トップ生物II 改訂版>第2部 分子から見た遺伝現象>第1章 遺伝を担う核酸>第2節 遺伝情報の発現

2節 遺伝情報の発現

 

A RNAの構造と働き

RNAの種類と構造

RNAには,伝令RNA,リボソ一ムRNA,転移RNA以外に,タバコモザイクウイルスなど植物ウイルスに含まれているウイルスRNAがある。ウイルスRNAは,分子量105107の巨大分子で,ふつう1本鎖であり,細胞内のDNAと同様に,ウイルスの形質を決める遺伝情報を担っている。伝令RNA1本鎖であり,その大きさは様々である。リボソームRNAは,リボソームの約50%を占め,大きさや構造の違ういくつかの種類がある。

RNAの中で特徴ある構造をしているのは,転移RNAである。下図のようなクローバー葉型をして,アミノ酸を結合する部位,伝令RNAのコドンを認識するアンチコドン,リボソームと結合する領域などがある。コドンとアンチコドンは塩基の相補性により正確に相手を認識する。また,転移RNAにアミノ酸を結合するアミノアシル転移RNA合成酵素は,アンチコドンを含めて転移RNA全体の構造を認識して正確にアミノ酸を結合する。さらに,誤ったアミノ酸が結合された転移RNAを分解する機構も備わっている。

酵母アラニンの転移RNA

1:アミノ酸のつく位置,

2:アンチコドン,

3:アラニンの活性化酵素が転移RNAを認識する部位,

4:リボソームを認識する部位

 

RNAの構造単位の1つは,ATPのリン酸が2つとれたAMPである。ATPといえば細胞のエネルギー源としての機能が有名だが,このように遺伝子の構成単位でもある。また,細胞に情報を伝える神経伝達物質としても働いている。生物は1つの化学物質を多面的に利用して効率よく生体活動を行っている。

 

B タンパク質の合成

◆タンパク質の合成

タンパク質合成の第1ステップはアミノ酸の活性化である。ATPのエネルギーを得てペプチド合成における連結反応が可能になるように活性化される。

アミノ酸+ATP → AMP-アミノ酸+PP(ピロリン酸)

AMP-アミノ酸+転移RNA → アミノアシルRNAAMP

2行で書ける反応であるが実際は非常に複雑である。正確な配列でアミノ酸の連結が行われるためには,それぞれの転移RNAにはその(アンチ)コドンが指定するアミノ酸が結合しなければならない。この反応に関与する酵素は,その両者を認識しなければならなくてはならない。この酵素は,アミノ酸活性化酵素とよばれ,20種類のアミノ酸と4060種類の転移RNA(1種類のアミノ酸に対応するRNA23種類ある)とから基質を選び出している。つまり,アミノ酸とRNAの両方に対して特異性をもっている。生成したアミノ酸−RNA結合物は,RNAのアンチコドンが,これがリボソーム上で伝令RNAのコドンと対応することになる。

この転移RNAとそれにアミノ酸を結合するアミノアシル転移RNA合成酵素に人工的に変異を起こして,遺伝暗号で設定されている20種類のアミノ酸以外をもった人工転移RNAを作成することが可能である。それを利用すれば,自然界には存在しないようなアミノ酸をもつ「タンパク質」を作り出すことができる。

リボソームには,RNA6070種類のタンパク質が含まれているが,それぞれの作用についてはまだよくわかっていない。リボソームは伝令RNAを滑るようにして移動し,そのコドンに従ってアミノ酸が次々に連結されていく。その際,グアノシン三リン酸(GTP)がエネルギー源として使われる。なお,ペプチド鎖はN末端から合成されていく。1本の伝令RNA上にいくつものリボソームがついて,同時にいくつものペプチドを合成される場合が多く,これをポリソームとよぶ。

 

◆リボソームの形

リボソームは小二つの粒子(サブユニット)より成り,それらはふつう雪ダルマに似た形に描かれる。しかし,実際には複雑な形をしている。伝令RNAが結びつくのは小さい方の粒子である。なお,二つの粒子が結びつくのは伝令RNAの結合後である。

 

C 塩基配列とアミノ酸配列

◆トリプレット

遺伝暗号が三塩基組であることに初めて気づいたのは,ガモフである。ガモフは,ロシア生まれのアメリカの理論物理学者で,「不思議の国のトムキンス」など,興味深い科学の解説書の著者として有名である。しかし,彼は間違いもおかした。生物は無駄をしないから,一つの塩基を重複して読む,たとえばGCCGGGと並んでいれば,GCCCCGCGGGGGというような暗号であると考えた。その後の研究で,遺伝暗号は重複することがなく,開始コドンと停止コドンの間を正確に3個ずつ読み取られていくことが明らかになった。

