第1節 生体を動かすタンパク質
A 骨格筋
B 滑り説
◆筋収縮のエネルギー源
筋収縮のエネルギー源をめぐる約50年にわたる研究はATPの生理的意義を明ら
かにした。1918年ドイツの生化学者マイヤーホフ(1884−1907)は,乳酸発生が収縮
のエネルギーを供給すると「乳酸学説」を提唱した。1922年度のノーベル医学生理
学賞に輝いた乳酸学説は1930年に崩壊してしまった。コペンハーゲンの生理学者
ルンズゴール(1899-1968)が無酸素下でカエルの筋肉を解糖阻害剤モノヨード酢酸
溶液中に浸しておいても収縮を約70回続けることを実証したからである。彼はこ
の筋収縮が起こらなくなったときにクレアチンリン酸含有量がゼロになることか
らこの物質がエネルギー源であろうと示唆した。
クレアチンリン酸は1926年にハーバード大学の分析化学者フィスケ(1890−1978)
がネコの筋肉から発見したリン酸化合物である。フィスケはさらにATPを発見した
が,マイヤーホフ門下のローマン(1898−1978)より発表が数か月遅れてしまった
(1929年の8月と10月)。ローマンはさらにATPとクレアチンリン酸の間でリン酸
をやりとりするクレアチンキナーゼを発見した(1934年):

1939年,ソビエトの生化学者エンゲルハルト(1894−1984)は筋肉の収縮タンパク
質ミオシンがATPアーゼ作用をもっていることを示した:
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したがって,リップマン(1899−1986)がATPの高エネルギーリン酸結合の概念を
提唱したとき,ATPが筋収縮の直接のエネルギー源であろうとだれもが考えた。し
かし,筋肉内のATP含量はクレアチンリン酸の1/5〜1/10なので,筋収縮に伴うATP
の消費は実験的に示すことはできなかった。わずかのATPがADPになっても,た
ちまちクレアチンリン酸から〜Pが移されてしまうからである。
1962年になって,やっと筋収縮に伴うATP含量の減少が実証された。アメリカ
の生化学者デイビス(1919−)は,ジニトロクルオロベンゼンという試薬(タンパク質
のN末端アミノ基と結合する)で筋肉を処理してクレアチンキナーゼ作用を阻害し
て,はじめて収縮に伴うATP減少を確認した。カエルの腹筋を1回収縮させると,
筋肉1gあたり0.6μmol(=0.6×10−6mol)のATPが分解された。その際約1.3×10−2J
分の仕事をするので2.1×10−2J分のATPの化学エネルギーが60%の効率で仕事の
エネルギーに転換されたことになる。0.8×10−2J分は熱となった。筋肉のエネルギ
ー変換の高い効率が示された。
◆筋収縮
筋収縮の基本的なしくみは,モータータンパク質のミオシンがATPのエネルギー
を用いて,アクチンフィラメントを動かすことにある。ミオシンは,ATPアーゼ作
用をもつ頭部2個と,より集まってフィラメントをつくる尾部1本とからできて
いる(図1c)。ウサギ骨格筋のミオシン分子は,2本のH鎖と4本のL鎖(Ll,L22本,
L3)からなっている。小さなL鎖は,頭1個につき2本(L2とLlまたはL31本ずつ)
結合して頭のつけねを補強する役目をする。H鎖の頭部はATPアーゼ部位とアクチ
ン結合部位を含む。ミオシン頭部の立体構造は1993年に解明された(I.Rayment)。
ATPは頭部のポケットに結合し,ADPとPiに分解されるが,しばらくは生じたエ
ネルギーをミオシン頭部の構造変化に保持した中間体(M・ADP・Pi)として存在する:
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M・ADP・Piはアクチンと反応して運動を起こし,ADPとPiを遊離する。
筋肉内の収縮構造は筋原繊維(直径1μm)よばれ,サルコメアというくり返しの単
位が連なってできている(図1a)。サルコメアを仕切るZ線は,両側にのびる長さ1μm
のアクチンフィラメントを支えている。サルコメア中央部にはミオシンフィラメン
トの束があり,ミオシンフィラメントに両側からアクチンフィラメントが入りこ
んでいる。ミオシンフィラメント(長さ1.6μm)は約300個のミオシン分子からなり,
ミオシン頭部がフィラメント中央部約0.3μmを除きフィラメントの両側から突きで
ている(図1b)。ミオシン頭部はADP・Pi結合状態のときアクチンフィラメントをミ
オシンフィラメント中央部に向けて両側から滑走させる。その結果サルコメアの長
さは短縮する。ミオシン頭部によるアクチンフィラメニントの滑走の方向性はフィ
ラメントの方向性によって決められる。サルコメア内のアクチンフィラメントの方
向性は,Z線側がプラス,自由端がマイナスである。滑走の方向はマイナス端方
向なので,サルコメア内の両側のアクチンフィラメントはサルコメア中央に向かっ
て滑走する(図2)。


