トップ生物I 改訂第2部 生命の連続性第3章 遺伝>第1節 遺伝の法則

第1節 遺伝の法則

 

A メンデルの実験

◆メンデルの実験とその結果

メンデルは,エンドウの多数の形質のうち,7組みの対立形質に着目し,1組みの対立形質ごとに別々に交配して,その対立形質が子孫にどのように現れるかを統計的に調べた。下の表にPの形質としてメンデルが交配に用いた7対の対立形質が示してある。

 

メンデルの実験結果

形 質

Pの形質

Flの形質

F2の個体数

F2の分離比

優性

劣性

子葉の色

黄 × 緑

6022

2001

3.011

種子の形

 丸 × しわ

5474

1850

2.961

種皮の色

有色 × 白色

有色

705

224

3.151

さやの形

ふくれている×くびれている

ふくれている

882

299

2.951

さやの色

緑 × 黄

428

152

2.821

花のつき方

側生 × 頂生

側生

651

207

3.141

茎の高さ

高い × 低い

高い

787

277

2.841

 

 その後,種皮の色,子葉の色に関する遺伝子は第1染色体に,さやの形,花のつき方,茎の高さに関する遺伝子は第4染色体にあることがわかった。なお,これらの形質には,次代の形質が,母株上に種子()としてすぐに表現されるものと,交配してできた種子をまいて育てることによってはじめて現れるものの2通りがある。

・母株上にすぐ表現されるもの:種子の形,子葉の色

・種子を育ててはじめて表現されるもの:種皮の色,さやの形,さやの色,花のつき方,茎の高さ F2の分離比はすべて31にきわめて近く,すべて統計的にみて有意な値である。子葉の色,種子の形の2形質に比べて,他の5形質はサンプル数が少ない。これは先で説明したように,これらの5形質が種子をまいて育てた株ごとに表現されるからである。これを生徒に考えさせてみるのも一案である。

なお,エンドウなどの両性花の人工交配は,一般に次のような手順で行われる。

@ つぼみの固いうちに,雌方のおしべを切除する。

A 開花期が近づくと,雌方の花に袋をかける。

B 開花期になって,目的の花のおしべをとってきて,雌方のめしべの柱頭に

花粉をつける。

 

◆メンデル

グレゴール ヨハン メンデル(Gregor Johann Mendel)は,1822722日に現在のチェコ,ボヘミアのハインツェンドルフという小さな村に農夫の子として生まれた。高等学校卒業後ブリュン(Brünn)の僧院に入り神学を修め,後にウィーンの大学に学び,卒業後ブリュンの高等学校で教鞭をとった。彼の名を不朽に留めたエンドウの実験は,この教師生活中の8年間を費やして行われたものである。1868年僧院の長となり,実験園を拡張して研究をさらに拡げようとしたが,1871年から寺院財産課税法のことで政府と争い,10年経過してもなお解決せず,加えて彼の論文の価値が認められないために,失意のうちに,18841661才でこの世を去った。生前に口癖のようにいっていたといわれる「今にきっとわかる」“Meine Zeit wird schon kommen”ということばはあまりにも有名である。

 メンデルの科学者としての生涯は1859年から1872年の間で,エンドウの実験とヤナギタンポポ(Hieracium)の実験とは,それぞれ1866年と1870年にブリュンの博物学雑誌にのせられた。しかし,この2つの論文は彼の実験の一部にすぎず,多くの植物が実験材料として使われ,さらに植物のほかにミツバチの遺伝にも手をのばし,また天文学の研究や気象学にも興味をもち,特に太陽の黒点の観測を熱心に行い,これに関する論文も出している。

 

B 優性の法則

◆優性形質と劣性形質

優性と劣性との関係は,二倍体細胞の各対立遺伝子がそれぞれ作用を及ぼし合う結果としておこるものである。したがって,表現型はそれらの対立遺伝子の相互作用の結果を反映している。もし,一方の対立遺伝子が機能をもち,他方が機能をもたない場合は,前者が優性となって現れる。第二の対立遺伝子が第一の作用を抑制する場合は,第二の対立遺伝子が第一のものに対して優性となる。もし一方の対立遺伝子が,充分なだけの物質を作る作用がないならば,ヘテロの個体は両者の中間となり,優性も中間となる。

 ここで生徒の指導上,次の点を確認しておきたい。優性の形質ということと優秀な形質,劣性の形質と劣悪な形質ということとはまったく関係がないということである。文字の印象からくる先入観念が案外生徒の脳裡でそのような連想をしている場合があるので,最初によく確認しておくとよいと思われる。

 

C 分離の法則

D 独立の法則

◆メンデルの法則

メンデルの論文「植物雑種に関する実験」(1866)の中で示された遺伝の根本原則が,ドイツのコレンス(C. Correns),オーストリアのチェルマク(E. Tshermak),オランダのド・フリース(H. de Vries)3人の学者によって再発見されたのは1900年のことである。この根本原則がコレンスの命名により今日にいたるまでメンデルの法則とよばれている。メンデルの論文中には個々の法則が列挙されているわけではないが,一般には分離の法則,独立の法則,支配(優劣)の法則の3つをメンデルの法則としている。しかし,学者のなかには,このほかに純粋の法則をつけ加えるものもあり,また分離の法則をメンデルの全法則の基底と考え,これをもって代表すると考える学者もいる。事実メンデルの発見となるものは分離の法則である。そして,支配の法則,独立の法則に従わない現象は,その後数多く発見されている。しかし,これらはメンデルの遺伝の法則に反するものではなく,ただこの法則にある条件を付加すればよい。また純粋の法則は,分離の法則から当然導かれるものである。以上のメンデルの法則は,遺伝子が細胞核内の染色体上にある場合に成立するが,核外の細胞質に遺伝子のようなものが存在する場合には,メンデルの法則があてはまらない。このような遺伝は,非メンデル式遺伝(細胞質遺伝)とよばれている。

