィンの自然選択説のイメージは同所的種分化である。しかし異所的種分化が重要視されてきている。

 

 

◆選択による種形成

選択には方向性選択,安定性選択,分断性選択がある。

(1)方向性選択は表現型の一部の端から個体を連続的に取り去るように働く。ウマの体の大きさやキリンの首の長さの進化などは方向性選択が働いた例であろう。

(2)安定性選択は表現型の分布の両端から絶えず個体を除き,いつも同じ平均を保つように働く。キリンの首の長さには今では安定性選択が働き,首は長くも短くもならない。

(3)分断性選択は同種内に不連続な型(多型)が生じているときに見られる。アフリカキアゲハは味の悪いA種とB種に擬態しているが,中間型は擬態をしないので選択を受ける。

 

方向性選択の例として,ガラパゴスフィンチの例をあげた。

ガラパゴスフィンチ

ガラパゴスフィンチはダーウィンフィンチともよばれ,イギリスの鳥類学者ラックによって研究されて有名になり(『ダーウィンフィンチ』思索社),最近はグラントによって研究されている。干ばつによる選択はジフィンチという種類で起こった(ワイナー『フィンチの嘴』早川書房)

ガラパゴス諸島には,地上生活を主とするものから,樹上生活を主とするものまで,13種のフィンチがみられる。食性と生活様式のちがいから,下図のような5群に分けられる。

ダーウィンフィンチにおける適応放散

(ボウマン,1961,1963年より)

 

◆タンパク質に現れた種内変異=タンパク多型

電気泳動は電気的性質のちがいによってタンパク質の膜上での移動速度が異なることを利用した分析法である。同じ機能をもつ酵素で移動速度が異なる(したがってタンパク質としての構造も異なる)例があり,これをタンパク質の多型という。最初の例はマウスの肝臓のエステラーゼなどでアイソザイム(ISO=同一の,ZYME=酵素)として報告された(Hunter and Market1957)。アイソザイムは(A)同種の酵素を支配する遺伝子座が複数の場合 (B)ひとつの遺伝子座に複数の対立遺伝子が存在する場合(C)ポリペプチド鎖の移動時の効果による場合がある。アイソザイムのうち,同一遺伝子座の対立遺伝子による変異を示す酵素群,(B)の場合をアロザイム(allo=対立)といい,特に遺伝学的研究には必須の手段となった。遺伝学的な種の同定,集団の遺伝学的分析,種の境界決定,系統分析などに応用されている。

対象となる酵素タンパク質が単量体である場合には結果は次のようになる。メダカの脱水素酵素の一種であるIdh(L-イディトールデヒドロゲナーゼ)を例に挙げると,a型が泳動の移動度が小さく北日本集団,b型が移動度が大きく南日本集団を表す。ただし,原論文では移動度の大きい方を遺伝子aとしているので,abは逆である。教科書では説明の都合でabを逆に表した。野生メダカでは,この他,多くの酵素で南北の分化を示す。

アロザイムはタンパク質という表現型を分析するもので,遺伝子を分析するものではない。近年はDNAを直接分析する手段も開発され,成果をあげている。

電気泳動による酵素タンパク質の多型の分析

 

◆隔離

生殖的隔離には次のような種類がある(北川修『集団の進化』参照)

(1) 交配,または雑種の接合体形成を妨げる隔離

(A)生態的,または生息場所の違いによる隔離  ハマダラカのA種とB種は水辺にいるが,A種は澄んだ流水に,B種は淀んだ静水に生息する。

(B)季節的,または時間的隔離  ツヅレサセコオロギの夏型(57月に成虫)と秋型(8月末〜10月に成虫)は自然界では交配の機会はない。実験室で羽化時期を制御して交配すると雑種は妊性がある。

(C)性的,または行動的隔離  セミやコオロギの求愛歌には近縁種間の違いがある。

ゲンジボタルの例。

(D)機械的隔離 オサムシでは雌雄の生殖器の構造に「鍵と鍵穴」の関係がある。

(E)花粉媒介者が異なるための隔離

(F)配偶子的隔離  海水中で体外受精を行うある種の海産動物で雌雄の配偶子が

誘引されない(誘引のための化学物質が異なる)。体内受精でも配偶子の誘引が妨げられる場合。

(2) 交配後,または雑種形成後に雑種の生存力や妊性が低下する隔離

(G)雑種生存不能(雑種の生存力が著しく低いか,生存不能)

(H)雑種不妊(雑種第1代の片方または両方の性が機能ある配偶子ができない)

(I)雑種の崩壊(雑種第2代以降または戻し交雑の個体で生存力や妊性が低下)

ショウジョウバエ属は世界に1500種近い種がいるが,ハワイ島(火山活動で新しくできた島々から成る)では固有種が350種にも達する。大きさは小さいものから翅を開くと22mmに達するものまである。主要な島はそれぞれ一群の固有種を持ち,その多くは1つの島だけで見られ,おそらく隔離によって小集団に分化し,そこで進化したものと思われる。

同様の現象はハワイ島のアシナガグモ類でも見られる。ミトコンドリアDNAを使った研究により種分化が非常に早く起こったことが知られてきた。

 

 

 








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