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第2節 生物の変異と進化

 

A 進化説

◆進化論

1800年代の初めに科学者たちは,化石を調べ,相同および痕跡器官に気がついた。

多くの科学者はなんらかの進化が生物に起こったことを予想したが.進化のしくみ

を理論にまとめることはしなかった。進化のしくみの研究はふたりの科学者,ラマ

ルクとダーウィンによって先鞭をつけられた。高校における進化論のとりあつかい

については「遺伝」20047月号「進化をどのように考えるか」が参考になる。

【ラマルクの進化論とダーウィンの進化論】

 フランスのジャン・バチスト・ド・ラマルク(17741829)の進化論は「用不用説」

および「獲得形質の遺伝」として知られている。自然選択説と対比されるキリンの

首の例をみよう。

 “キリンはアフリカの奥地に生息し,生息域は土地が常に乾燥し,草も生えず,

それがために,この動物は木の葉を食し,そして絶えず木の葉に届くように努力し

なければならなかった。この習性はその種類のすべての個体を通じてはるか以前か

ら持続された結果として,前脚は後脚よりも長くなり,その首は後脚で立って伸び

上がらなくても,頭を上げれば,6mの高さに達する程に伸びることになった。”

(岩波文庫復刊『動物哲学』216217)

 記述が簡単すぎるが,他の箇所を参考にまとめると以下のようになろう。

1)短い首の動物は木の葉に届くために首を伸ばした。その結果,首が少し長くなっ

(用不用の法則)2)子孫には親の首の長さが遺伝した(獲得形質の遺伝)。さらに,

木の葉に届くために首を伸ばした。3)数世代を経て,キリンの長い首が進化した(

進的発達)

 ラマルクは実験的証拠や観察を示さなかったので,生物学者の受け入れるところ

とならなかった。

 キリンの首についてのダーウィンの説明は,『種の起源』(岩波文庫下280281

頁,317)にある。これは,第六版で第7章として挿入された「自然選択説にむけ

られた種々の異論」中であり,初版にはこの説明は無い。簡略化して示す。

1)キリンの祖先にはいろいろな首の長さがあった(変異の存在)。繁殖令に達する以

上の数の子供が生まれていた(過剰な繁殖力)。 2)長い首を持った個体はよりたや

すく木の葉に達しただろうから,首の短い個体よりも生存と繁殖の機会が多かった

ろう(生存闘争,あるいは生存のための奮闘)。 3)子孫にこの長い首は遺伝し(変異

の遺伝と有利な変異の保存),数世代を経てキリンの集団は首の長い個体だけになっ

た。

 ダーウィンの自然選択説は個体ではなく,集団を通して進化を考察している点に

特徴がある。

【自然選択説】

 ダーウィンは多くの観察結果に基づいて自分の説を築いた。世界中を回り,生物

間の変異を観察した。自分自身でもハトを飼育し,多くのハトの飼育品種がもとは

カワラバトに由来すること,人間が望ましい形質の個体を選択して繁殖させ,改良

してきたことを知った。『種の起源』の第1章は「飼育栽培のもとでの変異」に当

てられている。なお,キンギョの品種改良の例は中国および日本で古来から行われ

てきた。キャベツのなかまは,利用する部分が大きくなるよう人為選択された良い

例である。

 

キャベツ;茎の最も上部にできる芽  芽キャベツ;茎にできる芽

ケール;葉  カリフラワー;花  ブロッコリー;茎と花

 