 メンデル以前にも,ゲルトナー,ケールロイターなどにより,同じような材料を使って交雑実験が行われ,同じような結果が観察されてきたが,単位形質の確立という点が十分なされなかったため,根本原則を見い出すまでに至らなかった。またベーツソンなどにより,このメンデルの法則が単に植物だけに限らず,動物にも通用されることが確かめられ,今日では生物一般に通じる法則として重要である。

 

◆メンデルの実験の成功の鍵

メンデル以前にも多くの人たちが遺伝の研究を行い,その結果を発表しているが,科学的処理が十分ではなく,遺伝の法則性を発見するには至らなかった。メンデルがすぐれていたのは,次のような点である。

@        実験材料としてエンドウを選んだこと。エンドウははっきりした多くの対立形質をもつ。自然で自家受粉しやすい花の構造をもち,ほとんど他花受粉をしない。また,交配した種子の繁殖力が衰えないなどの特質がある。その上,入手・栽培・交配が簡単である。

A        ばく然とした交配をするのではなく,はっきりした7対の対立形質に注目して実験を進めたこと。特に,種子の形や子葉の色は,母株上にすぐに現れる形質であり,他の形質に比べてわかりやすく確実性も高い。

B        まず,純系を選び出すため,初めの2年間は,自家受精をくり返したこと。彼は種子商から得た34品種の種子を自家受精し,純系を手に入れてから交配実験を始めている。

C        多数の個体について,交配実験を行い,その結果を詳しく記録し,統計的に処理したこと。また,実験中も,一部を温室内に隔離して昆虫による受粉の影響を調べたり,正逆交配(めしべと花粉に選ぶ形質を交換すること)を行い,実験の正確を期している。

D        結果の考察のために「要素」(遺伝子)を仮定し,実験結果に理論的根拠を与えている。この時代には,染色体の存在も,減数分裂の機構もまだ明らかにされておらず,メンデルの洞察力は天才的であったといえる。

 

 

E 検定交雑

◆検定交雑

交雑によって生じた雑種と,その両親のいずれか一方との交配を「戻し交雑」という。これには,次の2通りの組合わせがある。

(1) F1×優性ホモのP表現型は,優性のPと同じになる。

(2) F1×劣性ホモのP表現型の比は,F1の配偶子の遺伝子型の種類とその比率を示す。

(2)のような交配を検定交雑といい,この結果から,F1個体の遺伝子型が,ホモであるかヘテロであるかを検定することができる。

 

 

遺伝子のしくみの研究史

  遺伝学が本格的に始まったのは,メンデルの法則が再発見された1900年と考えることができる。

1902年には,サットンとボベリが,遺伝子の行動が細胞分裂の際の染色体の行動と類似していることに気がついた。やがて,ベーツソンらの連鎖の発見などがあり,遺伝子と染色体とが結びつくようになってきた。この方向で決定的ともいえる研究成果をあげたのは,モーガンである。彼は,ショウジョウバエを用いて,遺伝子が染色体上に存在することを,証明した。また,染色体上の遺伝子の配列を示す染色体地図も作成した。

 その後,一時遺伝学は停滞したようにも思われる。1944年に,アベリーらが,形質転換によって遺伝子の本体がDNAであることを発見したが,この研究も早過ぎて学界から注目されなかった。

1952年に,ハーシェイらが,ファージを使って,形質支配がDNAによることを実証し,翌53年には,ワトソンとクリックによって,DNAの二重らせんの分子構造が発表された。この分子構造は,遺伝子の複製などの諸性質をよく説明でき,これが契機となって分子生物学が始まった。

 その後の約10年間で,DNAの構造にもとづいてタンパク質が合成されること,両者の仲介にRNAがあたることなど,遺伝子の形質支配のしくみが明らかになった。さらに,1960年代のなかばには,ニレンバーグ,コラーナらにより,遺伝暗号が解読された。こうして,遺伝現象の基礎的なしくみは,ほぼ解明された。1970年代は,遺伝子工学の応用ともいえる遺伝子工学が盛んになった時代で,コーエン,バーグらにより遺伝子移植の基礎的な操作が開発された。また,この方法を用いた際に守るべきガイド・ライン(実験指針)もつくられた。

1980年代以後は,遺伝子工学の産業化の時代で,インスリン・成長ホルモン・インターフェロンなどの生産が行われつつある。また,従来細菌など原核生物に限られていた分子生物学が,真核生物へ適用され,真核生物の遺伝子の構造に関する新しい知見が得られるようになった。

1865年 メンデル

 遺伝の法則の発見

1900年 チェルマク,コレン

    ス,ド=フリース

 メンデルの法則の再発見

1926年 モーガン

 遺伝子説の刊行

1941年 ビードル,テータム

 一遺伝子一酵素説

1944年 アベリーら

 DNAによる細菌の形質転換

1952年 ハーシェイら

 DNAの形質支配をファージ

 で証明

1953年 ワトソン,クリック

 DNAの構造モデルの発展

1966年 ニレンバーグら

 遺伝暗号の解説

1972年 コーエンら

 遺伝子組換え実験

1980年〜

 遺伝子工学の産業化

 

 

 

 

 








本サイトに掲載された記事や画像の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2009-2012 SHINKOSHUPPANSHA KEIRINKAN CO.,LTD. All rights reserved.