トップ生物II>第2部 分子からみた遺伝現象>第3章 遺伝子工学とバイオテクノロジー>第2節 バイオテクノロジー

2節 バイオテクノロジー

 

◆バイオテクノロジーとバイオサイエンス

 最近,生物学の発展に伴って,バイオテクノロジー,ライフサイエンス,バイオサ

イエンスなど,さまざまな用語が使われる。しかも,それぞれについて人により定義

が異なるので,言葉の上での混乱が生じている。

 バイオテクノロジーは,生物を用いて人間に有用な物質を生産する技術をいい,ま

た人間に直接適用する人工臓器や体外受精などは含まれないことになっている。さら

に,近年開発された先端技術のみを対象とすることが多いが,農水省などでは広く動

植物の品種改良も含めている。たとえば,従来から知られているコルヒチンなどの使

用による倍数体の作成なども,バイオテクノロジーの中に入れている。バイオテクノ

ロジーの定義や範囲も一定していない。広義の意味では,生命科学を利用した技術を

すべて含むことになろう。

 ライフサイエンス(生命科学)の方は,生物学だけでなく,医学・農学・物理学・化

学・地球化学・環境科学に,数学や工学の一部までも含まれた生命現象を研究する壮

大な学問分野をいうのがふつうである。したがって,この場合には,人工臓器はもと

より,体外受精や人工受精はすべて含まれている。しかし,ライフサイエンスの範囲

も人により一定せず,心理学や教育学の一部を含めるか否かなどは,人により意見が

異なる。

 バイオサイエンスは,さらに定義がはっきりしない。ライフサイエンスとほぼ近い

意味に使われるが,ふつうは生物学を中心にした少し狭い範囲をさすようである。こ

のような用語の混乱は,学問の世界よりもむしろ行政で問題になり,含まれる範囲い

かんによって,補助金の交付などが関係している。

 この節で取り扱う「遺伝子の組換え」や「細胞融合」は,バイオテクノロジーの代

表的技術と言うことになる。

 

◆バイオリアクター

 バイオテクノロジーの一つとして,細胞の化学反応(主として酵素)を利用する反応

系が開発されている。これをバイオリアクターという。従来の化学工業のように高温・

高圧が必要でなく,危険な触媒を用いる必要がなくなる。具体的には,酵素や微生物

を利用し,反応速度を高め,目的とする化学反応を効率的に進行させる。例えば,下

水処理場で,処理漕で増殖した微生物が水中の有機物を食物として捕食し汚泥に分解

する働きを利用して,排水中の有機物を除去する浄化法もバイオリアクターの一つで

ある。広義に言えば,味噌,醤油,ビール,酒などを作る過程もバイオリアクターを

利用している。

 特に酵素を固体と結合させる(固相化する)と大量の基質を連続的に処理できるので,

効率を著しく向上させることができる。このような方法で,酵母などを固定化して,

従来の発酵法より効率のよいビールの製造が可能になった。また,グルコース (ブドウ

)酸化酵素を固定化し,血糖量を簡単に測定するバイオセンサーのようなものも考案

されている。

A 遺伝子改変食物

◆遺伝子改変食物

 トウモロコシなどに害虫にのみ有害なタンパク質を組み込んだ遺伝子改変作物は使

用する殺虫剤の量を減らせるという意味では環境に優しい。しかし,ほとんどのヒト

には無害な外来タンパク質が特定の人にはアレルギーの原因となる危険性がある。ま

た,このような遺伝子改変作物を作成する場合,遺伝子工学の情報として細菌の抗生

剤耐性遺伝子を用いる。この薬剤耐性遺伝子は遺伝子改変作物にもそのまま残る。こ

れを食すると,大腸内で分解された抗生剤耐性遺伝子が切り出されて,腸内細菌に取

り込まれる可能性がある。あるいは,広く環境に抗生剤耐性遺伝子が蔓延する可能性

がある。健康状態なら問題ないが,感染症に罹患したときに,抗生剤が無効な細菌が

大暴れする危険性が無いとは言い切れない。

 