 自然選択による進化は次のように起こる

1)集団は成熟に達する数以上の子供を生産する。

2)集団の成員は同一ではなく,個体変異があり,多くの変異は遺伝する。

3)野外で生物は生存のための闘争をする。あるものは成熟前に死ぬ。

4)他よりも生存の機会を得た,より環境に適応した個体はその子孫を作り,形質

を伝える。

 ダーウィンの説明は観察に基づいたものであったが,完全ではなかった。特に変

異の生ずる機構や遺伝のしくみを知らなかった。

 生存闘争struggle for existenceという用語もダーウィンはさまざまな意味でこの用

語を使っている。生死の戦い,種内での個体間での闘争,種間競争,捕食など。こ

のあいまいさが誤解の原因ともなった。生存闘争を「やるかやられるかの戦い」と

みなし,それを自然選択説における進化の要因とみなすことは不当である。特に現

代の進化論は生存闘争と自然選択を無関係としている。

【ダーウィンの経歴】

 青年時代

 チャールズ・ダーウィン(18091882)16歳になったとき,エジンバラ大学医学

部に入学したが,博物学に興味を持った。ダーウィンが医師になる意欲がないのを

見て,父親は牧師の勉強を薦めた。ダーウィンはその考えを受け入れて,1827年,

ケンブリッジ大学神学部に入学した。しかし,後にダーウィンは「完全な時間の浪

費だった」と言っている。ダーウィンは植物学のジョン・S・へンズロー教授のも

とで多くを学んだ。教授からダーウィンは自然界の知識を教わり,博物学を薦めら

れた。1831年に教授はビーグル号に乗り込む博物学者として,ダーウィンを推薦し

た。

 ビーグル号の航海

 ビーグル号の航海は1831から1836年にかけての5年間にわたった。彼は多くの

動植物の標本を集め,観察をし,観察したものを注意深く考察した。ダーウィン(22

)は正式な博物学者ではなく,フィッツ・ロイ艦長(26)の個人的な話し相手とし

て乗船したのである。当時イギリス海軍の艦長は乗員と個人的な接触を持つことが

禁じられていた。食事も一人。艦長は孤独だったのである。公式な乗員でなかった

ダーウィンは費用を自分で負担しなければならなかったが,彼にとってはこの待遇

は幸運だった。ロイの客人として好きなときに上陸できたのである。また,標本の

収集は正式な任務ではなかったので,好きなようにできた。収集した標本の処分も

自由であった。ビーグル号の正式な任務は南アメリカと太平洋の島々の測量と海図

の作製,クロノメーターによる経度の測定,最初の航海でイギリスに連れ帰った南

米のフェゴ人の故郷への送還であった。(この項目は松永俊男『ダーウィンをめぐる

人々』(朝日選書)を参考)

 地質学者ダーウィン

 ヘンズロー教授がくれたライエルの地質学の教科書『地質学原理』の大陸形成が

ダーウィンの興味を引いた。アンデスでは,海生の貝化石が海抜4300mもの高度の

岩から発見された。ライエルのいう通り,地震や地理的な経過が大陸を変化させた

ことが判った。大陸が変化すれば新しい生息地ができ,動物がその変化に適応した

だろう。ダーウィンの手紙を地質学関係の抜粋を中心にヘンズロー教授は学術協会

で報告し,印刷して配布した。航海の終わり頃,ダーウィンは地質学者として立つ

ことを決意していた。

183610月にイギリスに戻ったダーウィンは,航海中に集めた動植物の標本を

専門家に送った。ダーウィンの『ビーグル号航海記』は,出版されるとベストセラ

ーになった。

 進化論の発展

 ダーウィンに進化論の示唆を与えたものとしてガラパゴス諸島のフィンチ類が

有名だが,ダーウィンは航海中にはフィンチ類の変異の進化的意味を正しく認識で

きたわけではなかった。帰国後,1837年から鳥の標本をグールドが整理し,フィン

チを正しく分類すると,ダーウィンはその重要性に気がついた。ゾウガメの変異に

ついても同様であった。現地の副総督のローソンから「ゾウガメは島ごとにちがう」

と聞かされたにもかかわらず,ダーウィンはこのことにあまり注意を払っていなか

った。インド洋のアルダブラ諸島に生息するゾウガメと同種だとする一般的な見解

に従っていた。しかし,これらの事実はダーウィンを落としめるものではない。航

海中,ダーウィンも先入観から逃れられなかったのだ。しかし,彼は同僚との共同

の研究から新しい視野を開くことができたのである。18377月からダーウィンは

“種の転成”に関する最初のノートを書き始めた。(この項目はグールド『フラミン

ゴの微笑』(早川書房)を参考にした)

