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1節 細胞の操作と応用

 

◆バイオテクノロジーとバイオサイエンス

最近,生物学の発展に伴って,バイオテクノロジー,ライフサイエンス,バイオサイエンスなど,さまざまな用語が使われる。しかも,それぞれについて人により定義が異なるので,言葉の上での混乱が生じている。

バイオテクノロジーは,生物を用いて人間に有用な物質を生産する技術をいい,また人間に直接適用する人工臓器や体外受精などは含まれないことになっている。さらに,近年開発された先端技術のみを対象とすることが多いが,農水省などでは広く動植物の品種改良も含めている。たとえば,従来から知られているコルヒチンなどの使用による倍数体の作成なども,バイオテクノロジーの中に入れている。バイオテクノロジーの定義や範囲も一定していない。広義の意味では,生命科学を利用した技術をすべて含むことになろう。

ライフサイエンス(生命科学)の方は,生物学だけでなく,医学・農学・物理学・化学・地球化学・環境科学に,数学や工学の一部までも含まれた生命現象を研究する壮大な学問分野をいうのがふつうである。したがって,この場合には,人工臓器はもとより,体外受精や人工受精はすべて含まれている。しかし,ライフサイエンスの範囲も人により一定せず,心理学や教育学の一部を含めるか否かなどは,人により意見が異なる。

バイオサイエンスは,さらに定義がはっきりしない。ライフサイエンスとほぼ近い意味に使われるが,ふつうは生物学を中心にした少し狭い範囲をさすようである。このような用語の混乱は,学問の世界よりもむしろ行政で問題になり,含まれる範囲いかんによって,補助金の交付などが関係している。

なお,「遺伝子の組換え」や「細胞融合」は,バイオテクノロジーの代表的技術と言うことになる。

 

◆バイオリアクター

バイオテクノロジーの一つとして,細胞の化学反応(主として酵素)を利用する反応系が開発されている。これをバイオリアクターという。従来の化学工業のように高温・高圧が必要でなく,危険な触媒を用いる必要がなくなる。具体的には,酵素や微生物を利用し,反応速度を高め,目的とする化学反応を効率的に進行させる。例えば,下水処理場で,処理漕で増殖した微生物が水中の有機物を食物として捕食し汚泥に分解する働きを利用して,排水中の有機物を除去する浄化法もバイオリアクターの一つである。広義に言えば,味噌,醤油,ビール,酒などを作る過程もバイオリアクターを利用している。

特に酵素を固体と結合させる(固相化する)と大量の基質を連続的に処理できるので,効率を著しく向上させることができる。このような方法で,酵母などを固定化して,従来の発酵法より効率のよいビールの製造が可能になった。また,グルコース (ブドウ糖)酸化酵素を固定化し,血糖量を簡単に測定するバイオセンサーのようなものも考案されている。

 

A クローン動物

◆クローン動物

1997年に,英国でヒツジのクローンが誕生し,ドリーと名づけられた。1998年にはわが国でクローンウシが誕生している。その後,マウスやネコなどでも可能になっている。いずれの場合にも,成体の体細胞の核を除去した卵細胞に移入して,それを代理母となる雌の子宮へ着床させ妊娠させて誕生させたものである。

動物の場合には,植物と違って,受精卵以外の細胞には全能性がない(らしい。いまのところ,分化した細胞を全く別の種類の細胞に分化させた報告はない)ので,クローンづくりの場合にも卵への核移殖が必要である。この場合,核を移植する体細胞には,核の状況を受精卵と同じような初期の状態に戻す初期化とよばれる操作が必要であり,それが技術的なポイントとなる。初期化は,ウシの体細胞などの場合では,血清の濃度を通常の10分の1程度にした,栄養不足の飢餓状態で培養する。その結果,体細胞で特化した細胞は,生存に必要な基本的な遺伝子が活性化することになり,体細胞の核が全能性をとり戻すと考えられている。しかし,そのような操作は不要と考える人もあり,種により条件は様々である。いずれにしても,クローン動物の誕生の成功率はまだ低く,またクローン動物では,寿命が短くなったり,疾患の発症率が高くなるようである。

クローン人間も技術的には不可能ではないが,多数のヒトの卵を必要とする上,そのために多数の代理母を必要とする。また,様々な異常が出現するため,現状では非常に困難であり,条件設定が必要である。倫理上の大きな問題であることは言うまでもなく,世界各国でその禁止措置がとられている。日本でもクローン作成はもとより,ヒト初期胚を使用した実験は厳しく規制されている。

しかし,海外では白血病や臓器不全などに備えて,クローン培養をすることが必要と考える人もあり,あまりに規制すると闇で実験が行われる危険性もある。そのため様々な監督の下にヒトの胚を用いた実験が行われつつあるが,将来,技術が進んだときに,どこからをヒトとするかなど,大きな倫理的問題が待っている。

 