B クローン動物

◆クローン動物

 1997年に,英国でヒツジのクローンが誕生し,ドリーと名づけられた。1998年には

わが国でクローンウシが誕生している。その後,マウスやネコなどでも可能になって

いる。いずれの場合にも,成体の体細胞の核を除去した卵細胞に移入して,それを代理

母となる雌の子宮へ着床させ妊娠させて誕生させたものである。

 動物の場合には,植物と違って,受精卵以外の細胞には全能性がない(らしい。いま

のところ,分化した細胞を全く別の種類の細胞に分化させた報告はない)ので,クロー

ンづくりの場合にも卵への核移殖が必要である。この場合,核を移植する体細胞には,

核の状況を受精卵と同じような初期の状態に戻す初期化とよばれる操作が必要であり,

それが技術的なポイントとなる。初期化は,ウシの体細胞などの場合では,血清の濃

度を通常の10分の1程度にした,栄養不足の飢餓状態で培養する。その結果,体細胞

で特化した細胞は,生存に必要な基本的な遺伝子が活性化することになり,体細胞の

核が全能性をとり戻すと考えられている。しかし,そのような操作は不要と考える人

もあり,種により条件は様々である。いずれにしても,クローン動物の誕生の成功率

はまだ低く,またクローン動物では,寿命が短くなったり,疾患の発症率が高くなる

ようである。

 クローン人間も技術的には不可能ではないが,多数のヒトの卵を必要とする上,そ

のために多数の代理母を必要とする。また,様々な異常が出現するため,現状では非

常に困難であり,条件設定が必要である。倫理上の大きな問題であることは言うまで

もなく,世界各国でその禁止措置がとられている。日本でもクローン作成はもとより,

ヒト初期胚を使用した実験は厳しく規制されている。

 しかし,海外では白血病や臓器不全などに備えて,クローン培養をすることが必要

と考える人もあり,あまりに規制すると闇で実験が行われる危険性もある。そのため

様々な監督の下にヒトの胚を用いた実験が行われつつあるが,将来,技術が進んだと

きに,どこからをヒトとするかなど,大きな倫理的問題が待っている。

 

遺伝子改変動物(教科書前見返し)

 遺伝子工学の応用に,ある目的の遺伝子を導入したり(トランスジェニック生物),

逆にある遺伝子の機能を除去する(ノックアウト生物)ことが可能になってきた。

 教科書の前見返しではクラゲのタンパク質を発現するようにしたトランスジェニッ

クマウスを紹介している。クラゲには,その役割ははっきりしないが,紫外線を当て

ると光がでる蛍光タンパク質がある(緑蛍光タンパク質,Green Fluorescent ProteinGFP)。

このタンパク質をコードする遺伝子を取り出して,マウスの細胞で働くようにした「人

工遺伝子:DNA断片」をマウスの卵に打ち込むと,蛍光を発するマウスを作り出すこ

とができる。蛍光タンパク質だけではなく,マウスが本来持つのとは異なる様々なタ

ンパク質を発現させることができる。また,脳にしかないタンパク質を肝臓に発現さ

せる,あるいは,胎児の頃にしか発現しないタンパク質を老齢マウスに発現させるこ

ともできる。治療に必要なタンパク質ホルモンを牛やヒツジで大量生産する試みも行

われている。逆に,あるタンパク質の発現を無くしてしまうこともできる(遺伝子ノ

ックアウト)。

 教科書の前見返しの背景にはクラゲの遺伝情報を担うGATCの羅列(塩基配列)を示

した。この配列がなんの配列であるのかは,http://www.ncbi.nlm.nih.gov/にアクセスし,

BLAST Quick Search Nucleotidebalastn)へとたどり,例えば

上段のGGCTGACCGCCCAACGACCCCCや,

下段のACATCAGAATGAGTATTTGGTTTGGTTTAぐらいを入れて検索してみよう。この

ようにデータベースを検索することによって,ある塩基配列がどのような働きをする

のか,生物を使った実験をする前に,ある程度は予想ができるようになってきた。

 