1838年にダーウィンはマルサスの『人口の原理』を読んだ。マルサスは,人口は

幾何級数的に増加するが,食物や水や空気は同率では増加しない。したがって,人

間どうしは限りある食物をめぐって競争すると説いた。これがダーウィンにヒント

を与えた。ダーウィンは20年間,自然選択による進化の証拠を集めつづけ,1842

年から1844年の間に230頁の原稿を書いていた。1850年代には進化に関する大冊

に取り組み初めていた。もしウォレスの手紙がなかったら,ダーウィンはこの本を

完成させることはなかっただろう。

 ウォレスの意義

 マレー半島で調査をしていたAR・ウォレス(18231913)1858年にダーウィ

ンに送った論文(「変異型が原型から無限に離れていく傾向について」)には,ダー

ウィンの考えに近い進化学説が書かれていた。『ビーグル号航海記』を読んで探検

家になったウォレスにとって,ダーウィンは師とあおぐ人物であった。ダーウィン

は驚き,悩んで友人に相談した。相談を受けた友人(地質学者ライエルと植物学者フ

ーカー)は,ウォレスの論文との同時発表を薦めた。185871日のロンドンの

リンネ学会にウォレスの論文とダーウィンのエッセーの抜粋を提出し,講演したが,

発表当時はほとんど注意を引かなかった。進化論が衆知されたのは『種の起源』以

後である。正式な題名は『自然選択による種の起源について,すなわち生存競争に

おける好ましい品種の保存 On The Origin of Species by Means of Natural Selectionor

The Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life』。その第11250部は1日で

売り切れた。

 『種の起源以後

『種の起源』以後もダーウィンは自然選択説に関連する著作を出版した。『ランの

受精』(1862),『飼育動物と栽培植物の変異』(1868),『人間の由来,ならびに性選

択』(1871),『人間および動物の表情』(1872),『食虫植物』(1875),『他花受精と

自花受精』(1876),『同種の植物における花の異型』(1877),『植物の運動力』(1877)

『ミミズの作用による栽培土壌の形成およびその習性の観察』(1881)などである。

これらは興味深い内容であるが.訳本が絶版のものもある。

 

◆メンデルの再発見以後の進化論

遺伝の本質が理解されない間は,子供は両親の中間的な形質を示すという混合遺

伝の考えが一般的だった。混合遺伝が正しいとすれば,個体群はすみやかに均一化

され,新しく生じた変異も均一化によって失われ,自然選択は効果を失う。1883

にワイズマンは生殖質が完全に体細胞から切り離されており,体細胞の影響に左右

されないと主張して,環境の遺伝に対する影響を否定した。

1900年の再発見によるメンデルの法則は混合遺伝を明快に否定した。本来ならば

自然選択説は即座に受け入れられて当然だった。ところが逆にメンデル遺伝学は自

然選択説を葬り去るものと思われた。ド・フリースやベーツソンは突然変異の役割

を強調し,新しい種は数回の突然変異で生ずると信じ,種内の個体変異は取るに足

らないものと考えた。もし種が不連続な突然変異だけで生ずるのなら,自然選択は

無用である。したがって自然選択と種の漸進的な進化というダーウィンの基本的な

考えは放棄されたのだった。

 しかし,獲得形質の遺伝が否定され,連続的な変異もメンデル遺伝に基礎を持つ

ことを遺伝学者が明らかにして,自然選択説を遺伝学からの事実に折り合わせてい

った。分類学の進展によって,種が一定の形態を持つ型ではなく,他の個体群から

生殖的に隔離された変化に富んだ個体群だという理解が広がった。

1908年,ハーディとワインベルグによって独立に証明された「ハーディ・ワイン

ベルグの法則」を端緒とする集団遺伝学の理論は,1926年ロシアのチェトヴェリコ

フにより輪郭が示された。イギリスのフィッシャーは『自然選択の遺伝的理論』

(1930),ホールデンは『進化の要因』(1932)において,自然選択下の遺伝子頻度の変

化に関する数学的理論を発展させ,わずかな選択差でさえ進化的変化を引き起こす

ことを明らかにした。アメリカのライトは選択だけでなく,近親交配や遺伝的浮動

などを合わせた包括的な遺伝学の理論を発展させた。ドブジャンスキーの『遺伝学

と種の起源』(1937)などによって自然選択説と遺伝学は統合され,ハックスリー

の『進化:現代の総合説』(1942)以降,新たな自然選択説は「総合説」とよばれ

るようになった。

 

