第2節 嫌気呼吸
A 発酵
B 解糖
◆リービッヒ・パスツール論争(発酵の原因を求めて)
錬金術師が金をつくりだそうとした努力によって化学が進歩したように,生命の
化学は,酒がどうしてできるかをめぐって発達してきた。ブドウのしぼり汁をおい
ておくと,ブツブツと泡立ち,やがてブドウ酒ができることは,古来から人の知る
ところであった。これが発酵の従来の意味である。
発酵の化学の基礎は,フランス革命のとき処刑された大化学者アントワーヌ・ラ
ボアジェ(Antoine Lavoisier1743〜1794)によって築かれた。ラボアジェは,発酵の際に
ブドウ糖がアルコールと二酸化炭素に分解することを定量的に示した(1789年)。1800
年,フランスの学士院は,この発酵の原因究明のために,解明者には金1kgという
懸賞金を付けて論文の募集を行った。そこで,化学者や生物学者が一番乗りをねら
って研究することになった。1837年,細胞説を打ちたてたシュワンは,微生物の酵
母 (イースト)が発酵を起こすと初めて主張した。イーストは,オランダのアントニ
ー・レーエンフック(Antony Leeuwenhoek1632〜1723)によって1680年に発見されて
いた。これに対してスウェーデンの化学者ベルツェリウス(Jöns Jacob Berzelius1779〜
1848)は,酵素の触媒説を提出したばかりであったので,シュワンにまっこうから反
対して触媒が発酵を起こさせると主張した。ベルツェリウスの提案を支持し,強力
に進めたのがリービッヒであった。彼は,酵母が死ぬときに生じる物質が触媒と
して糖に作用して発酵を起こさせると述べた。
シュワンの酵母説を強く推し進めたのが,パスツール(Louis Pasteur1822-1895)で
あった。パスツールは医学者としても有名であるが,化学者でもあった。彼はフラ
スコの口をひきのばして曲がりくねらせ,ブドウのしぼり汁を煮沸すると,酵母
が入りこめず発酵が起こらないことを実証した。パスツールは,1857年から40年近
く,「生命のないところに発酵なし」と主張し続けた。
パスツールが死んで2年後の1897年に60年間におよんだ論争にピリオドが打た
れた。ドイツの薬理学者エドワルト・ブフナー(Eduard Buchner1860〜1917)が酵母
のしぼり汁に腐り止めのためスクロースを加えておいたところ,ブタブクと発酵し
たのであった! 生きた酵母の細胞内にある酵素の触媒作用が発酵の原因だっ
たのである。ブフナーは,1907年のノーベル化学賞を受賞した。
◆発酵と解糖の違い
発酵という用語は,定義が一定になっておらず,まちまちな意味で用いられてい
る。これは,歴史的に少しずつ変化してきたせいである。発酵(fermentation)とは,無
酸素下での糖からエタノール(酵母)や乳酸(乳酸菌)が微生物によって生成される
ことをいい,アルコール発酵とか乳酸発酵とよばれる。解糖(glycolysis)は,広義と狭
義の2通りの使い方がなされる。広義では,デンプン・グリコーゲンなどの多糖や,
六炭糖(グルコース)が炭素3個のピルビン酸を経て,乳酸やエタノールに分解され
る過程を一括していう。狭義では,グルコースがピルビン酸に分解される過程(解糖
系)を意味する。
◆解糖系
解糖系の過程は,1920-1930年代にドイツの生化学者エムデン(Gustv
Embden1874-1933)とマイヤーホフ(Otto Meyerhof1884−1951)を中心として解明され
た。
C6H12O6 → 2 C3H4O3 + 2ATP+4[H]
グルコース ピルビン酸
この過程は細胞質で行われ,いくつかの段階の化学変化からなる(下図)。すなわ
ち,炭素数6のグルコース1分子が,ATPのリン酸を受けてリン酸化合物となり,
これが炭素数3のリン酸化合物2分子に分かれ,この炭素数3の化合物のリン酸が
ATPの生成によってはずされ,最後に,炭素数3のピルビン酸2分子になる。この
過程で,グルコース1分子から4個の[H]がはずされ,一方,2分子のATPが使
われて,4分子のATPがつくられるので,差し引き2分子のATPが生成される。こ
の反応をまとめると,前式のようになる。はずされた4[H]は,NAD(補酵素I)に
受けとられ,NADH (教科書では4[H]で表されている)の形になっている。生徒は
Hが単体の形で存在していると誤解する面があるので,受容体の存在を理解させる
必要がある。この複雑な過程には,脱水素酵素やNADなどの10種類の酵素がそれ
ぞれの段階の反応にあずかっている。

◆アルコール発酵・乳酸発酵
アルコール発酵も乳酸発酵も,ともに無酸素状態でグルコースなどから解糖系(狭
義の解糖経路)を経て行われる発酵である。
アルコール発酵は,解糖系で生じたピルビン酸から二酸化炭素が取り除かれて(脱
炭酸酵素による),アセトアルデヒドCH3CHOとなり,さらに,NADについた[H]
を受け取って,エタノールC2H5OHとなる。すなわち,
2C3H4O3+4[H]→2C2H5OH+2CO 2
ピルビン酸 エタノール
乳酸発酵では,同じく解糖系で生じたピルビン酸が,NADについていた[H]を
受け取って,乳酸C3H6O3 (CH3・CH・OH・COOH)となる。
2 C3H4O3+4[H]→2 C3H6O3
ピルビン酸 乳酸
なお,筋肉の乳酸発酵の場合は,グリコーゲンが出発点となり,上の図に示される
ように,ATPなしでグルコースーリン酸ができるので,グルコース1分子あたりに
すると,ATPは3分子生じることになる。

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解糖系酵素の発見 |
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酵素 |
発見者 (年) |
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I |
ホスホリラーゼ |
コリ夫妻(1936) |
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II |
ホスホグルコムターゼ |
コリ夫妻(1936) |
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III |
ヘキソキナーゼ |
マイヤーホフ(1927) |
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IV |
ホスホへキソイソメラーゼ |
ローマン(1933) |
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V |
ホスホフルクトキナーゼ |
オスターン(1936) |
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VI |
アルドラーゼ |
マイヤーホフ,ローマン(1934) |
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VII |
ホスホトリオースイソメラーゼ |
マイヤーホフ,キースリング(1935) |
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VIII |
グルセルアルデヒドリン酸デヒドロゲナーゼ |
ワールブルク,クリスチャン(1939) |
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IX |
3-ホスホグリセリン酸キナーゼ |
ビューヒャー(1947) |
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X |
ホスホグリセロムターゼ |
マイヤーホフ(1936) |
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XI |
エノラーゼ |
ローマン,マイヤーホフ(1935) |
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XII |
ピルビン酸キナーゼ |
パルナス(1934) |
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XIII |
乳酸デヒドロゲナーゼ |
アンデルソン(1933) |
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XIV |
カルボキシラーゼ |
ノイベルク(1911) |
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XV |
アルコールデヒドロゲナーゼ |
バタイユ,スターン(1907) |