ニレンバーグ(M.W.Nierenberg)の解読のしかたは画期的であった。人工的な暗号(人工合成した塩基組)を加えるという発想である。もし,彼のこの発想が出なかったら,遺伝情報の解説はずっと遅れたであろう。彼以後,オチョア(S.Ochoa)(核酸の生合成で1959年にノーベル賞を受賞),コラーナ(H.G.Khorana)らのライバルらの努力もあって,1960年代の半ばに,遺伝暗号は解読された。ニレンバーグ,コラーナ,および転移RNAの構造を研究したホリーの3人は,1968年度のノーベル医学生理学賞を受賞した。

コドンの中で,UAAUAGUGAは遺伝暗号の読み終わりを意味する暗号で,伝令RNAにこの暗号があると,そこで翻訳が停止する。それで,この三つを,終止コドンという。一方,AUGは,メチオニンの暗号であるとともに,翻訳の開始を示す暗号(開始コドン)でもある。この暗号が初めにあれば開始を,中途にあればメチオニンを指示する。塩基配列のデータの中でAUGがあった場合,それがメチオニンを意味しているのか,あるいは開始コドンなのであるのかの判定は時として困難である。細胞は正確に間違えずに開始コドンは開始コドンとして使用する。

開始コドンと終止コドンに挟まれた3個ずつの読み取られる枠組みをフレームという。フレームシフトとはその読み取られる型が1個あるいは2個ずれることを言う。塩基が余分に挿入されたり1個欠けてしまうような変異が生じると,それ以下でフレームシフトが生じるためにアミノ酸配列が異なってしまう。この様な異常タンパク質は機能を失うばかりか,凝集したり新たな機能を持つようになり,細胞機能に大きな影響を及ぼすことがある。

遺伝暗号が,生物に共通していることは,次のことで明らかになった。ニレンバーグらが行ったように,リボソーム,転移RNA,酵素,アミノ酸,ATPなどを含む系(タンパク質合成系)に,人工暗号を加えると,ポリペプチドが合成される。そのとき,ニレンバーグらが用いたのは,大腸菌から分離したリボソームであったが,他の生物の細胞(ヒトの細胞や酵母の細胞など)からとったリボソームを用いても,同じ暗号に対しては,同じアミノ酸配列のポリペプチドが合成される。この遺伝暗号がいろいろな生物に共通していることは,生物が一つの祖先となる生物から進化してきたことを示す証拠の一つとなる。こうした「遺伝暗号の普遍性」は,ニレンバーグらの解読以後,ずっと信じられてきたが,近年になっていくつかの例外もあることがわかった。

まず,ヒトとウシのミトコンドリアに含まれているDNAの全塩基配列(ヒトでは16,569塩基対,ウシでは16,346塩基対)が決定された。そして,ミトコンドリアの遺伝暗号は,核の遺伝暗号と部分的に異なることがわかった。核ではタンパク質合成の終りを指令する暗号(終止コドン)UGAは,ミトコンドリアではトリプトファンに対応し,核でイソロイシンに対応するAUAは,ミトコンドリアではメチオニンとなり,ミトコンドリアの終結コドンはAGAAGG(共に核ではアルギニン)となっている。また,ミトコンドリアではAUAは開始コドンとしても使われている。さらに,最近,ゾウリムシなどの伝令RNAの塩基配列を調べると,ふつうの終止コドンであるUAAおよびUAGが,頻繁に存在し,それらは特定のアミノ酸に対応しているのではないかと考えられるようになった。このように,遺伝暗号,特に終止コドンに関しては,共通性が少ないのではないかというデータが多くなりつつある。

 

RNAエディティング

エディットとは編集するということである。伝令RNAの配列はゲノムDNAの塩基配列と同じ(相補的)であるが,例外的に,転写後に一塩基が別の塩基に置き換えられる場合があることが知られている。植物や原虫ではまれではないが,哺乳類では神経伝達物質のグルタミン受容体やアポリポタンパク質が有名な例である。