◆古生物の復元

 コハクなどの中に,古い時代の昆虫が閉じ込められている。それらからDNAをと

り出して,PCR法などでふやすことも行われている。それらの研究は,化石となった

生物のDNAの塩基配列を知ることで,現在の生物との類縁関係を知る手がかりを得

るのが目的である。

 映画「ジュラシック・パーク」では,恐竜の復元が描かれている。実際にも,化石

などにあるDNAを用いて,古生物が復元できないかということは真剣に研究されて

いる。恐竜の場合,変質していないDNAが化石として残っている例は少ないと考え

られる。また,仮にそのDNAが得られても,同じ塩基配列を持ったDNAとしてふや

す技術はあるが,染色体という形にまとめる技術はない。ヒトの場合でも,1.7mをこ

えるDNAが,核内で46本の染色体に配分されている。それがどんなしくみで,どの

ように分けられているかがわからない。DNAだけで生物は復活できないわけで,ジュ

ラシック・パークは現時点ではSFの世界である。

 では,シベリアの凍土に冷凍されているマンモスのような場合,その核を近縁のゾ

ウの卵細胞に入れて,クローン技術と同じように,ゾウの子宮に戻して妊娠・出産さ

せることができないかと期待する人もある。しかし,それが可能なら,イヌにネコを

生ませる(逆手も良いが),あるいは,ヒトの代理母としてサルを使うのが可能になる

ということで,考えにくいし考えたくない。同種でない胎児は,そのままでは拒絶反

応により流産してしまう。が,バイオテクノロジーの進歩は計り知れない。サルを代

理母とすることの倫理性について,近未来を仮定して議論しよう(答えは無い)

 

C 細胞融合

◆細胞融合

 細胞融合は,細胞を培養する設備さえあれば,技術的には大学の卒業研究でも行え

る程度である。細胞融合は新しい技術ではあるが,従来からなされている交配法の延

長線上にあるとも考えられ,特定の遺伝子を狙って行うのではないから,実験結果が

予想通りになるか否かは分からない。したがって,試行錯誤をくり返しながら,よい

結果あるいは目的の結果を期待するということになってしまう。

 

◆モノクローナル抗体

 細胞融合の実用化が最も進んでいるのは,モノクローナル抗体(単クローン抗体)

ある。抗体を分泌するB細胞は,培養してふやすことはできない。そこでB細胞とよ

くふえる骨髄腫の細胞とを融合させる。こうしてできた「ハイブリドーマ」といわれ

る雑種細胞は,抗体を分泌能力と増殖する能力を備えている。

 特定の癌細胞に対するモノクローナル抗体をつくり,それに抗癌剤を結びつけたも

のを注射すると,抗体が癌組織に特異的に結合するから,抗癌剤を癌組織に集中的に

働かせることができる。この療法は,目標に向かってミサイルを発射することと類似

していると考えられて,「ミサイル療法」とよばれている。ミサイル療法の成否のカ

ギは,癌に特異的な抗体を見いだすことにあり,盛んに研究開発が進められつつある。

ヒト化モノクローナル抗体 従来のモノクローナル抗体は抗体分子としてはマウス

タンパク質である。そのためヒトに投与すると異種タンパク質として免疫反応が生じ

てしまい,モノクローナル抗体が機能しなくなったり,あるいは,アレルギー反応が

起こってしまう。そこで,遺伝子工学の技術を用いて,抗原認識部位以外はヒトの抗

体の遺伝子と置き換えたヒト化モノクローナル抗体が作成された。このヒト化モノク

ローナル抗体は安全にヒトに薬として投与することができる。こうして,炎症反応を

押さえるリウマチの特効薬や一部の癌の特効薬が開発され実用化されている。

 

◆治療薬としてのモノクローナル抗体

 モノクローナル抗体は,医療だけでなく,診断にも用いられる。たとえば,妊娠に

より生じる絨毛組織に対する抗体をつくり,それを利用して,手軽に妊娠したかどう

かを判定することが可能になっている。そのほか,癌を初めいくつかの病気の診断薬

として,利用することが試みられている。

 

D 植物の品種改良

◆動物の品種改良

 優れた品種のウシが生まれたとしても,その子供がその優れた形質をそのまま受け

継いでくれるとは限らない。しかし,体細胞クローンを作成すれば,その優れたウシ

を増産することができる。この場合,この元のウシはもともと自然に生まれたもので

あるから何ら危険なことはない。したがって,クローン牛そのものには危険性は全く

ないと言えよう。ただ,味を良くするために遺伝子操作を行い始めると,その余計な

タンパク質がなんらかの悪影響を一部のヒト(アレルギー)に引き起こす可能性はある。

 また,環境に及ぼす影響としては,全く同じ遺伝子を持った牛が多数存在すること

は今まで経験しなかった事態である。全く同じタンパク質からなる牛肉を繰り返し食

することによって,その牛に対してアレルギー反応などが生じる可能性もあるかもし

れない。また,あるウイルスにそのクローン牛がすべて感染して牛が全滅するとか,

そこで著しく増殖したウイルスが問題となるかもしれない。

 