B ES細胞

ES細胞

幹細胞は様々な種類の細胞に分化する能力を持ったまま増殖できる細胞のことで,その分化能を多能性という。生体に存在するあらゆる種類の細胞に分化できる場合を全能性という。受精卵は全能性を持つことになる。初期胚から分離されたES細胞も全ての細胞に分化でき,また,培養して継代することができる。このES細胞に遺伝子操作を行って生体を得れば遺伝子改変動物が得られるわけである。ノックアウトマウスは特定の遺伝子を機能させなくした(除去した)マウスである。ただ,目的の遺伝子の近傍の遺伝子の発現も変化することがある。

 

◆ノックアウトマウスの不思議な結果

ノックアウトマウスは思いがけない結果がでることがある。例えば,神経伝達物質を作る酵素を欠損させたら口蓋(口の中の天井)が欠損する口蓋裂となってしまった。あるいは,ミオグロビンという筋肉の酸素運搬に重要とされるタンパク質を欠損させてもなにも起こらなかった。狂牛病の原因になるプリオンをノックアウトしたマウスはほとんど健康でしかも狂牛病にかからなくなった。

 

◆再生医療

組織幹細胞は生体組織のなかに潜んでいる多分化能を持った細胞である。以前はその組織内の細胞にしか分化しないとされていたが,基本的には様々な細胞に分化する能力を持っているようである。骨髄幹細胞は採取が容易なことから治療に用いられている。例えば,白血病患者でとことん骨髄細胞をたたいて白血病細胞を消滅させてから,骨髄細胞を移植(点滴するだけ)すれば,幹細胞から必要な血液細胞が作られて患者は回復することができる。骨髄細胞の入手の難しさから臍帯血も同様に用いられている。ただ,臍帯血を提供してくれた子供がやがて白血病になったとすると,その臍帯血を移植された患者でも新たに白血病が発生する危険性が高くなる。

脳の神経細胞は生まれて以来減るだけと考えられてきたが,50歳以上のヒトでも神経幹細胞から新たな神経細胞が作られていることが明らかになった。ラットでは,遊び道具が転がっている巣箱で飼われているラットのほうが神経新生が高いことが示された。まだ,はっきりしないが,記憶や学習にも新たに生成された神経細胞が関与している可能性が高い。ちなみに,神経細胞は分化してから再び分裂することはないとされている。あくまで,幹細胞から新たに神経細胞が分化するということである。

幹細胞からはペトリ皿でも様々な組織の細胞と「類似」の細胞に分化させることに成功している。しかし,機能する組織構造を持たせられるかが検討課題である。組織構造が不必要な内分泌器官(例えばインスリンを分泌するB細胞は,それ自身が血糖を感受してインスリンを分泌する)の場合には,幹細胞から分化した細胞は有力な治療手段となろう。しかし,神経細胞は合目的な神経回路の形成が必要であり,損傷した脳に新たな神経細胞を注入してもそれだけでは治療効果は得られないと思われる。

 

C 細胞融合

◆細胞融合

細胞融合は,細胞を培養する設備さえあれば,技術的には大学の卒業研究でも行える程度である。細胞融合は従来からなされている交配法の延長線上にあるとも考えられ,特定の遺伝子を狙って行うのではないから,実験結果が予想通りになるか否かは分からない。したがって,試行錯誤をくり返しながら,よい結果あるいは目的の結果を期待するということになってしまう。

 

◆モノクローナル抗体

細胞融合の実用化が最も進んでいるのは,モノクローナル抗体(単クローン抗体)である。抗体を分泌するB細胞は,培養してふやすことはできない。そこでB細胞とよくふえる骨髄腫の細胞とを融合させる。こうしてできた「ハイブリドーマ」といわれる雑種細胞は,抗体を分泌能力と増殖する能力を備えている。

特定のがん細胞に対するモノクローナル抗体をつくり,それに抗がん剤を結びつけたものを注射すると,抗体ががん組織に特異的に結合するから,抗がん剤をがん組織に集中的に働かせることができる。この療法は,目標に向かってミサイルを発射することと類似していると考えられて,「ミサイル療法」とよばれている。ミサイル療法の成否のカギは,がんに特異的な抗体を見いだすことにあり,盛んに研究開発が進められつつある。

ヒト化モノクローナル抗体 従来のモノクローナル抗体は抗体分子としてはマウスタンパク質である。そのためヒトに投与すると異種タンパク質として免疫反応が生じてしまい,モノクローナル抗体が機能しなくなったり,あるいは,アレルギー反応が起こってしまう。そこで,遺伝子工学の技術を用いて,抗原認識部位以外はヒトの抗体の遺伝子と置き換えたヒト化モノクローナル抗体が作成された。このヒト化モノクローナル抗体は安全にヒトに薬として投与することができる。こうして,炎症反応を押さえるリウマチの特効薬や一部のがんの特効薬が開発され実用化されている。

 

◆治療薬としてのモノクローナル抗体

モノクローナル抗体は,医療だけでなく,診断にも用いられる。たとえば,妊娠により生じる絨毛組織に対する抗体をつくり,それを利用して,手軽に妊娠したかどうかを判定することが可能になっている。そのほか,がんを初めいくつかの病気の診断薬として,利用することが試みられている。

 

 








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