グルタミン酸は,高等動物の中枢神経系における主要な興奮性神経伝達物質である。化学調味料(グルタミン酸)をやたら使う料理をたらふく食った後に手足がしびれる症状が出現することがあったが,これはグルタミン酸が脳神経を刺激したためである。神経伝達物質にはそれを受容してその情報を細胞に伝える受容体がある。グルタミン酸受容体にはさまざまなサブタイプがある。その一つで,グルタミン(Q)をアルギニン(R)にかえるRNA編集が行われている。つまり,DNAの塩基配列がmRNAに転写された後に,1塩基が置換され,1アミノ酸残基の置換が生じる。遺伝子では,グルタミン(Q)がコードされているのに対して,mRNAはアルギニン(R)に置き換っている。このアミノ酸置換によってこの受容体の性質が変化する重要な「編集」となっている。

脂質の輸送に関与しているアポリポタンパク質に,apo B-48apo B-100がある。小腸で主に発現されるapo B-4848という名前は,このタンパク質がApo B遺伝子がコードするタンパク質のN末端側48%に相当することに由来する。apo B-100は,肝臓で合成されるが,その100apo B遺伝子がコードするタンパク質全長100%に相当することを意味している。小腸では,B-100 mRNAmRNA転写後編集によりシトシンがウラシルに編集され終止コドンが生じ(ナンセンス変異)mRNAのコード領域の48%までしか翻訳されずapo B-48が生成される。

 

D セントラルドグマ

◆イントロンとエキソン

イントロンとエキソンを持った遺伝子が転写される場合,まずイントロンの部分も含めたDNAの全塩基配列が転写される。次にこの転写されたRNA(伝令RNAの前駆体という)から,イントロンの部分が切り離され,エキソンの部分がつなぎ合わされて,伝令RNAができる。この過程はスプライシングと呼ばれる。スプライシングによってつくられた伝令RNAが,リボソーム上で,タンパク質に翻訳される。なぜ,イントロンが挿入されているかについては,それにより遺伝子の組換えが容易になるなど,いくつかの考えが提唱されているが,真の理由は不明である。

伝令RNA5'(開始コドンの上流)にも3'(終止コドンの下流)にも非翻訳領域といってアミノ酸をコードしていない領域がある。この領域は除去してもあまりタンパク質の発現に影響を及ぼさない場合もあるが,時として,転写効率が著しく変化することがある。また,このタンパク質には読み取られない領域の遺伝子異常(塩基配列の変化)が原因とされる疾患も知られている(筋緊張性ジストロフィー)

なお,真核生物の伝令RNAは,核でつくられてから,その両端に塩基が付加されたり,メチル化されたり(修飾という)する。5'末端には,ポリAポリメラーゼという酵素が働いて,50200個のアデニン(A)が連なったpo1yA鎖が付加される。また,5'末端にはグアノシン三リン酸(GTP)が反応して,グアニン残基がつくられ,その残基がメチル化されて,7−メチルグアニンになる。また,グアニン残基に隣接する12個のヌクレオチドの糖の2'0H基もメチル化される。このように伝令RNAの両端にできる構造を,キャップ構造という。これらのキャップ構造はエキソンにある非翻訳領域と同様に翻訳されない。

また,一つのアミノ酸はいくつかのトリプレットが対応するが,その中のいずれが最も多く用いられるかも,細胞の種類によって定まっている。ヒトのタンパク質を大腸菌に作らせるためには,ヒトの塩基配列そのままでは発現効率が低く,大腸菌が好んで使用するコドン(単純に考えれば,大腸菌内に豊富に含まれるそのアミノ酸の転移RNAのアンチコドンに相当することになる)にヒト遺伝子(コード領域)を作り替える必要がある。

 

◆タンパク質のスプライシング

RNAのイントロンとエキソンのようなものがタンパク質(ポリペプチド鎖)にも存在することが細菌や酵母で見いだされている。RNAのスプライシグと同じように一本のポリペプチド鎖の真ん中が抜け落ちて再結合する。抜け落ちるのがインテインで再結合する両端がエクステインである。この反応は同じポリペプチド内で行われる自己触媒的なスプライシング反応である。インテインの長さは400アミノ酸前後であり,そのN側とC末端が特徴的なアミノ酸配列となっている。天然のインテインは細菌や酵母では100種類以上見いだされているが,哺乳類では確認されていない。インテインはある程度は特異的な配列を必要とするが,一本のポリペプチド鎖である必要はない。エクステインAN末側インテインとC末側インテイン−エクステインBを別個のポリペプチド鎖として発現させても,この2本のポリペプチドが結合すると,インテインが脱落してポリペプチドABが生成される。エクステインは任意である(インテインの挿入部位によってスプライシングの効率は変化する)。たとえばクラゲ由来の蛍光タンパク質(GFP)をインテインで分断しておけば,インテインが除去されたときに蛍光を発することになり,結合タンパク質検出法や遺伝子のオンオフ法として応用が始まっている。