純系と変異

ヨハンセン(Johannsen, 1903)は,市販のインゲンマメPhaseolus vulgarisの種子を重

さごとに分け,変異曲線のグラフを作った。はじめは種子の重さは広い範囲に正規

分布した。ついで,重さの異なる種子を選び一定の範囲の重さごとの集団内で自家

受精を行うと,それぞれの場合の変異曲線は選択前の集団でみられたものと異なり,

重さに従って変化することを観察した。重い種子の集団からは重い種子が得られる

傾向があり,軽い種子の集団からは逆の結果が得られた。重さによる選択を行う前

の集団では,種子の重さについての遺伝的な性質にばらつきがあるが,選択によっ

てそれがいくつかの性質に収束するためである。さらに選択と自家受精を繰り返し

た結果,それぞれの重さの集団から得られる変異曲線が一定になり,選択の効果が

みられなくなった。この段階で,遺伝的な純系が得られたことになる。純系の種子

でも重さは一定範囲の正規分布をするが,その場合の変異は遺伝的なものではなく,

環境変異ととらえることができる。環境変異は遺伝しないので,選択の効果も現れ

ない。

純系は,すべての遺伝子についてホモの遺伝子型をもつ個体からなる系統の総称

で,ホモ接合をすべての遺伝子について持つ個体の自家受精や,近親交配や人為的

な選択を繰り返すことで得られる。実際には,すべての遺伝子についてホモである

個体は得ることが難しいので,特定の遺伝子型についてホモであり,他の遺伝子型

についても大きな変異が見られなければ,それを純系として扱う。

遺伝することのない環境変異に対して,遺伝する変異を遺伝的変異と呼ぶ。オラ

ンダのド・フリースは8年間オオマツヨイグサ属Oenotheraの自家受精を続け,54343

本の株を育て,そのうち834(1.53)の突然変異体を得た。これらの変異が遺伝す

ることから,突然変異を進化の原因とする説を発表した(1901)。この功績は生物

学史上でも不朽であるが,後に明らかにされたように彼の発見した突然変異体の多

くは,異数体や倍数体など染色体突然変異に起因するものであって,真の遺伝子突

然変異は数種に限られていたことが分かっている。

 

 なんらかの形で表現型に現れる突然変異率は細胞10万個当たり配偶子当たりで,

大腸菌ストレプトマイシン耐性遺伝子が0.00004,サルモネラ菌トリプトファン非

依存性遺伝子が0.005,キイロショウジョウバエ褐色眼遺伝子が3,トウモロコシの

甘い種子遺伝子が0.24,ヒトの軟骨発育不全遺伝子が4.214.3等の結果が得られ

ている。突然変異で生じた形質は有害なものが観察されるため,突然変異は進化の

要因とは考えられないという意見がある。このような意見の背後には,ウイルズ

(1993)が指摘した進化に関する誤解がある。その誤解とは次の4つである。(1)生物

は自分の進化を方向づけている。(2)進化はゴールに向かって進む。(3)種は通常スム

ーズに直接新種へ進化する。(4)化石記録は進化の完全な図式を与える。このうち

(1)(2)(3)が突然変異の役割を低く評価する考えのもとになっている。遺伝子が有害か,

中立か,有益かはしばしば環境条件に依存している。有害と思われる突然変異でも

別の環境では有利になることが可能である。ヒトのかま状赤血球症の例もそのよい

例である。

 

染色体突然変異と遺伝子突然変異

 突然変異は初めはド・フリースらによって「遺伝する(表現型の)変異」と理解され,

さらにその原因が追求されるようになった。遺伝子のしくみが明らかになるにつれ,

染色体突然変異(染色体異常)chromosomal mutationと遺伝子突然変異gene mutation

という二つの現象が区別された。

染色体突然変異は,染色体の数や構造の変化によってもたらされる。数の変化に

は倍数性(半数性も含む)と異数性があり,構造変化には同一染色体上でおこる欠

失,重複,逆位,転座,断片化と,異なる染色体間でおこる,転座,挿入がある。

ブレークスリーBlakesleeは,チョウセンアサガオDaturaの異数性について研究し

た。チョウセンアサガオはもともと2n=24であるが,2n+1のような異数体が12種類

見つかり,それぞれが果実の大きさや形,トゲなどの特徴によって外見的にも区別

できた。倍数体は植物で特によく知られており,たとえば普通のコムギ(2n=42)は,

n=7の一粒系コムギから倍数化によって形成された6倍体である。動物ではウマのカ

イチュウに2n=22n=4のものがいることが知られている程度である。

遺伝子突然変異では,DNAの塩基レベルで欠失,重複,逆位,転座,置換が起こ

る。しかし,遺伝子突然変異が起こっても,表現型の変異が起こらない場合も多い

と考えられている。たとえば,プロリンのコドンCCUUCに置換されても,CCC

は同じプロリンを指定する同義的な変異であるために,作られるタンパク質の性質

は変わらない。

現在では,突然変異は広い意味での遺伝子の変化として定義され,さらにそれを

DNAレベルの変化として認識することができる(表)。染色体突然変異は,表にお

ける大変化に相当する。

 