アクチンフィラメント(長さ1μm)は球状のアクチン(分子量4.2万)約360個が二
重らせん状に連なってできている(図4)。ミオシンがATP l分子を分解するごとにア
クチン分子1個(約6nm)分を動かすという首振り説が1957年以来信じられてきた。
これは,ATP分解という化学反応と一定距離の運動の1対1の対応がもっとも妥当
と思われたからである。ところが大阪大学の柳田敏雄(1988)は,ATP l分子の分解あ
たり最高60nmまでアクチンフィラメントが動くと主張した。ミオシン頭部に構造
変化として保たれるエネルギーは小出しにアクチン分子の滑走に使われるという
説明である。最初はげしい反論がアメリカからなされたが,1991年になって広く認
められるに至った。そのしくみはこれからの問題である。
筋収縮の制御 筋肉は神経からの刺激で収縮する。この現象は興奮収縮連関として
古くから知られた。筋細胞膜が興奮してその電気信号が細胞膜から内部にのびてい
るT管(縦断小管)を通じて筋小胞体に達する。筋小胞体は膜構造で筋原繊維をとり
まいており,T管と接している(図3)。これは三つ組とよばれる。すると,小胞体上
のリアノジンレセプターというカルシウムチャンネルが開いて中からカルシウム
イオンを放出する。そのため,弛緩時に10−7mol程度のカルシウム濃度が100倍に
なって,ミオシンとアクチンとが相互反応してATPを分解しながら収縮を起こす。
この収縮は5〜10ミリ秒しか続かない。小胞体がATPを分解しながらカルシウムを
取り込んでカルシウム濃度を急速に減少させるからである。小胞体膜上にはカルシ
ウムポンプがあって,ATP l分子分解ごとにカルシウム2分子を膜内に輸送する(江
橋節郎ら,1961年)。
カルシウムはどのようにしてミオシンとアクチンの反応を開始させるのであろ
うか。サルコメア内のアクチンフィラメントには,トロポミオシンという長さ40nm
の細長い分子がつながったフィラメントがアクチンのらせんにそって巻きついて
いる。その一定部位にトロポニンというタンパク質複合体が結合している(図4)。ト
ロポニンは3つの成分からなっており,その一つトロポニンCでカルシウムが結合
する。他の成分はトロポニンIでミオシンとアクチンの反応を阻止する。もう一つ
はトロポニンTでトロポミオシンと結合する。小胞体から放出されたカルシウムは
トロポニンCと結合すると,Cは変形し,I,Tをへてトロポミオシンの構造変化を
起こし,ついでアクチンを活性化すると考えられている。弛緩時のアクチンはミオ
シンと反応しない不活性の状態にあるものとみなされる。アクチンの活性,不活性
状態の詳細は不明である。なお,単離されたアクチンは活性化状態にあり,ミオシ
ンと反応する。単離アクチンの立体構造は1990年にドイツのホームズによって明
らかにされているが,サルコメア内の立体構造は解析されていない。

実験5 グリセリン筋の収縮