実験8 植物細胞の融合

 

E ES細胞

ES細胞

 幹細胞は様々な種類の細胞に分化する能力を持ったまま増殖できる細胞のことで,

その分化能を多能性という。生体に存在するあらゆる種類の細胞に分化できる場合を

全能性という。受精卵は全能性を持つことになる。初期胚から分離されたES細胞も

全ての細胞に分化でき,また,培養して継代することができる。このES細胞に遺伝

子操作を行って生体を得れば遺伝子改変動物が獲られるわけである。ノックアウトマ

ウスは特定の遺伝子を機能させなくした(除去した)マウスである。ただ,目的の遺伝

子の近傍の遺伝子の発現も変化することがある。

 

◆ノックアウトマウスの不思議な結果

 ノックアウトマウスは思いがけない結果がでることがある。例えば,神経伝達物質

を作る酵素を欠損させたら口蓋(口の中の天井)が欠損する口蓋裂となってしまった。

あるいは,ミオグロビンという筋肉の酸素運搬に重要とされるタンパク質を欠損させ

てもなにも起こらなかった。狂牛病の原因になるプリオンをノックアウトしたマウス

はほとんど健康でしかも狂牛病にかからなくなった。

 

◆再生医療

 組織幹細胞は生体組織のなかに潜んでいる多分化能を持った細胞である。以前はそ

の組織内の細胞にしか分化しないとされていたが,基本的には様々な細胞に分化する

能力を持っているようである。骨髄幹細胞は採取が容易なことから治療に用いられて

いる。例えば,白血病患者でとことん骨髄細胞をたたいて白血病細胞を消滅させてか

ら,骨髄細胞を移植(点滴するだけ)すれば,幹細胞から必要な血液細胞が作られて患

者は回復することができる。骨髄細胞の入手の難しさから臍帯血も同様に用いられて

いる。ただ,臍帯血を提供してくれた子供がやがて白血病になったとすると,その臍

帯血を移植された患者でも新たに白血病が発生する危険性が高くなる。

 脳の神経細胞は生まれて以来減るだけと考えられてきたが,50歳以上のヒトでも神

経幹細胞から新たな神経細胞が作られていることが明らかになった。ラットでは,遊

び道具が転がっている巣箱で飼われているラットのほうが神経新生が高いことが示さ

れた。まだ,はっきりしないが,記憶や学習にも新たに生成された神経細胞が関与し

ている可能性が高い。ちなみに,神経細胞は分化してから再び分裂することはないと

されている。あくまで,幹細胞から新たに神経細胞が分化するということである。

 幹細胞からはペトリ皿でも様々な組織の細胞と「類似」の細胞に分化させることに

成功している。しかし,機能する組織構造を持たせられるかが検討課題である。組織

構造が不必要な内分泌器官(例えばインスリンを分泌するB細胞は,それ自身が血糖を

感受してインスリンを分泌する)の場合には,幹細胞から分化した細胞は有力な治療手

段となろう。しかし,神経細胞は合目的な神経回路の形成が必要であり,損傷した脳

に新たな神経細胞を注入してもそれだけでは治療効果は得られないと思われる。

 

F 遺伝子治療

◆遺伝子治療による発現

 アデノシンデアミナーゼ欠損症はリンパ球の機能不全のために免疫不全となる。ま

ず患者からリンパ球を取り出して培養する。このリンパ球に欠損している酵素遺伝子

を導入する。この場合,ベクターとして改変したウイルスを用いる。こうして患者で

欠損した酵素が補われたリンパ球を得ることができる。このリンパ球を再び患者に注

射して体内に戻す遺伝子治療が行われた。治療効果は得られたが,2例,白血病が発

症してしまった。これは,ウイルスが増殖遺伝子の上流に入り込んで,増殖因子を過

剰発現させたためであった。

 

RNA干渉

 線虫で短い二本鎖RNAを投与すると,それと相同の配列を持った伝令RNAを分解

してタンパク質合成を阻害することが見いだされた。それは程度の差はあるが,哺乳

類の細胞でも生じる現象であった。これを利用して,特定の遺伝子の発現を抑制する

ことが治療法として期待されている。

 RNA干渉は実は細胞の遺伝子制御の機構でもあるらしい。つまり,ゲノムから短い

RNAが産生されてそれが発現を制御するわけである。塩基配列から遺伝子発現を推測

することはますます困難な状況になってきたと言えよう。

 








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