表:DNAの変化に基づく突然変異の分類(岩波生物学辞典第3版p.927を改編)

DNAの変化

名称

変化の例

微小変化

塩基対置換

塩基転移(トランジション)

プリン→別のプリン

ピリミジン→別のピリミジン

塩基転換(トランスバージョン)

プリン→ピリミジン

ピリミジン→プリン

フレームシフト突然変異

塩基の追加又は消失によるコドンのずれ

大 変 化

欠失

ある長さのDNAがなくなる

重複

ある長さのDNAが重複

逆位

ある長さのDNAが前後逆転

挿入

ある長さのDNAが挿入される

転座

染色体の一部が他の部分へ位置変え

 

 

B 変異と種分化

C 進化のしくみ

◆種分化のしくみ

種分化は種という集団populationの持つ遺伝子頻度の変化の結果として起こる。

種分化の過程として異所的,側所的,同所的な種分化が考えられている。ダーウィ

ンの自然選択説のイメージは同所的種分化である。しかし異所的種分化が重要視さ

れてきている。

 

 

◆選択による種形成

選択には方向性選択,安定性選択,分断性選択がある。

(1)方向性選択は表現型の一部の端から個体を連続的に取り去るように働く。ウマの

体の大きさやキリンの首の長さの進化などは方向性選択が働いた例であろう。

(2)安定性選択は表現型の分布の両端から絶えず個体を除き,いつも同じ平均を保つ

ように働く。キリンの首の長さには今では安定性選択が働き,首は長くも短くもな

らない。

(3)分断性選択は同種内に不連続な型(多型)が生じているときに見られる。アフリカ

キアゲハは味の悪いA種とB種に擬態しているが,中間型は擬態をしないので選択

を受ける。

 

 

方向性選択の例として,ガラパゴスフィンチの例と工業暗化の例をあげた。

ガラパゴスフィンチ

 ガラパゴスフィンチはダーウィンフィンチともよばれ,イギリスの鳥類学者ラッ

クによって研究されて有名になり(『ダーウィンフィンチ』思索社),最近はグラン

トによって研究されている。干ばつによる選択はジフィンチという種類で起こった

(ワイナー『フィンチの嘴』早川書房)

 ガラパゴス諸島には,地上生活を主とするものから,樹上生活を主とするものま

で,13種のフィンチがみられる。食性と生活様式のちがいから,下図のような5

に分けられる。

 

 

◆タンパク質に現れた種内変異=タンパク多型

電気泳動は電気的性質のちがいによってタンパク質の膜上での移動速度が異なる

ことを利用した分析法である。同じ機能をもつ酵素で移動速度が異なる(したがってタ

ンパク質としての構造も異なる)例があり,これをタンパク質の多型という。最初の

例はマウスの肝臓のエステラーゼなどでアイソザイム(ISO=同一の,ZYME=酵素)

として報告された(Hunter and Market1957)。アイソザイムは(A)同種の酵素を支配す

る遺伝子座が複数の場合 (B)ひとつの遺伝子座に複数の対立遺伝子が存在する場合

(C)ポリペプチド鎖の移動時の効果による場合がある。アイソザイムのうち,同一遺

伝子座の対立遺伝子による変異を示す酵素群,(B)の場合をアロザイム(allo=対立)

といい,特に遺伝学的研究には必須の手段となった。遺伝学的な種の同定,集団の

遺伝学的分析,種の境界決定,系統分析などに応用されている。

 対象となる酵素タンパク質が単量体である場合には結果は次のようになる。メダ

カの酵素の例は単量体である。図68Idh(L-イディトールデヒドロゲナーゼ)