 

DNAの遺伝情報

DNAに遺伝情報は全て記載されており,ゲノムプロジェクトのところで説明するようにその塩基配列は比較的たやすく入手できるようになった。しかし,哺乳類ではイントロンもあるため,塩基配列だけを眺めても,どのようなタンパク質がどのようにつくられるかはなかなか解らない。

上記のような配列でもタンパク質としては3種類が考えられる(***は停止コドン)。#1,#2は停止コドンが頻発するので,タンパク質をコードしているとすれば#3の可能性が高い。しかし,#1Alaアラニンで終了するタンパク質,あるいは,#2Glyグリシンで終了するタンパク質の可能性もある。あるいは,イントロンということもあり得る。

 

E 遺伝子とタンパク質

◆アカパンカビの生活史

アカパンカビは,パンによく生えてくるカビでその特異な子囊形成サイクルから,染色体交叉の研究や突然変異の研究に使われた。突然変異の代表的な表現型(遺伝子による性質)は,培地の栄養要求性で,ほとんどグルコース (ブドウ糖)さえあれば育つ野性株が,アミノ酸がないと増殖できなくなる。

アカパンカビは,普通,菌糸を伸ばして生育する。この菌糸は個々の細胞から構成され,共通の1細胞質の中に多くの核をもっている。どの核も1組の染色体をもっている。すなわち半数体である。無性生殖は,この菌糸の成長と核分裂のくり返しによって行われる。また分生子とよぶ無性胞子の形成によっても行われる。とくに注意したいのは,この菌が半数体であり,無性生殖が半数体の核の有糸分裂によって行われることである。また,アカパンカビは有性生殖も行い,2つの半数体の核が融合して1つの2倍性の核となり,この核はやがて減数分裂して半数性になる。なお2つの半数性の核の融合は交配型の異なった2菌株間で行われる。外見上は区別がつかないが,2系統をいっしょに育てると子囊胞子を生じるが,同じ系統の2菌株ではそれが生じない。2菌株の核の融合した融合核は,子囊の中で減数分裂をして8個の子囊胞子をつくる。1世代の長さが短く(1012),ビタミンを含む無機培地で手軽に育てられ,半数性(優性形質によって劣性形質が隠されない)などの遺伝研究の利点をもつ。

 

教科書で説明に用いられた突然変異株は,アミノ酸であるアルギニンを培地に加えないと生育しないアルギニン要求株である。(この株は,シトルリンやオルニチンを与えても生育しない。)つづいて,別の株はアルギニンとシトルリンのどちらかを要求するもの,また,アルギニン,シトルリン,オルニチンのどれかを与えてもよい株である。アカパンカビの細胞の中で,アルギニンの生成は,下図のような過程で行われることを考えれば,この3つの突然変異株の関係がよくつかめる。

 

遺伝子はタンパク質分子のアミノ酸の配列順序とそれをいつ,どこで,どのくらいつくるかを決定している。

遺伝子はタンパク質のアミノ酸配列を決定することによって,その作用,例えば,酵素ならその特異性を規定し,ひいては生物体内の酵素反応およびそれに関連する他の化学反応をコントロールする。また,そのタンパク質がいつどのくらいの量つくられるか,そして,多細胞生物の場合にはどの細胞でという場所も規定している。遺伝暗号表によりアミノ酸配列の情報は塩基配列から読み取ることが可能になったが,その発現の制御(塩基配列に記載されているのは間違いないが)については不明である。