いう脱水素酵素の一種で,a型が泳動の移動度が小さく北日本集団,b型が移動度

が大きく南日本集団を表す。ただし,原論文では移動度の大きい方を遺伝子aとし

ているので,abは逆である。図68では説明の都合でabを逆に表した。野生

メダカでは,この他,多くの酵素で南北の分化を示す。

 アロザイムはタンパク質という表現型を分析するもので,遺伝子を分析するもの

ではない。近年はDNAを直接分析する手段も開発され,成果をあげている。

電気泳動による酵素タンパク質の多型の分析

 

◆隔離

生殖的隔離には次のような種類がある(北川修『集団の進化』参照)

(1) 交配,または雑種の接合体形成を妨げる隔離

(A)生態的,または生息場所の違いによる隔離  ハマダラカのA種とB種は水辺

にいるが,A種は澄んだ流水に,B種は淀んだ静水に生息する。

(B)季節的,または時間的隔離  ツヅレサセコオロギの夏型(57月に成虫)と秋型

(8月末〜10月に成虫)は自然界では交配の機会はない。実験室で羽化時期を制御し

て交配すると雑種は妊性がある。

(C)性的,または行動的隔離  セミやコオロギの求愛歌には近縁種間の違いがある。

ゲンジボタルの例。

(D)機械的隔離 オサムシでは雌雄の生殖器の構造に「鍵と鍵穴」の関係がある。

(E)花粉媒介者が異なるための隔離

(F)配偶子的隔離  海水中で体外受精を行うある種の海産動物で雌雄の配偶子が

誘引されない(誘引のための化学物質が異なる)。体内受精でも配偶子の誘引が妨げ

られる場合。

(2) 交配後,または雑種形成後に雑種の生存力や妊性が低下する隔離

(G)雑種生存不能(雑種の生存力が著しく低いか,生存不能)

(H)雑種不妊(雑種第1代の片方または両方の性が機能ある配偶子ができない)

(I)雑種の崩壊(雑種第2代以降または戻し交雑の個体で生存力や妊性が低下)

 ショウジョウバエ属は世界に1500種近い種がいるが,ハワイ島(火山活動で新し

くできた島々から成る)では固有種が350種にも達する。大きさは小さいものから翅

を開くと22mmに達するものまである。主要な島はそれぞれ一群の固有種を持ち,

その多くは1つの島だけで見られ,おそらく隔離によって小集団に分化し,そこで

進化したものと思われる。

 同様の現象はハワイ島のアシナガグモ類でも見られる。ミトコンドリアDNA

使った研究により種分化が非常に早く起こったことが知られてきた。

 

 

◆ハーディ・ワインベルグの法則

進化の考察に当たっては集団遺伝学が重要である。その基本となるハーディ・ワ

インベルグの法則が成立する条件は(1)集団が十分大きいこと。(2)個体間に繁殖力の

差がないこと。(3)任意交配していること。(4)移動(移住や移入)や選択がないこと。

(5)突然変異がおこらないことである。これらすべてが満たされる集団は実際には存

在しないように思える。しかし,モデルの有効性はそれらの条件が満たされないと

きに,進化がおこることを示している。また,ハーディ・ワインベルグの法則の特

徴は親集団を個体の集団ではなく,配偶子の集団とみなす観点にある。

 図25ではカタツムリのような動物が描いてある。カタツムリは雌雄同体で,個

体間に繁殖力の差があるかどうかがはっきりしないので例示した。これがニワトリ

だったら,個体間には明らかに順位制などに基づく繁殖力の違いや性選択が働いて

いると思われるので,例示としては不都合であろう。

 平衡を乱す要因としては集団の大きさも重要である。集団が小さいほど,偶然の

要素が大きくなる。ある個体が次世代を残すことができるかどうかが確率的に決ま

るとすると,特定の遺伝子が集団から消失してしまったりする。このような偶然に

よる遺伝子頻度の変動は遺伝的浮動genetic driftと言われ,現実の集団は有限である

から,遺伝的浮動の影響は大きい。

 遺伝的浮動は乱数発生機能を持つコンピュータの簡単なプログラムでシミュレ

ーションすることができる。集団の個体数が多くなればなるほど,浮動の幅は小さ

くなり,遺伝子の消失は起こりにくくなる。

 突然変異率も合わせて,選択がかかったときのコンピュータによるシミュレーシ

ョンのプログラムの例をあげた。同様のシミュレーションは計算ソフトでも可能。

 

 

 








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