この際,1つの遺伝子が1つの酵素作用を規定するというのが一遺伝子一酵素説(One gene-one enzyme hypothesis)である。遺伝子が酵素と関係があるということは,ゴールドシュミット,ライトらによって考えられていたが,ビードルはアカパンカビの生化学的遺伝学などの仕事から,遺伝子がそれぞれの反応を触媒する酵素の生成,あるいは変更を直接に統御すると思われるデータを総合して,遺伝子は酵素を支配することによって,生体内の物質代謝の様式を規定し,しかも,その遺伝子と酵素の間には,11の関係があることを提唱した。さらに,酵素を含めて一般にタンパク質は伝令RNAの塩基配列に基づいて作成されるので,タンパク質の特異性(アミノ酸の構成や空間構造)は,それに対応した特異性をもつRNAから受けつがれたものであり,さらにRNAの特異性は遺伝子のDNAから受けつがれたものである。この考えによると,突然変異によって遺伝子に構造上の変化が起こると,それは伝令RNAに伝えられ,それに対応する酵素にも構造上の変化が起こり,これに伴って,酵素の働きの面で量的な,また質的な変化が起こると考えられる。なお,酵素のなかには二本以上のペプチド鎖となっているものがあり,一遺伝子一酵素説はより普遍的に一遺伝子一ペプチド鎖となる。あるいは,遺伝子を完成したタンパク質の機能を総括的に規定していると考えれば,多数のペプチド鎖の合成を一括して管理している単位とも言える。その場合には,「遺伝子はそれぞれ1つの生理機能を制御し,その中には酵素以外の他の生化学的な因子の形成も含まれる」という考え方もある。

 

◆フェニルケトン尿症とアルカプトン尿症

白子,すなわち全身の皮膚や毛髪にメラニン色素の発達しない異常は,1つの劣性遺伝子によって現れる突然変異形質である。メラニンは,表皮の深層にある細胞中に生じる色素であるが,チロシンというアミノ酸に,チロシナーゼという酵素が作用して産生される。このチロシナーゼの活性が低下するとメラニンができないために白子になる。この場合,酵素タンパク質そのものが作られなくなる場合,あるいは,タンパク質としては存在するが,アミノ酸の異常により酵素活性が失われることが考えられる。

また,このチロシンはフェニルアラニンというアミノ酸から特異的な酸化酵素によって産生されるが,この酵素に欠陥があると,フェニルアラニンが処理されなくなり,多量に血液や脳せき髄液にたまって,いろいろな障害を起こしてしまう。余ったフェニルアラニンが尿中に多量に排泄されるので,尿検査でたやすく診断される。これをフェニルケトン尿症といい,比較的珍しい劣性遺伝病である。フェニルケトン尿症では,チロシンも産生されなくなるために,チロシンから作られるメラニンも不足して,白子に似た皮膚や髪をもっている。

チロシンはメラニン産生経路のほかに,別の経路を経てアルカプトンに変わり,これがさらにアセト酢酸になる。この段階に作用する酵素が遺伝子異常により低下すると,アルカプトンが多量に尿の中に排泄されるので,尿が黒くなる。また,この物質が軟骨に沈着するので,眼のきょう膜や,耳殻が黒味をおびる。これをアルカプトン尿症という。

これらの代謝異常は,遺伝子に変異が生じたものであるから,現在のところ根本的な治療法はないが,フェニルケトン尿症の場合は,乳児期にフェニルアラニン含有量の少ない特別なミルクを与えることで,症状を抑えられることがわかっている。この療法は少なくとも成人に達するまで続けられる。女性患者が妊娠したときは,胎児の脳の発育に障害をもたらすので,フェニルアラニンを少なくしなければならないが,胎児の発育にはフェニルアラニンは必要であり,慎重なコントロールが必要である。

この療法は早く始めるほど効果的であり,現在では出生後すぐに血液検査を行い,診断する方法が開発されている。

ガラクトース尿症も類似の酵素異常による遺伝性疾患である。ガラクトースは,母乳で育つ子供にとってエネルギー源として必要であるが,たまりすぎると白内障や精神障害を起こす。思春期になるとガラクトース代謝に必要な酵素が現れる。

 

◆遺伝性疾患の意義

遺伝性疾患は他の大多数よりも現時点では生存に不利益をもたらす。しかし,生物の進化の一つの過程と考えられる。条件が変われば,そのような変異形質のほうが生存に有利になる場合がある。鎌状赤血球貧血症は現代社会では貧血をもたらす疾患ではあるが,マラリア感染症に抵抗性が強い。つまり,マラリアが蔓延している条件では多少の貧血があっても致死的な感染から守ってくれるのである。

受精卵の遺伝子診断により遺伝性疾患を誕生前に診断することが可能になってきた。現状で不利益のある遺伝子異常を除去するのは,人間が行うこととは言え自然選択の一つかもしれない。しかし,そのような遺伝子「変異」が計り知れない可能性を秘めている可能性がある。そうはいうものの,遺伝子疾患の子供を育てることは非常な負担となる。

技術的には生まれる前の選別が可能になってきた。このように今のヒトの価値判断で子孫を選別することが,将来の人類にどのような影響をもたらすことになるのかについて議論してみよう(答えは無い)

 

 

 








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